【まだ人生の楽しさを半分も知らなかった頃】


その日は中忍仲間の飲み会のはずだった。
しかし、偶然店で出会ったカカシを、イルカが一緒に飲みましょうと誘った瞬間から完全にその主旨から外れてしまった。
皆、酒を飲むどころではなくなっていた。
上忍というだけで緊張なのに、あの『写輪眼のカカシ』が同席だなんて。粗相がないよう細心の注意を払わねばならない。そのためには酔っぱらっていられるか!という理屈だったのだが、全員のチームワークを乱す人間が一人だけ存在した。
「カカシせんせー、飲んでますかぁ」
かなり出来上がってるイルカは、カカシの背中を意味もなくバンバンと叩く。
ひぃ、やめてくれー。
同僚の声なき叫びはイルカにはまったく届かなかった。
酔っぱらった勢いとはいえ、天下の写輪眼になんということを!
戦々恐々と遠巻きに見守る中忍達を尻目に、イルカはカカシとの会話に花を咲かせていた。もちろんカカシの意志には関係なく。
いや、見た目はどうあれカカシはカカシなりに楽しんでいるらしい。
何がどうしてそうなったのかはわからなかったが、イルカはカカシの人生相談に乗るまでに至っていた。
凄惨な任務の後は生きる気力が薄れていくんです。
忍びとして深刻な悩みだった。
がしかし、酔っぱらいにそんな相談をしてまともな答えが返ってくると期待しない方がいい。
「そーゆーときはー、楽しいことを考えるんです!」
イルカは大声で、そりゃもう笑顔で言った。
しかし、楽しいこと?
カカシは戸惑う。
楽しいことってなんだ?
「ないんですか! ひとつも?」
「はあ」
「じゃあ、あなたはハムスターを手の上に乗っけてカリカリ食べる振動を楽しんだりしないんですか!?」
「ハムスター……それがイルカ先生の言う楽しいことなんですか」
「カカシ先生! 上忍のくせにそんな楽しみもわからないなんて可哀想に!」
イルカはおおげさすぎるほどのオーバーアクションで嘆いている。端から見れば芝居がかっているように見えるが、酔っぱらい本人は真剣そのものだった。
いや、可哀想がられてもな。
そこに居る全員がそう思った。
っていうか、上忍も中忍も関係ないし。
「じゃあ、うさぎの顔を洗う仕草を一日中思う存分観察するのは?」
どれもこれもよくわからないことばかりだ。
次第にカカシもしょんぼりと肩を落としていく。のろのろと首を横に振ると、イルカはさらに詰め寄った。
「じゃあ、犬のぷにぷにの肉球を触る楽しみは?」
「あ、それはちょっとわかるかも」
「そうでしょう!そうでしょう! カカシ先生は今まで任務任務で頑張ってきたから楽しいことを知らないんですね。でも素質はあります。だから、これから俺が楽しいことをいっぱいいっぱい教えてあげますよ!」
「はあ」
「任せてください」
真剣なイルカに気圧されつつ、カカシは頷いた。
そうか、いっぱいいっぱい教えてもらえばいいのか。
イルカ先生はさすがアカデミーの教師だけあって物知りだなぁ。
などと思っていた。
たぶんこの場にアスマが居たならば『それはちょっと違う』と否定してくれたことだろう。
しかし残念ながら任務中の彼は今ここに居なかった。気安くカカシとイルカの会話に入っていく勇気を持った者も居なかった。『素質って何の素質だよ』とツッコめる者などただの一人も居なかったのだ。
誰からも間違いを指摘されなかったカカシは、これからイルカの教えを守って努力しようなどと無駄な決意を固めていた。
「イルカ先生、よろしくお願いします」
カカシはきちんと正座して深々とお辞儀をした。
「はい。明日っから頑張りましょー」
高らかな声が響き渡った。
それとともにイルカはカカシの腕を取って拳を振り上げ、周囲の中忍たちを更に青ざめさせたのは言うまでもない。

それからのカカシは、人生を謳歌しているらしいともっぱらの噂だ。


END
2007.2.3


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