そうして今も





 あなたが死ぬ夢を見た、と告げたとき、
 あのひとは必死に俺を落ち着かせようと、おろおろしていた。
 そう遠くない未来なのだと認識せざるを得ない状況で、それでも、
 それが見えていてもあなたには幸せになって欲しかったんですよ。






 不毛な言い合いに終止符を打つべく俺は最期の肉を彼の口に放り込んだ。
 ねえねえどこ行く、と言った後、素直にそれを飲み込んでカカシ先生は、俺が席を立ったと同時に腕を伸ばしてきた。
「どこ行くの」
「奥歯の詰め物取れたっぽいんですよ、離してください」
 睨むような目つきをやめてください。
 そうは言わないが、この人おかしいと思う。最近執着しすぎやしないか、俺に。
 俺はカカシ先生がわあわあ言っているのを一つ一つ受け答えしながら洗面所へ向かった。
 気づかれるといけないから忍服のポケットに入れている薬を取り出して、それを嚥下する。
 慣れた味が妙に気持ち悪かった。
 そもそもどうしてあの人があんなに浮かれているのかというと、里から休みをふんだんに貰った俺がそのことを告げると、彼が急いで里に申請して今週の日曜を休みにしたからだった。
 それは俺としても嬉しいことだし、実際どんなに忙しくたって彼が土日俺と過ごす時間を作ったという事実は、なんというか、有難かった。
「取れてた?」
「んー錯覚でした。なんでしょうねえ最近よく勘違いして」
 もちろんウソなんだけど俺は、朗らかに笑って彼が伸ばしてくる手を掴んでやった。


 月がきれいだった。




 もちろん俺が死ぬという事実は揺るがない。




 どんなに今、贖罪をしたって、
 どんなに今、懇願をしたって、
 運命は定められそして現実は現実。

 どんなふうにアナタに、ちゃんと、静かに、俺を忘れさせるかだとか。
 貴方に打ち明けるだとか。
 貴方に隠し続けるだとか、そういうようなことを、考えていた気がする。
 ずっとずっと前から考えていた気がする。
 でももう、そんなことはどうだっていいのかもしれないなあと思った。なぜならば、
 なぜならば、俺はもうすでに貴方を泣かせないことに失敗しているのだから。
 出会ったことがきっと失敗だったんだろうから。





 手が、指が、震えるのを隠して洗濯物をたたむ日曜の午後。
 テレビはつきっぱなしで実際何の番組をやっているのかとかは興味が無いし見ていなかった。
 それでも視線を送った先にそれがあり、俺はそれを見ているかのような錯覚に陥る。
 午後。
 まだ暖かい季節の昼間、買い物から返ってきて食材は冷蔵庫に。
 ソファーに座った恋人は、先ほど買って来た得体の知れないものを物色している。

 こんなふうに二人で時間を過ごすことももうないのか。

 俺は思ったより冷静にそんなことを認識した。

 休日の昼間にまどろむことも。

 彼の軽口をたしなめることも。

 
 そして、ふと捲き戻ってきた記憶が驚くほど早く脳に浸透するのを感じた。


 思い出す言葉。
 テレビをじっと見ながら頭の中によみがえってくる。




 一緒にいようね
 何があったって
 誰のことを好きになったって俺たちは死ぬまで一緒にいるの
 ねえ約束、
 約束して?
 一緒に死ぬって
 俺が死ぬときはあなたも。あなたが死ぬときは俺も
 だからね死にそうになったら俺を呼んでくれないとダメだよ
 絶対ひとりにしないでね

 おいていかないでね




 



 呆気なく溜まった涙がぼとぼと落ちていく。
 彼の言葉が胸に沈殿して溶けていかない。
 ずっと、きっと最期の瞬間まで、沈殿して。

「イルカ先生?」

 驚いたというよりは驚愕したに近い彼の声が聞こえて、俺はまずい、と思った。
 今涙を擦ったところで疑いは晴れないだろう、どうしようか、どうしよう。




 ああでも俺
 嫌だなあ、あなたを置いていくのはもちろんのこと、
 あなたに悲しい思いをさせるのは、嫌だなあ。
 俺が死んだって。
 あなたは無理矢理生かされる。
 死なんて里が許さないよ、ねえ上忍のはたけカカシさん。
 あなたは最期まで見て、俺が死ぬのを見てきっと泣いて壊れて怒って、
 そういうのだけは
 見たくないのになあ




「取れた!」
 俺は声を上げた。目を見開くとまだじんじんした。
「凄い痛かったんですけど何入ってたんでしょうかね、睫?」
 俺が言うと、焦って、またおろおろしていたカカシ先生は、口をあけたまま、そう、取れたならよかったと棒読みで言った。





 あなたが初めて俺に好きだと指を震わせて言ったあの日も、
 初めて抱き合うときに痛みで泣いた俺にあなたが謝ったあの日も、
 飲んだ帰り満月を見て俺が電柱にぶつかってあなたが馬鹿にしたあの日も、
 あなたがナルトに嫉妬して怒ったあの日も、
 俺が浮気したんじゃないかとあなたが疑って一晩中口論したあの日も、
 俺の休みを知ってちょっと焦っていた一昨日も、
 明日どうしますなんて楽しそうにしていた昨日も、
 こんな今日も。


 ぜんぶぜんぶ俺には惜しいぐらい幸せすぎる日々だったと思う。
 ほんとうに、俺には勿体ないぐらいあなたは素敵な人間で、
 あなたが俺にくれたぜんぶの瞬間が、本当に、楽しかった。

 そういうもの、ひとつ残さず、忘れずに俺は消えていくけど、
 俺のいない世界でどうか貴方がちゃんと朝早くに起きて、食事をして、誰かと笑って。
 そういう日々を送ってほしいと切に願っていますよ。

 わがままと知りながら。











 

「ありがとう」


 もう眠った彼の顔を見ながら絶対に気づかれないように俺は泣いた。
 泣き続けた。
















 家に電気がついている。
 しまった、と思った。思って全身から汗が吹き出てくるのを感じた。
 扉をあけると、そこにいるのに、こっちを向きもしない男の背が目に入った。
 まいったなあ、どうしよう。
 ふいに、声がした。
「ずっと黙ってたの?」
 声が、小さくて低かった。怒られる、そう思った。
「…何がですか?」
 しかし彼は激昂することなく、静かに立ち上がった。よろよろと、そう言ってもいい足取りでこっちによってきて、そして、彼は一度だけ俺の頬を強く打った。

 痛みより、彼の目からあふれ出してくる透明の涙の方が印象的だった。

 約束を覚えてる?
 彼が震える声でそう聞いた。
「したよねぇ約束、ずっと前だけど。ほんとうに、あんたは覚えてないかもしれないけど俺はずっとあの日からそれを持ちながら生きてきたよ、あんたが死ぬときは俺も一緒に死なせてくれるって!…っ約束したでしょう!」
 どん、と胸をうたれる感覚。彼は俺にしがみつきながら、体の力が抜けていくのに耐えていた。

 もう、言い訳もできなかった。
 彼は、薬に詳しい。いや、上忍なら誰しもあの程度の成分の効能ぐらい分かっていなければいけない。そのときになって俺はやっと色々と後悔した。
 今日薬をもらいに行かなければよかった、アスマと話していなければよかった、薬を机の上に広げておくんじゃなかった、家に薬を置いておくんじゃなかった。
 今となっては意味などない言葉たちが、俺の頭を巡っていく。

「違いますよカカシさん、これはね俺の同僚の薬で…預かっててくれって頼まれたんですよ。ほら今日演習があったでしょう?彼そこの担当で、激しい動きしている間に落としたらまずいからって。本当ですよ、泣かないでください、勘違いですから。ね?…泣かないで」

 聞いてくれていただろうか、
 きっと聞いていただろう。このなんの意味も成さないバカな言い訳を。
 もう何もかもが、
 ダメになりそうで。

「泣かないでくださいよ、カカシさん」

 泣き続ける彼。

「泣かないで」

 言い続ける俺。

 あまりにも滑稽な三文芝居のようなやりとりはしかし、
 俺の目に涙をためるのにも十分だった。



 あんた前に、言ってたのに。
 カカシ先生が、泣いたまま、うまく喋れないまま途切れ途切れに言った。
「俺が、死ぬ夢を見たって。そしたらあんた泣いてたでしょう、俺はこまったよ、困ったけど嬉しかった。嬉しかったんだよ、すごく嬉しかった。ねえ、あんた今嬉しい?こんなに俺が、俺が、ぼろぼろ泣いて、みっともなく、あんたに縋ってるの見れて嬉しいの」
 どうしたって続いてく現実。
「どうして死ぬの」
 どうしたって、継続される現実。
 死ぬのは俺のせいじゃないよ、
 言おうとしたって口は動かなかった。






 人生っていうのは、
 難儀なモンでね。
 たとえば俺がいかに貴方を好きだろうと現実は、
 誰のせいでもない圧力がかかっていて。

 だからせめてあなたを幸せにしたいと考えていたんだけどなあ。











 そうして、俺の秘密は終わった。
 彼は俺を家から出さなくなった。
 俺はそれでもいいと里に告げた。

 残った数週間、
 最後の瞬間に俺がもし苦しんだとして、
 それをあなたに見られるのは嫌だけどせめて、短い短い時間をあなたに。
 俺の最期を貴方に。









 あなたの苦しみや悲しみを全部持っていけたらなあと
 そうして今も、思う。










 終





零落グラフィティ』の数多さまより。

「そんな夢を」のイルカサイドを頂きました!
前回よりさらにカカシの可哀想さが増していますね。
愛しいものを置いていくしかないイルカ先生の想いにただただ涙です。
自分の無力さに頭殴られる気がします。
ぼろぼろ泣くカカシを見て思わず涙が出てくるところなんか……
心臓が痛くなるような素敵なお話をありがとうございます。
冬之介 2004.10.30



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