そんな夢を
あなたが死ぬ夢を見た、とイルカが泣いた日。
俺はどうすることもできずに うろたえていた。
山際に向かって色を薄くしていく空を見ていた。
随分と早い時間に帰れたもんだなぁと嬉しくて、俺の足取りは少し速かったかもしれない。
手土産も何も持ってないけど、それは、別に面倒だとか金かけるのが嫌だとかそういうんじゃなくて、いち早く、恋人のもとへ行きたいからだ。
見えてきたアパートの二階に、電気がついていて。
一人じゃもう夜なんて明かせない体にしてくれた人が、そこにいる。
いつまでもいつまでも、こうしていられたらいいのにな。
年取っても、誰が死んでも、この国が滅んでも。
なんとなく、いつまで経ってもやめられない、ドアの前での咳払いを済ませて、俺は右手をドアノブにかけた。と、自分のではない力でそれが下がる。
ガチャ、と開いたドアの先に、イルカ先生が立っていた。
え。
「お帰りなさい」
「え、え、うそ、なんで」
驚いてうろたえて変な声が出た。(せっかく咳払いして調整したのに)
それもそうだ、こんなの初めてだったし、ていうか。
いつもは気配に気づいてても無視するくせにさ。
「何で?」
俺は顔がにやけてそれを隠そうとそのままイルカ先生の顔を掴んで口付けて抱きしめたら、イルカ先生がパシっと俺の後頭部を叩いて、家の外でそういうことしないでください、と言った。いや、外って言うかもう中だと思う。
鍵を後ろ手でかってぎゅーっとすると、ぽんぽんと今度は優しく頭を撫でられる。
んーと。
「…イルカ先生ただいま」
「はいお帰りなさい。ご飯できてますから早く着替えてきてください」
もう、なんなのこの人。
時々この人は敵国が俺を殺すために放った刺客なんじゃないかと思うわけですよ。
ご飯が終わって風呂が終わってテレビが終わって。
それでやっと一緒に眠る。
狭いベットは一人じゃ不快この上ないんだけれども、二人だと。
「…イルカ先生」
いつもは、暑くて嫌だからひっつかないでくださいとか妙なことを言い出して背を向けてしまう先生が、今日はどうしてだか俺に腕を巻いてくれていた。
鎖骨のところの熱がちょうどよくて、見上げると大好きな顔。
「はい?」
「…もう一回する?」
「しない」
「何で?」
「眠いですもん」
「もう寝るの?」
キスだけなら。
そう言って、イルカ先生が俺の頬に細くて長い指を、誘うように滑らせた。
寝る前なので、柔く何度も口付ける。
小声でするやり取り。イルカ先生の、低くてかすれ気味の声が鼓膜を震わせてそれが体内に深く深く浸透していくのがどうしようもなく気持ちよかった。
月がきれいですよ、と言われたが、
わざわざ振り返りたくないし、もっとキスをしたいので俺は、うん、とだけ返事をした。
ほんとにキレイなんですよ。
うん。
見てくださいって。
うん。
…後悔しますよ。
うん。
何でだか少しだけ怒りながら言う彼が可愛くて可愛くて。
だって月なんていくらでも見れるじゃない。
言うと、彼は黙った。
可笑しな話だけれど、人というものは、幸せの中にいるとその終わりが見えないという。
弱いよね、不幸の中にいれば誰もが出口を探すのに。
イルカ先生が里から休みをもらったらしく、子供らと同じく週休二日なんて生活をしばらくするというので俺は少し怒った。
いや、いいことなんだけれど。
もう少し早く言ってくれなきゃ俺も休みをとれない。
なんとか今週の土日だけ!と里長に直談判した結果、日曜だけ安息を手に入れた。
「先生どこ行く?」
「カカシさんそれもう火通ってますよ」
「どこ行きたい? 買い物? 海?」
「焦げますって」
「楽しみだなぁ」
俺は浮かれながら土曜の夕飯を過ごす。
しかたない人だなぁとイルカ先生が笑った。
結局日曜は近くの市場で普段は買わないようなものを買って帰った。
「なんか久しぶりですよね、こんな時間に一緒にいるの」
「あんたが働きすぎなの」
えー俺だけのせいじゃないですよーとかまた妙なことを言い出す。あんたのせいだよ。
日曜の午後3時。買い物から帰って家でぼうっとする。
つまらないテレビは別に見てないけどただつけているだけ。
…なのは俺だけなのかイルカ先生はテレビをじっと見つめていた。
その横顔をじーっと見つめても気づいてくれないので、さすがに昼真っからはアレかと思って俺はソファーに座って今日買ってきた色々なものを物色していた。
野菜は野菜室、魚とビールは冷蔵庫。もう収入されていた。
残ったものは。ライターとか、煙草とか、あと。
こっそり買ったブレスレット、だとか。
「…イルカ先生、これ」
渡そうと思って視線をあげたら俺はその次に言おうとした言葉を忘れた。
テレビは料理番組。
目を開けたまま音もなく声もなく泣いているイルカ先生を俺は見た。
調理されている魚が可哀想、とか言い出すはずもなく。
俺はソファーから降りて、傍に寄った。
「どうしたの」
「何でもないです」
「何でもなくないじゃん全然…」
「カカシさん」
はい。
ちょっと、と、小さな声だったけれど。
イルカ先生は言って、傍にいた俺の腕を掴んだ。
冷え切った指だった。
俺は、とりあえず、抱きしめて、どうしたのと何度も聞いた。
「………目にゴミが」
はぁ?
見てみるとイルカ先生が左目をしきりに擦っていて、そのうち、あ、取れた!とか言って笑った。
凄い痛かったんですけど何入ってたんでしょうかね、睫?
知らないよ。
(…びっくりした)
月曜から普通に働き出して俺たちはまた、夜だけしか一緒にいられない生活になった。
それは普通だったけど、休み開けじゃあ辛い。
その日俺は、
普通に帰って、時刻は6時だった。
家の明かりはついていなかった。
嫌だなぁと思いつつ、確かに俺も今日は早かったかと納得させながらベストを脱ぐ。
そこでふと、机の上にあった小さくて見慣れた白い袋に気づいた。
その袋から少しはみ出た、もう全て取り出された薬の残った銀色の紙。
イルカ先生ったらまた胃痛めたの?
全くしょうがない人だなぁ、と。
その袋を手にとって見る。
違う。
俺は誤解をしている。これは違う、なにかの間違いなんだ。帰ってきたイルカ先生は、違いますよと言うに違いない。笑って、早とちりですと。
俺は誤解をしている。俺は誤解をしている。俺は誤解をしている。
そうじゃないことなんて脳は分かっているのに心と体が拒絶していた。
俺は、上忍で、医療だって少し齧っているから対外の処方箋は理解ができる。
そのことがこれほど辛いことになるなんて知らなかった。
だってそこに書かれた薬の名前は。
「ウソだ」
記憶を探れば思い当たることが何個も、何個も、何個もでてきて。
俺は頭を抱えた。
そして笑うこともできず泣くこともできずにいた。声も出さず。
何度も心の中で否定しながら。
「…いいのか、外に出て」
アスマが、言いづらそうに、小さい声でイルカに尋ねた。
「今日は薬をもらいに来たんですよ」
笑いながら答えるイルカに、アスマが眉根をひそめた。
カカシには。
アスマが出したその言葉に、イルカは今までで一番穏やかな、そして辛そうな顔をした。
「…俺ね」
昔あの人が死ぬ夢を見たんです。
夜中に目が覚めてしまって、俺はもうボロボロ泣いて。
カカシさん、オロオロして。
あんな辛い思い、生まれて初めてでした。
そんな思い、絶対、あの人にさせたくないなと思ったんです。
死んでもさせたくないなと思ったんです。
だってあの人、泣き虫でしょう?
死んだら。
同じことだけれど、せめて。
俺がここにいれる最期の瞬間まであの人には笑っていてほしいんですよ。
嫌な思いとか、辛い思いとか、悲しい思いとか、痛い思いとか、絶対、させたくないんですよ。
ワガママだと、分かっているけれど。
だからあの人には言えないんです。
アスマが、煙草を吸うこともせず、黙った。
あの人のこと、よろしくお願いします、できるかぎり。そう言うと、よせよ、と顔を背けた。
電気のついた自分の家を見て、イルカは頭が痛くなった。
アスマにああ言ったばかりだというのに。
玄関前に立つ。
気配に気づいているくせに、カカシは出迎えはしなかった。
終
『
零落グラフィティ』の数多さまより。
相互リンク記念に共通テーマ「死にネタ」のお話をお互い書くことに。
エビで鯛が釣れました!
数多さんの書くカカシはあいかわらずイルカ大好きで、もうたまらん。
幸せいっぱいな日常もめいっぱい堪能しましたが、
それを覆されてしまった可哀想なカカシを想像するだけで胸震えます。
これでこそ死にネタですね。
隠そうとするイルカ先生の心情を思うとまた涙です。
素敵なお話をありがとうございました!
冬之介 2004.09.04
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