【氷の魔物の物語】

ダブルパロディです。原作は杉浦志保先生の漫画。


「なあ、もう戻ろうぜ」
ニンゲン。
「何言ってるんだ、ここまで来て」
ニンゲンだ。
「だってお前。この洞窟には血も涙もない氷のような魔物が棲んでるっていうじゃないか」
「でも、噂じゃすごい宝の山もあるって話だぜ」
それはたぶん俺が流した嘘。
欲望に駆られた人間がやってくるようにしむけるため、嘘を混ぜた夢を送る。そうすると面白いように引っかかってくる。
人間は餌にもなるが、それよりも今の俺は―――が欲しい。
「留守の間に宝石の一つや二つ、持って帰ってもわかりゃしねぇよ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
躊躇いがちながらも近づいてくる人間ども。
早くこっちまで来るといい。
俺の髪の毛がお前たちを捉えたらもう逃げられない。絡め取って引き寄せるだけだ。
そうして早く涙を流してくれ。死に至る前に。



この世で一番純粋な涙の雫は、たった一つだけ願いを叶えてくれる宝石になるという。
「これじゃない」
今度の人間も違った。失敗だ。
どれだけの人間を誘い込んでも、誰の涙も宝石にならない。
精気を吸い取った固まりは、無造作に放り投げると深い谷底へと落ちていく。底は暗くて狭くなっているが、かろうじていくつかの頭蓋骨の一部が見えた。
吐き出した溜息は静かな洞窟に響き渡る。
滅多なことでは誰も訪れない洞窟の奥。
その岩壁に堅固な術の掛かった氷で封じ込められた俺。動くのは顔と髪の毛だけ。
なんてえげつない術。永久凍土が溶けてもこの氷は決して自然には溶けないだろう。
退屈で無為な時間。
魔物の寿命に比べればたいした時間でなくとも、することがない時間は膿んでいくから。ここはどうしようもなくつまらない場所。どうせならいっそ眠らせてしまえばよかったのに。
俺をこんなところへ閉じこめたのは、金色の髪の僧侶だった。
ヘラヘラと笑う割には強かった。もちろん寺院の連中に仲間を人質に取られたりしなければ、俺だって負けやしなかったのだが。
捕らえられてこんな西の遠い地まで連れてこられた。
「カカシくん、君は身体は大きいけどまだ子供なんだね」
連行される間、ずっと側で監視していた僧侶は笑って言った。
馬鹿め、何が子供だ。俺は充分大人だ。
何百年生きてると思っているんだ。
「魔法をかけておくよ。君が人を思いやることを知ったときに解ける魔法だよ」
封じる直前、そんなことを言った。
僧侶のくせにアホじゃなかろうか。
どうせその場しのぎのくだらない言葉に決まっている。穏やかに微笑むその下には優越感と支配する喜びが隠されているに違いない。
「誰かを想うことで氷は溶け、きっと手に入れられるだろう。君の望むものを」
俺の望むものは自由。
封印の氷が溶ければ手に入る。けれど寺院の封印は強固で内側から破るには力が足りない。
だから願いの叶う涙の宝石が必要だ。
そう考えているうちにまた人間の気配がする。
おかしいな。まだ夢は送ってない。送らなければ、魔物の棲む洞窟に人間がやってくるはずがないのに。
不思議に思いつつ、息を潜めた。
やってくる人間はすべて涙の宝石を手に入れるチャンス。逃す手はない。
「えっと。誰か居ませんかぁ」
わざわざ声をかけるなんて間抜けだ。なんて愚かな獲物。
足場の悪い岩場で足元ばかり見つめている人間は、俺の姿にまだ気づいていない。が、後少しで髪の毛も届くだろう。もっと近づくまで我慢だ。
ようやく己の手同様の髪の毛が伸びる距離まで来て、さあこれからというところで人間が岩に足を取られた。
「あっ」
蹴躓いて転び、その勢いで谷底へ落ちかける。
このまま死なれたらせっかくのチャンスが水の泡。髪を伸ばして掬い上げた。
「わ。すごーい! 便利だね、この髪の毛」
便利。
死にかけたのに言うことはそれだけか。魔物に捕まったというのにこの呑気さはどうなんだ。
「ありがとう」
にこと笑いかけてくる。
なんだ、この生き物は。
「俺、イルカって言うんだ」
名乗った後、黒い瞳を輝かせてじっと待っている。
何を?
「名前はなんて言うの?」
俺が名乗るのを待っていたのか!
衝撃だった。
名前は力の源、一番簡単で強力な言霊。魔物が名乗るとでも思っているのだろうか。
笑い出しそうになったが、ずっと期待を込めて待っている姿に名乗ってもいい気になった。どうせすぐ殺すのだから名前を知られたって関係ない。
「カカシ」
素っ気なく言い捨てると、何が嬉しいのかぱぁっと顔を輝かせ、イルカは笑った。


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