【アリとキリギリス】


ある一匹のキリギリスがいました。名前をカカシといいます。
カカシの弾くビオロンは、たいへん上手で綺麗な音を奏でると有名でした。スラリとした銀色の羽も、誰よりも綺麗だと評判です。
カカシはいつも木陰や夜の闇の中でビオロンを弾いているのです。木陰から外を眺めていると、夏の間はアリたちが懸命に食料を運んだりして働いていました。
どのアリも全部同じようにしか見えません。しかし、ある日一匹だけ違っていました。そのアリは、誰よりも黒く艶やかな色をしていてすぐに目につきました。そのうえ、近くに寄ると不思議なことに微かに甘い匂いがするのです。
聞こえてくるアリ仲間の会話に寄れば、そのアリの名前はイルカというようです。
けれど、だからといってそのアリに話しかけるわけにもいきません。アリとキリギリスが仲良くなるなんて聞いたともないからです。
カカシはただ遠くに姿を見たり、近くにいるときは見て見ない振りをしてかすかな匂いだけを嗅いだりするだけで、暑い夏が少し楽しくなるような気がしていました。


その日は特別暑い日でした。
太陽はジリジリと光線をだし、木陰から一歩でも出れば焼け焦げてしまうでしょう。
カカシがぼんやりと木陰に座り込んでいると、太陽の下なにかが地面に倒れているのを発見しました。
どうやらアリのようです。いくらアリとはいえ、こんな暑さでは日射病にかかってしまったのでしょう。
カカシはとても太陽の下へ出ていく気がなかったので、放っておこうと思いました。しかしそのとき、あの甘い匂いが微かに漂ってきました。
なんと、いつも目につくイルカというアリだったのです。
カカシはしばらく考え込み、ふらりと立ち上がると、イルカに向かって歩いてゆきました。
暑い陽射しの中、細い腕に似合わないくらいの怪力でイルカを肩に担ぎ上げ、また木陰まで戻ってきました。
水を飲ませてやると、イルカはうっすらと目を開けました。
「あ……」
「あなたね。いくらアリだってこんな陽射しの下で働いてたら死ぬよ?」
ぼんやり焦点の合っていなかった瞳が、だんだんと光を取り戻してきました。
「だってそれぐらいしか取り柄がないんです」
少し困ったように笑って答えます。
「助けていただいてありがとうございました!お邪魔しました」
イルカはぺこりとお辞儀をして礼を言うと、慌てて立ち去ろうとします。しかし、まだ眩暈がするのか足がよろけて転びそうになりました。
カカシは腕を伸ばして身体を支えてあげます。その時に、またふわっと甘い匂いが鼻をつくのです。
「まだ暑いから、日が暮れるまでここにいたら?」
「でも……俺がいると邪魔でしょうから」
「別にそんなことはないよ」
カカシは自分で自分の言った言葉に驚きながらも、表面上は何でもないように振る舞いました。
「ありがとうございます。」
イルカが嬉しそうに笑うと、カカシはドギマギして視線をそらします。手持ち無沙汰なので、近くにあったビオロンを手に取りました。
「あ、ビオロン」
イルカは驚いた声を上げ、珍しそうにカカシのことを見つめました。
「聴きたいんですか?」
「えっ。いいんですか!すごい、こんな間近でビオロンを聴けるなんて……仲間に自慢できます!」
イルカは手を叩いて喜んでいます。
カカシはこんなに喜んでくれるのなら、ビオロンしか弾くことのできない自分もそう悪いものじゃないと密かに思いました。
いつもよりやさしく奏でられるビオロンの音色は、日が暮れるまで響いていたのでした。


その日以来、カカシはイルカが働いているのを見かけると、ビオロンを弾くようになりました。少しでも大変な仕事が気持ち的に楽になれば、と思ったからです。
実際イルカの方も、忙しいために話しかけることはできませんでしたが、音を楽しんでいるのは本当でした。カカシの近くに来ると感謝の気持ちを目で訴えて、伝わっているといいと思っていたのでした。
そんなある日。遠くにカカシがいるのを見て、イルカは仲間に話しかけました。
「カカシさんは冬の支度をしないんだろうか?」
「馬鹿だな、イルカ。あのビオロンを弾く有名なカカシだぜ?冬の間、自分の家に迎えたい連中なんて山ほどいるさ。何も夏の間汗水たらして働く必要なんてないんだから」
「そうか……そうだよな」
でもカカシさんはそういうつもりじゃない気がする。イルカは心の中で呟きました。
餌を蓄えておこうとしないのは、冬の寒さを安易に考えているからでも傲慢だからでもないと、なぜか思えるのでした。



●next●


●Menu●