本日受付業務のイルカがトイレに行って戻ってくると、同僚たちが騒いでいた。
「イルカっ」
「どうしたんだ?」
「お前がいない間、大事件があったんだぞ」
なんでも、はたけカカシ上忍がやってきて『イルカ先生は?』と尋ねたらしい。
同僚がしどろもどろで席を外していることを伝えると、『そう……』とガッカリした表情で出ていったそうだ。
「なんで? どうしてあの写輪眼のカカシがお前のことを探してるわけ!?」
普段なら話すことすら滅多にないエリート上忍に声をかけられた、と同僚は興奮している。
そう、はたけカカシは超有名人であり、しがない中忍から見れば雲の上の人なのだ。挨拶した程度で話題になるくらい希有な存在。まして親しくなることなどありえない。それが共に働く者の名前を呼ばれる現場を目撃して、皆動揺していた。
「……わからないんだ。いや、なんとなく想像はつくんだけど」
イルカの表情は暗かった。
何事かと皆が追求すると、イルカはぼつぼつと語り始めた。
事の起こりは、昨年の火影邸での忘年会だった。その忘年会は、里に貢献する高名な忍びが集まる。忍びを志す者にとってはほとんど憧れの宴と言っても過言ではない。三代目に可愛がられているイルカは、それに呼ばれる栄誉に預かった。
しかし、極度に緊張した席で勧められるまま空きっ腹に酒を飲み、かなり酔っぱらってしまった。そこへはたけカカシが隣にやってきたらしい。
らしい、というのはイルカ自身の記憶が曖昧だからだ。
そんな大事な席で記憶がなくなるほど泥酔するとは、恐ろしすぎる。
「イルカ。お前酔っぱらって何やったんだ!」
「思い出せ、思い出すんだ」
「そうだ、大事なことだぞ」
同僚の励ましが効いたのか、イルカも懸命に思い出そうとする。そして、はっと硬直した。
「……なんか髪の毛引っ張った気がする」
「ええっ」
髪の毛ってあの銀髪を?
「人と話す時に目を見ないなんて失礼だとか説教かまして額あてを取ろうとした気がする……」
写輪眼を隠している大事な額あてを?
思い出したイルカはもちろんのこと、皆顔面蒼白だ。
「うわぁぁぁぁ、サイアクだぁ」
「何やってるんだよ! いくら忘年会の無礼講だからってやっていい事と悪い事の区別くらいつくだろ!?」
口々に責められるイルカだったが、ほとんど聞いていなかった。
「だからだったんだ、はたけ上忍がお前を探してるのは」
「はっ……つまり報復?」
「それ以外考えられん!」
イルカはできることなら思い出さない方が幸せだったかもと思った。が、今さらもう遅い。起こってしまった出来事は、たとえ火影さまにだって元に戻すことはできないのだ。
「もう潔くお詫びするしかないっ」
「でも土下座くらいで許してもらえるか?」
「最低でも半殺し、じゃないか?」
同僚たちの容赦ない判断は、まさに的を射ていると言っていい。
「……やっぱりそうか。そうだよなぁ」
イルカも肩を落としながらも納得する。
「よし! 俺も男だ。謝ってくる」
決意したイルカは、同僚たちの見守る中受付を出て行こうとした。が、その瞬間扉が開いてはたけカカシが入室してきた。
「あ」
「イルカ先生!」
一瞬硬直したイルカは、謝らなくてはという使命感に燃えて拳を握りしめたが、それは無駄になった。
顔の大部分を隠しているカカシだったが、唯一出している左眼が笑みで崩れていたからだ。
「探したんですよ」
力を失った拳を両手でぎゅっと握られ、イルカは首を傾げた。
これから半殺しなんじゃなかっただろうか。
「あ〜、夢じゃないよね? あれからずっと任務任務で会えなくて心配でした」
カカシがにこにこと話しかけてくるが、イルカは戸惑うばかりで応えられない。
「あの……はたけ上忍。イル……いや、うみの中忍とは一体どういうご関係で?」
勇気を振り絞った同僚が、おそるおそるながらもカカシに尋ねる。
「恋人です」
「は?」
「この前の忘年会からおつきあいすることになったんですよ。ね?イルカ先生」
ね?と言われても記憶がないイルカは呆然とするしかない。
それでは、あの夜なにがあったのかは知らないが、どうやらカカシは報復するためではなくただ単に恋人のイルカを探していただけだったらしい。
「おおお、よかったなぁイルカ!」
「おめでとう!」
これで殺されないで済む。
同僚たちは祝いの言葉を口にする。心から喜んでいるのが傍目にも分かった。
が、イルカは素直に喜べなかった。
「イルカ先生。どうしました?」
「あ、いや。なんか……別の意味で夢であって欲しかったっていうか」
つきあうって何で!?と叫びだしたかったが、あまりにも混乱した頭ではうまく対処できなかった。むしろ半殺しの方が納得できるというものだ。
「やだなぁ、イルカ先生ったらお茶目さん」
「そうなんです! お茶目な奴なんです!」
「粗忽な奴ですが、どうかよろしくお願いします」
わはははは。
笑いが響き渡る受付で、当人であるイルカだけが一人取り残されたままだった。