最近イルカ先生の様子がおかしい。
顔色が悪く、極端に食欲がない。大好きなラーメンも食べない。匂いも駄目らしい。
きっと悪い病気なんだ。
病院へ行くように懇願しても、イルカ先生の返事は芳しくない。
もしかして治らない病気なのかもしれない。だから、本当は自分がどういう病気かわかっていて、俺に言わないだけなのでは。
不安は胸の奥から広がって、体中をいっぱいにする。それはもうはち切れんばかりに。
そして、悪い予感はたいがい的中する。
任務の帰り道にイルカ先生を見かけてしまった。
ちょうど病院から出てくるところで、とっさに気配を消して隠れる。忍びだから気づかれないことには自信がある。
イルカ先生はあいかわらず顔色が良くない。道端に立ち止まって俯く姿は、普段よりずっと痩せて見えた。
あたりまえだ、食べてないんだから。
「カカシ先生になんて言おう……」
ぽつりと呟いた声を耳が拾う。
泣きそうになった。
やっぱりそうなんだ。きっと治らない難病。そうでなければ言うのを躊躇うわけがない。
イルカ先生が立ち去った後も、俺はその場に立ち尽くした。
その日の夕飯後。
「カカシ先生、お話があります」
きたっ! ど、どどどうしよう。
聞くのはものすごく怖かった。今まで生きてきた中で一番。
だが、動揺しているだけでは駄目だ。きちんとイルカ先生の話を受け止めないと。
「イルカ先生……俺、今日イルカ先生が病院から出てくるところを見てしまったんです……」
「知ってたんですか」
イルカ先生は驚きで目を見開いた後、強張っていた筋肉をふっと緩めた。
俺に告げるために緊張していたのかと思うと心臓が痛い。
俺自身がもっと強くて頼れる人間になりたいと切に願う。
「実は三ヶ月なんです」
俯いたまま表情が見えないイルカ先生は、そう言った。
三ヶ月。
それは後それだけしか生きられないということ。
ある程度予想して覚悟していたつもりでも、衝撃を受けた。
それと同時にボロボロと涙が溢れる。
「カカシ先生!? どうしたんですか」
「す、すみません……俺……」
情けない。俺なんかよりイルカ先生の方が辛いのに。
でも俺だって辛い。
心配して俺の顔を覗き込もうとするイルカ先生の手をぎゅっと握る。
「イルカ先生! 一緒に死にましょう!」
「え?」
「だって俺、耐えられません」
あなたが死ぬのを見ているだけなんて。何もしてあげられないなんて。この先ずーっとずっと一人で生きていかなきゃいけないなんて。
それくらいなら一緒に死んでしまった方がマシだ。
「死ぬほど嫌ってことですか」
イルカ先生は呆然と呟いた。
「嫌って……そんなの嫌に決まってるじゃないですか!」
そう言うとイルカ先生の顔色が更に蒼白になった。
しまった。どうして俺は自分のことばかり。
イルカ先生はもっと辛くて苦しいのに。
「そうですか、嫌でしたか。俺、勘違いしてましたね。もしかしたらカカシ先生は喜んでくれるんじゃないかって……」
イルカ先生は弱々しく微笑んで、とんでもないことを言う。
どうしてそんなことを!
死を前に精神的におかしくなったのだろうか。
「あなたが死んで俺が喜ぶわけないでしょうが!」
「ええと?……俺は死んだりしませんが」
イルカ先生の冷静を装う姿に、どうしようもなく胸を掻きむしられる。
「だって後三ヶ月の命って!」
たったの三ヶ月でこの世からいなくなってしまう。
「……いえ、妊娠三ヶ月です」
「は?」
「あの、つまり、妊娠してるらしいです」
「えーっと?」
もしかして俺は今世界で一番間抜けな顔をしてるかもしれない。
「俺も驚きましたが、先生も驚いてました。男が妊娠するなんて」
そりゃそうでしょうね。俺も吃驚です。
「あ、でも、前例がないわけじゃないそうなので。なんかチャクラとか術とかの偶然が重なって男でも妊娠するんですって。ははは、すごいですね、知りませんでした」
イルカ先生はがしがしと頭を掻いた。
俺も知りませんでした。へぇ、前例はあるんだ。
「って、ええええええ!?」
「やっぱり驚きますよね」
イルカ先生が苦笑する。
「つ、つまり、イルカ先生は死んだりするわけじゃなくて、子供が産まれるってことですか!」
「はい」
「すごい! 何それ、どういうご褒美!?」
「喜んでくれますか?」
「もちろんです!」
「よかった……」
イルカ先生はホッと息を吐いた。
俺が喜ばないんじゃないか、気持ち悪いと思われたらどうしようと心配していたそうだ。
「そんなことを心配していたなんて! イルカ先生は馬鹿だなぁ」
思わずそう言うと、イルカ先生は不満げに口を尖らせた。
「そうですか? カカシ先生もけっこう変な人ですよ、死ぬとか勘違いしたりして」
「あっ、あれはですねぇ!」
だってそれしか考えられなかったんだからしょうがない。
ちゃんと言葉にしないと伝わらないこともあるんだな、と思った。
「まあ、馬鹿と変人でもいいですよ。幸せなら」
とイルカ先生は笑った。
その意見には全面的に賛成だ。