どうやら風邪を貰ってきたらしい。
帰路についた時に気づいた。
そういえばアカデミーで働いている頃からだるいなと感じていたけれど、最近忙しくて疲れているからだろうと思っていた。疲れているせいで抵抗力が落ちているんだろう。
背筋がぞくぞくして身体の節々が痛い。これは本格的に風邪が悪化する前兆だ。
まずい、この忙しい時期に。
休む暇などないのは分かりきっていた。なんとか治してしまわないと。いや、せめて動けるくらいには回復しておかないと。
とにかく今日は早く寝てしまおう、と玄関の戸を開けた。
「おかえりー」
入るなり、しまったと思った。
カカシ先生だ。もう里外任務から帰ってきてたんだ。
ああー、となると食事はちゃんと作らないとだな。手間の掛からないものを作ったとしても食べて後片付けをして、最低30分以上はかかる。
そう考えるとちょっと気が遠くなりそうになった。
もうすでにほんの少しの段差を上がる気力がない。
「……イルカ先生? なんか顔色よくないですよ」
玄関で立ち尽くしていつまで経っても上がろうとしない俺を心配して、カカシ先生が玄関先までやってくる。
「あー、ちょっと寒気が……」
もう誤魔化す気力もなくて正直に言うと、カカシ先生が顔色を変える。
「えっ、それは良くない。非常に良くない! すぐに寝てください!」
あっというまに抱きかかえられ、寝室まで運ばれた。
「えーっと、こういう場合は部屋を暖かくして、それからそれから……」
「あ、あの……落ち着いてください、カカシ先生」
意識不明の重病人じゃあるまいし、慌てすぎじゃなかろうか。
うろうろと部屋を歩き回る姿を見て、最近掃除もしてないから動き回られると埃が舞っちゃって大変なんだよなぁと思った。
案の定埃のせいで咳き込む。
「イルカ先生、大丈夫ですかっ」
いえ、今のは埃のせいなので。と言いたかったが、カカシ先生の真剣な表情を見たら言い出せなかった。
「俺が必ず治してみせます」
ぎゅっと手を握られた。
心配してくれるのはありがたいが、あんまり張り切らないでほしいと思ったのは内緒だ。
カカシ先生は忍びとしては優秀だけど、意外と常識知らずで日常生活のことはてんで駄目なのだ。
「そうだ。風邪といえばおかゆですよね!」
料理なんてやったことがない人にそんなことを言われても、素直に頷けない。
「あ、いや。食欲がないのでこのまま寝ます」
今さら起き上がって自分で何かを作る気力はない。もう食べることは諦めた。とにかく寝てしまおうと思った。
「駄目ですよ、食べないと。俺に任せてください!」
いや、だってこの前米を洗剤で洗おうとしたじゃないですか、あなた。
信用ならない。任せられるわけがない。
しかたがないから起き上がろうとすると、
「寝てないと駄目ですよ!」
と金縛りの術をかけられた。
この、無駄に上忍め!
「すぐに作ってくるから待っててください」
「あ、カカシ先生……」
呼び止めようとしたが、喉まで痛くなってきたので大きな声が出ない。もう声は届かなかった。
台所でがしゃん、ぱりんと音が聞こえる。
ぼんって何。爆発した?
惨状を想像すると、あまりの恐ろしさに胃がキリキリする。
うう、布団で横になっているのに全然気が休まらない。無理してでも自分で作った方がマシだった。
しばらくして、カカシ先生が何かを持って部屋に入ってきた。
「で、できましたー」
とりあえずカカシ先生の外見に異常はない。これならばさっきの爆発もたいしたことはなかったのかもしれない、と希望を持った。
カカシ先生に抱き起こされ、目の前に鎮座する土鍋の中身を覗き込んだ。
とりあえずおかゆに見える。
少々こげているところもあるが、そこを除けば普通だ。
「はい。あーん」
レンゲを差し出されて、どうしようかと思った。
正直食べたくはない。食欲があるかないかの問題ではない。食べられるものなのかどうか判別がつかないので迷うのだ。
元気な時なら多少おかしなものでも食べきれる自信がある。なんと言っても忍びだ。サバイバルには慣れている。
がしかし。抵抗力の弱っている今、食べていいものか。
心配そうな顔がすぐ側にあるのを見て、ここは腹をくくって食べるしかあるまいと決意した。
一口食べたが、鼻が詰まってるせいで味がよく分からない。
もはや毒を食らわば皿まで。最後まで食べきるしかなかった。
実際毒になるようなものは幸い入ってなかったようで、なんとか大丈夫だった。
ほっと安堵すると、眠気が襲ってきて。カカシ先生が薬を飲ませてくれた頃にはもう撃沈しかけていた。
ぽかぽかしているのはおかゆを食べたせいかと思っていたら、どうやら熱が上がりきっているらしい。カカシ先生の手が額に置かれると、ひやりと気持ちの良いってところがその証拠だ。
ぼんやりとそう考えていると、布団の中にそのひやりとしたものが入ってきた。
「カ、カシせん…せ……?」
「一緒に寝よう? 側についててあげられるから夜中でも安心でしょ」
などと言う。
「風邪、うつります……」
「だいじょーぶ。俺、けっこう風邪菌がよけてくれるって仲間内では有名なんですよ」
それは免疫力が高いという自慢なのか、とちょっとやさぐれそうになったが。低い体温に触れるのは気持ちよかったし、どっちにしても上忍から逃げ出すことなんて今の体力では無理な話で、どうにも逆らえなかった。
頭を撫でる手が、自分一人じゃないんだと実感させてくれて、正直なところ嬉しかった。
これなら明日には治ってるかもしれないな、と根拠のないことを考え、急速に訪れる眠気に身を任せるのだった。
※台所の後始末はたぶん可愛い後輩がやってくれてピカピカになってる模様。