最近なんだか具合が悪い。
自覚症状はその程度だった。忙しい時期だったから疲れが溜まっているのだろうと思っていた。
その忙しい仕事も一段落して、ちょっと病院で診てもらおうかと思ったのだ。それが幸か不幸かは分からないけれど。
いや、何も知らないよりは知っていた方が幸せだと俺は思う。
たとえそれが人生の終わりを告げる言葉だったとしても。
「うみのさん、残念ながら……若い人は細胞分裂が活発なため、ガン細胞の増殖も早いのです。今の段階ではもう手の施しようもなく……」
医者の言葉はまだ続いていたけれど、現時点で治療法がないということさえ分かれば後はたいして興味はなかった。
「それで」
「はい」
「結局俺は後どのくらい生きられるんでしょうか」
よくわからない専門用語がだらだらと続くのを遮って、一番聞きたかったことを尋ねる。
「どのくらい……といっても、人間の身体には個人差がありますから一概にはなんとも……」
言葉を濁すのは、患者への心配りなのかもしれない。
けれど、そんなことはいいから知りたいことを教えて欲しい。
「先生。別に間違っていても責めたりしません。先生の経験から言うとどれくらいなのかを教えて欲しいだけなんです」
じっと目を見つめると、医者はこちらの真剣さが伝わったのか頷いた。
「……これまでの平均から言えば、後2ヶ月、と思います」
2ヶ月。
「そうですか。ありがとうございました」
病院から出て、歩いた。
とにかく歩いた。
歩く作業は意外とものを考えるのに適してる、と思う。
「そっか。俺死ぬのか」
言葉に出してみると、ようやくその事実はストンと胸に落ちてきた。
ああ、そうか。
道理で最近調子が悪いと思ったら。そうだったのか。
忍びになっていつ死ぬかも分からない命と覚悟していたけれど、まさかこんな形で死が訪れるとは想像してもいなかった。
病気だなんて正直笑える。
けれど与えられた猶予はありがたく思える。何の前触れもなく殉死した同期や仲間達に比べれば。俺だけそんな時間があるなんて申し訳ないくらいだ。
2ヶ月、それが早いか遅いかはわからない。けれど幸運にも与えられた貴重な時間。
死ぬまでにやりたいことを考えよう。
書き出して全部実行する、後2ヶ月の間に自分のやりたいことを。
1.≪慰霊碑へ行って両親に報告≫
まず思い浮かんだことを実行するべく、目的なく動かしていた足をある場所へと向けた。
英雄と呼ばれる人たちを祀る慰霊碑。骨が埋まっているわけでもないのに、なんとなく故人と心が繋がる気がする場所だ。
たまに他の人とかち合って少々居心地の悪い思いをすることもあったが、今日はそんなこともなかった。
石碑の前に立つ。
「もう少ししたらそっちに行けるみたいだよ」
早すぎるって怒られるかもしれない。
でも逆縁の不幸にはならないことが唯一の救いだ。
報告できたことに満足し、またねと呟いて慰霊碑を後にした。
2.≪アカデミーの授業と事務業務の引き継ぎ≫
歩いていると、ふつふつと心配事が浮かんでくる。
そうだよ、後2ヶ月じゃ今のクラスが卒業する前に終わってしまうじゃないか。
授業の進行状況や子供たちの性格を一つ一つ書き記してまとめておかなくては。次の担任に引き継ぐのに必要不可欠だ。
受付や事務関連も同様。細かい気になることをまとめておきたい。
周りに迷惑をかけたくない。
もちろん途中でやめざるを得ない時点で迷惑をかけるのに決まっているのだけど、必要最小限に留めたい。
これは大事なことだ。時間を見つけてやっておこう。
3.≪たくさんの人たちに手紙を書く≫
それから手紙を書こう。
今年受け持ったアカデミーの子供たちにはもちろんのこと、普段日常の忙しさにかまけて会えない人たちへ。
そして、毎日のように顔を合わせているけれど、きっと目の前にすると思うように口に出せないだろう人にも。
俺が居なくなって悲しみが薄れた頃に読み返してもらえたらいい。そういえばこんなこと言ってたなと思い出してもらえたらいい。
そんな思いを込めて手紙を書こう。たくさんたくさん書こう。
ああ、これから忙しくなるな。
言葉とは裏腹に、それは俺にとって嬉しいことだったらしい。いつのまにか足取りは軽くなっていた。
4.≪ナルトとラーメンを食べに行く≫
「イルカ先生ー!」
遠くから名前を呼ばれた。振り返るまでもなく、声で誰だか分かる。
さすがにアカデミー時代のようにタックルをかけられることはないだろうが、近づいてくる。
目を閉じて駆けてくる足音に耳を澄ませた。
「ナルト」
「久しぶりだってばよ」
すらりと伸びた手足は亡き四代目を彷彿とさせる。これからもっと似ていくのだろうと思うと感慨深い。
「そうだな、最近はお互い忙しくて会う暇もなかったもんな」
「ここで会ったが百年目。一楽行こうぜ!」
「ははは。お前はいつもそれだな」
ぐいぐいと腕を引っ張られ店まで連れていかれる。
図体はでかくなっても昔から変わらない言動に、思わず頬も緩んだ。
「そんでさ、そんでさ!」
ナルトの話を聞きながら熱いラーメンを啜る。
なんて幸福な時間。
暖かい湯気に思わず涙が滲みそうになり、麺を強く啜ってなんとか誤魔化した。
「イルカ先生、今日は俺が奢ってやるってばよ」
「ええ、お前が!?」
「そーそー。いつもお世話になってるんだから当然だって」
シカマルたちと一緒に食べに来た時に奢ってやったこともあるんだぜ、と自慢げに胸を張る。
財布からお金を出す仕草は案外堂に入っていた。
一人でブランコを漕いでいた小さなナルトはもういない。今は仲間がいるんだと嬉しかった。
「じゃあイルカ先生、またな!」
「ああ、また」
ナルトは手を振ると、もう後ろは振り返らずに駆けていく。
そう、後ろは振り返らなくていい。『また』という約束がいつだって守られると今は信じていればいい。
前を見て走り続ける少年の後ろ姿が、小さく小さくなり終いには見えなくなっても俺は立ち尽くしていた。
5.≪あの人の大好きな秋刀魚を焼き、不器用なあの人でも作れるようなレシピを書き残しておく≫
ナルトと別れ、商店街を通って家路につく。
途中で顔なじみの魚屋のおじさんが声をかけてくる。
「今日はいい秋刀魚が入ってるよ」
その言葉で今夜の夕飯のメニューは決定した。
一緒に住んでいる恋人は、秋刀魚に目がない。この脂ののった秋刀魚を見ればきっと喜ぶに違いない。
秋刀魚があれば他におかずは要らないと言うくらい好物だ。上忍であれば豪勢な料理も思うままだろうに、呆れるくらい欲がない。
そして。なんでもこなす器用な人かと思いきや、意外と不器用で料理はできない。
あの人は野菜を食べるという使命感には燃えているが、料理する気がないから生で齧るし。
まあトマトやセロリぐらいなら全然いいんだけど、ブロッコリーやじゃがいもを生で齧るのはいかがなものか。
ちょっと贅沢かと思ったが買ってしまった魚焼き機は、なかなかすぐれものなのでいろいろ使ってくれるといいのだけど。茄子だって丸ごと入れるだけで8分で焼けるし。
そうだ。ノートにいろいろ書いておこう。
なかなか良いアイディアだ。
美味しいと言ってくれた味を記しておけば、いつか役に立つ日がくるかもしれない。
たとえ実際には役に立たなかったとしても、それはそれでいいのだ。ただ俺が書くことに意味があると思うから。
6.≪旅行へ行く。できれば温泉≫
予想通りというか想像以上というか、夕飯の秋刀魚は歓迎された。
そこまで喜ばれると、ただ焼いただけなのが申し訳ない気持ちになってくる。
しかし、恋人はそういうことを言っているのではないらしく、
「久しぶりに食べたいって思ってたんですよ。気持ちが通じてるんですね。以心伝心」
とか言って喜んでいた。
夕飯の片付けをした後は二人でゆったりと過ごす。
穏やかな休息は久々だった。最近では忙しくて相手を思いやる暇もなかった。
こんな時間がもっと持てるといいのだけど。
そう。日常に紛れて他愛のない話も出来なくなってしまうなんて悲しすぎる。普段の生活から離れればもっと意識も変わるかもしれない。ここじゃないどこかへ行くとか。
「温泉でも行きたいなぁ」
ぽつりと呟くと、その独り言のような言葉に意外にも強い反応があった。
「いいですね! 最近忙しくて全然行けなかったでしょ」
ぱぁと表情が輝く様を目の当たりにして、お互い一緒のことを考えていたのだと思い嬉しくなる。
「俺、パンフレット集めてきますよ」
嬉しそうな顔に、自分まで嬉しくなると同時に胸を抉った。
病気のことを言うべきだという思いと、こんなに喜んでいるのに今は言えないという思いとが交錯する。
今じゃなければいつなら言えるのかなんて、自分ですらわからない。
自分が死ぬ覚悟はできていても、死ぬことを人に伝える、ましてや恋人になんてどうして言えるだろう。いつかバレたら責められるとはわかっていても、言い出す勇気はない。
どこそこの温泉宿が評判らしい、と嬉しそうに語る姿に、自分の笑顔が引き攣っていないか不安になる。
けれど、それにも増してどうしても一緒に行きたくなった。温泉はもちろん好きだけど、それよりも何よりも二人でのんびり過ごしたいと願った。
7.≪毎年咲く花を庭に植える≫
次の休みの日、縁側から庭に降り立った。前から思っていたことを実行するために。
庭に花を植えよう。
雑草のように強い花がいい。寒さにも強く踏まれても負けない花が。
どうせ草むしりなんてしない人だし。上忍だからそんな暇もないだろう。手間の掛からない花がいい。
痩せぎみの土地の方がよく育つというのが気に入っているあの宿根草にしようと心に決めた。
苗を片手に、張り切って穴を掘る。
「イルカ先生、何植えてるの」
一人でごそごそやっているのが気になったのか、庭には犬の訓練でしか用のない人がやってきた。
「ユーパトリウムですよ」
「ユーパトリウム?」
「別名西洋フジバカマって言ってね。キク科で丈夫なのに、小さな花が集まってふわふわっと綿毛みたいに咲くのが可愛いんです」
「ふぅん?」
口ではたいして興味がなさそうに空返事をしているが、言葉とは裏腹に俺の手元を覗き込んでいる。
毎年咲く花。
咲いているところを見られないのは残念だけど、この庭いっぱいに咲く光景を想像するのは楽しい。
どうかたくさん咲いておくれ。
8.≪大好きなあの人に毎日「好き」と言う≫
花を植え終え、二人で居間に戻った。
この前言っていた温泉のパンフレットをさっそく集めてきたらしく、それを並べ立てて眺めている横で、俺もくつろぐ。
ゆるやかに流れていく時間。その時ふと思いついた。
なんとなく。
なんとなくだ。特に深い意味はなかった。
意識する前に口に出していた。
「カカシ先生、好きですよ」
反応がない。
しんとした空気に失敗したかなと思う。突然何を言い出したのかと思われたかもしれない。
不安になって相手を伺うと、パンフをめくる手の甲まで真っ赤になっていた。
「な、何を突然。し、知ってますよそんなこと!」
あったりまえでしょ、と強がる姿に笑みが漏れた。それと同時に後悔した。
ああ、もっと前から言っていたらよかった。
もっとたくさんたくさん言えばよかった。飽きるくらい言えばよかった。
口にしなくても伝わることもあるけれど、口にした方がもっといいこともあるんだ。今さらながらに思う。
だからせめて最後のその瞬間まで、できるだけ伝えよう。
毎日。毎日言おう。
そう心に決めた。
9.≪俺のいない世界であの人が辛く悲しくないことを祈る。強く強く祈る≫
なんだか先生変ですよ?と訝しげだった恋人は、久々の休暇に疲れていたのかすぐに眠りに就いた。
安らかな寝顔。
それを眺めていると胸が詰まった。
俺が死んだらこの人は泣くんだろうか。
いや、泣くだろう。
自惚れとかそういうのではなく、ただ厳然たる事実として俺は知っている。
その時が来ても悲しみすぎて長い時間苦しんだりしないよう祈る。それだけが最後のたった一つの願いだから。
神様。もしくは神様と呼ばれる力のある存在へ。死にたくないなんてわがままは言いません。
人の命を殺めてきた俺にきっとその資格もないのはわかっています。
けれど、どうかこの願いだけは叶えてくださいますように。
強く、このうえもなく強く祈る。
ただ祈ることしかできないけれど。どうか。
10.≪朝、目が覚めてまた新たな一日を迎えられたことに感謝する≫
重く粘り着くような暗闇の中に一筋の光が照らされ、それに吸い寄せられるように身体が上昇していく。
目を開いた瞬間、自分が眠りから目覚めたのだと理解した。
ああ、まだ生きてる。
一日一日がとても貴重で奇跡のような時間なのだと思う。
「おはよう、イルカ先生」
「あ、おはようございます」
普段なら叩き起こしてもなかなか起きない人が、すでに起きて俺の顔を覗き込んでいることに驚きを禁じ得ない。
「イルカ先生が寝坊なんて珍しいですね」
身体が弱ってきているのかもしれない。
けれど、まだ大丈夫。
自力で起きあがれるし、気分もそう悪くない。
感謝します。まだ朝日を拝み自分の力で呼吸し、愛しい人の声を聴くことができることに。
いや、すべてのことに。
すべてに感謝します。