イルカ先生は手際がいい。
毎日毎日アカデミーに出勤して、残業だってあるのに食卓にはちゃんとした料理がのぼる。
「実はけっこう手抜きしてるんですよ」
と鼻の頭を掻いているけれど、そんなことは俺にはまったくわからない。イルカ先生の料理が美味しいというのだけはわかる。
朝出かける前にいろいろ準備しておくと後で簡単に作れるのだそうだ。
茹でて小分けした野菜やら何やらは冷凍庫にいっぱい詰まっているし、俺にはわからない工夫だらけなのだろう。
今日もイルカ先生は朝準備して出勤する。
「今日は任務で外へ出なくちゃいけないからいつもよりは遅くなりますけど、夕飯は作れると思いますから」
そう言って家を出て行ったのだ。
間違いなくそう言ったのに、イルカ先生はその日は帰ってこなかった。
次の日もその次の日も。
帰ってきたらすぐに作れるように下ごしらえしてあった材料が。
日数が経つにつれ少しずつ腐臭を放つ。
それをずっと眺める毎日。
それ以外は何もしたくない。
「カカシ、大丈夫なの?」
「しっかりしろ、お前。ちょっと帰還が遅れてるだけだろうが」
膝を抱えてじっとしていると、誰かが勝手にあがりこんでくる。
声からしてアスマと紅だとわかるが、蹲ったまま顔は上げない。闖入者にはこれで充分だ。
「何? この臭い」
「腐ってるじゃねぇか。捨てろよ」
アスマが勝手に捨てようと手を伸ばす。
「やめろ!触んな! それはイルカ先生が準備していったものなんだから。帰ってきたらすぐ作ってくれるんだから。捨てたらぶっ殺す」
殺気を籠めて睨むと、
「……わかった。わかったよ、そう睨むなよ」
溜息と共に紫煙を吐き出した。
「ちゃんと食べて、外に出てくるのよ?」
紅がまるで子供に言い含めるようにそんなことを言い、二人は帰っていった。
イルカ先生イルカ先生イルカ先生。
早く帰ってきて。
材料腐っちゃうよ。
俺も腐って死んじゃうよ。
このまま化石になればずっと待っていられるのに。
身体中から水分がなくなって化石になれば、腐ってでろんでろんになることもない。
ああそうか、身体の中の水分が蒸発してしまえばいいんだ。目から溢れさせて外へ出してしまえばいいんだ。
そう思った。
かたりと小さな音がして、玄関の扉が開く。
ぱたぱたと小走りで近づいてくる何か。
「カカシ先生?」
この部屋の主はこんな声をしていた。まるでそっくりだ。
そんなことをぼんやり思う。
「俺は『カカシ先生』なんて生き物じゃなくて、化石なんです」
ここはちゃんと否定しておかなければ。
俺は化石なんだから。
「化石は涙を流したりしませんよ」
でも、そうじゃないと待っていられないんだよ。
あれ、何を?
何を待っているんだった?
大事な大事な何かを待っていたはず。
「……イルカ先生?」
「ただいま、カカシ先生。遅くなってすみませんでした」
「イルカ先生!」
ああ、待っていたのはイルカ先生だった。
どうして忘れていられたのだろう。あまりにも辛くて記憶に蓋をしてしまったのだろうか。
「突然襲撃されて、なかなか里へ連絡を取ることができなくて……心配かけてしまいましたね。それにしても酷い格好だ」
イルカ先生は困ったような泣き出しそうな表情で目の前にいる。ちゃんと存在している。
ようやく事実を認識すると、安堵の溜息が漏れると共にじわじわと怒りが込み上げてくる。
「反省してますか?」
「え?」
「俺をこんなに心配させて、反省してるんですか!」
「……はい、反省してます。ごめんなさい」
俺の駄々を捏ねているのと同レベルな非難の言葉に、イルカ先生は嫌な顔一つせず頭を下げる。
「ごめんね、カカシ先生」
イルカ先生はもう一度謝って優しく頭を撫でてくれたので、我慢できずぎゅうっと抱きしめた。