【言いたくなるまで言わなくたってかまわない】


「イルカ先生」
 職員室を出たところで声をかけられた。
「カカシ先生、迎えに来てくれたんですか?」
「は、はい」
 カカシ先生は恥ずかしげに頬を染め、何度も頷いた。
 今日は俺の誕生日だということで、どこか良いお店に連れてってくれるのだという。
 その話を聞いたときに感動すらした。
 これはいわゆるデートのお誘いというやつではないか。あんなに喋れなかった人がここまで成長するなんて!
 まるでハイハイしていた赤ん坊がつかまり立ちをしたかのような衝撃を受けつつ、二つ返事で引き受けた。
 いよいよ今日はその当日というわけだ。



 初めてカカシ先生に会ったときから思っていた。緊張してうまく言葉を紡げない子供みたいだと。
 視線が合うとはっと目をそらし、緊張で手が強張っている。そんな姿を目にしたら気になってしまう。可愛いなぁと思う。
 だが、それを面と向かって言っていいものかどうか迷っていた。
 とりあえず同僚に意見を求めてみる。
「カカシ先生ってさ……」
 躊躇いながら聞こうとすると、同僚からの答えはすぐに返ってきた。
「イルカもそう思うか!? クールでかっこいいよな!」
 え……可愛いじゃなくて?
 そうか。やっぱり世間一般の人たちは可愛いなんて思わないのか。
 世間の認識は写輪眼を持つ超エリート。容姿端麗で、老若男女モテない訳がない。
 そりゃそうだ。あんな大きな立派な大人に向かって『可愛い』なんて失礼だよな……でも、そう見えてしまうんだ俺には。
 受付で話しかけても、返事はあまり返ってこない。
 でも俺は知ってる。
 目の前のこの人は、今言いたいことがあるはずなのに声に出せないことを。
 喉まででかかったその言葉をじっと待っていると、他人事ながらハラハラする。もうすぐこの人は呼吸困難で倒れてしまうんじゃないだろうか、と。
 結局言いかけてやめてしまう。
 そして去り際名残惜しそうにちらりと振り返る。そっと窺うようにちらりと。
 そんな姿を目にしたら、気になるのは仕方のないことじゃないか。しかも他の人には普通の態度だと分かればなおさら。
 俺は昔から可愛いものに目がない。
 子供に弱いのはもちろんのこと、大人だって可愛ければ関係なく弱い。
 この人が、俺のものになったらいいなぁ。
 そしたら毎日が楽しくて嬉しくて仕方ないだろうなぁ。
 だって周りが可愛いと思わなくたって、俺にとっては可愛いんだから。いいじゃないか。俺だけの可愛い人。
 きっと毎日その仕草を微笑ましく眺め、可愛くてぎゅっとしたくなり、胸が痛いくらい愛しく思うのだろう。
 そう思って好きだと告白したけれど、なかなか信じてもらえない。未だに『好き』と言われたこともない。
 どうしたらいいのかわからないまま、それでも少しずつ少しずつカカシ先生は慣れてきている様子だ。
 それを考えると、今日は格段の進歩だと言えよう。
 二人並んで歩き、ちょっと中忍連中では行けそうにない料亭の門をくぐった。
 おそらくその造りや雰囲気にふさわしく驚くほど値段の高い店で、遠慮したい気持ちでいっぱいなのだが、
「ここの魚は、おお美味しいんですよ!」
 と必死の形相で言われると、今さら帰るわけにもいかない。
 舌の上で蕩けるような刺身や美味しいお酒に舌鼓を打つ。
 料理を堪能し終わった後、カカシ先生が近づいてきた。
「イ、イルカ先生っ」
「はい?」
「ちょちょちょっと……」
 何かを始めようとしている。
 なんだろう。
 じっと見つめていると、おもむろに額あてをずらし、紅い焔の写輪眼が露わになった。
「よーく見てください、ここを」
 人差し指で左目を指し示された。
 言われなくとも、露わになった写輪眼に目を奪われる。回り始めた写輪眼は次第に加速していく。
 綺麗だなと思いながらぼんやりと眺めていると、カカシ先生が口を開いた。
「え〜と、あなたはだんだん眠くな…る」
 催眠術だ。
 へぇ、写輪眼を使ってできるんだ、と感心する。が、眠くはならないので効果の程は怪しいのではないか。
「あなたは、はたけカカシのことを、すすす……」
 ああ、好きになる?
 そんなお決まりの言葉を待っていたが、なかなか出てこなかった。
 大丈夫か、この人。
 誰かに入れ知恵されたのか自分で考えたのかは知らないけれど、催眠術をかけようと張り切っていたはずだ。
 今の場合告白ですらなく、ただの単語に等しいだろうに。もう『好き』という言葉は言ってはいけない言葉だと自己暗示にかかっているんじゃなかろうか。
 そして。
「……嫌いになる!」
 言い間違えたー!
 どどどうしよう。笑っちゃ悪い。笑っちゃ駄目だ。
 ぐぐぐと唇を噛みしめ、口角を引き締める。
 俺が吹き出すのを我慢している間、言った本人は真っ青になっていた。
「イ、イルカ先生……?」
 不安げに名前を呼ばれる。
 大丈夫、催眠術になんか掛かってませんよ、と笑顔で言おうとしてはたと止まった。
 今までずっと待っていたけれど、このまま待っていたとしてこの人は『好き』だなんて言ってくれるのだろうか。単語すら口にするのを躊躇うこの人を、待っているだけでは駄目なのかもしれない。
 そんなことを考えてつい物思いにふけっていると、何を勘違いしたのかカカシ先生は、
「イルカ先生、俺のこと嫌いになっちゃったんですか!?」
 と泣きそうな顔で叫んだ。
 たとえ催眠術が成功したとしても、それならそれで解けばよい話だろうに。そんなことも気づかず、まるで世界の終わりのような顔をする、天下の写輪眼が。
 それを見て、なにも言葉だけが全てではないと思った。
 言えないというのなら、どうしようもなく溢れるくらい気持ちが強くなるまで、言わなくたってかまわない。
 そう考えると気が楽になった。
「カカシ先生」
「は、はいぃ!」
 突然呼ばれて、カカシ先生は動揺を隠せない。
「ちょっとすみませんが、もっと近くまで来てください」
 にじにじと少しずつ近づいてくる。その愛しさに我慢できずにぎゅっと抱きしめた。
「わわっ!?」
 硬直した身体を落ち着かせようと、背中をポンポンと叩いた。
「なにか言いたいことがあれば言えばいいんです。俺は言いたいからきっとこれからも言い続けます、『カカシ先生が好き』だって」
 そう言うと、カカシ先生は真っ赤になって黙り込んでいた。
「さあ、帰りましょうか」
 声をかけると、カカシ先生は頷いて立ち上がった。
 そして。
「イ、イルカ先生っ」
「はい?」
「……て」
「て?」
「てっ、てっ、手を繋いでもいいですかっ」
 懸命に紡がれた言葉はどもっていたけれど、ちゃんと耳に届いた。思わず口元が緩む。
「はい、どうぞ」
 手を差し出すと、途中までおずおずと手が伸びてくるのに最後まで辿り着かない。
 あともう一歩。
 その一歩はきっと、この人にとっては千里にも等しいものなのかもしれない。
 それでも、ようやく握りしめられた手は、汗ばんでいたけど暖かかった。
 今日はこれで充分と思っていたら、カカシ先生はまだ何か言いたげだった。じっと待っている間も青い瞳がおどおどと揺れ動く。
 そして意を決したようにまっすぐに向けられた瞳。
「イルカ先生、すす…好きですっ」
 ずっと待っていた言葉は、今まで外に出なかった分だけ強い想いがこもっているように思えた。どうしようもなく嬉しかった。
「はい。俺も好きですよ」
 そう答えると、緊張で強張った表情で言う。
「世界中でこの手しかいらないんです、俺は」
 俺の手を望んでくれて嬉しい。
 溢れるくらい強く想ってくれて嬉しい。
「どうしても今日伝えたかったので……誕生日、おめでとうございます」
 最後に蚊の鳴くような声で祝われ、こんなに嬉しい誕生日は久しぶりだと思った。
 今までのはもちろんのこと、この先の人生の中でも特別な日になりそうだとも。
 おぼつかない足取りで歩く人と並んで帰る道中は、とても心満たされた夜だった。


END
2006.05.28初出
2012.06.23再掲


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