【田舎に泊まろう!7】


が、嘆いていてもしょうがない。
向こうが何とも思っていないのなら、それを利用してしまえばいいと開き直った。
「そうですか? 自分ではこれが普通なんですけど、他の人から見たらもしかしてスキンシップが多いのかも」
普段は自分から人に触ることなんてほとんどないから、マネージャーのアスマが今の言葉を聞いたら銜えていた煙草を噴き出すかもしれない。でも、これからこれをイルカ先生限定の普通にしていくつもりだから嘘じゃあない。
思い切ってイルカ先生の身体を引き寄せて、腕の中に抱き込んだ。
「この方が暖かいですよ」
勝手な建前は受け入れられたので、心置きなくイルカ先生を堪能させてもらおう。
石けんの匂いが鼻腔をくすぐり、腕の中の温もりに胸は高鳴った。
が、イルカ先生はその暖かさに眠りを誘われ、早々に寝入ってしまった。なんたる無防備。
俺は今夜この状態で眠れるだろうかと心配していたが、イルカ先生の穏やかな寝息が子守歌代わりになったのか、いつのまにか眠りに引きずり込まれ、気がついたら朝を迎えていた。


目を覚ますと、腕の中の温もりはすでになく、残念すぎて溜息が漏れた。
「おはようございます、カカシさん」
「あ、おはようございます」
朝の挨拶。
そうか、一緒に寝ると朝一番最初に会えるという特典もあるんだな。
「よく眠れましたか」
「おかげさまでぐっすりでした」
本当にあれほど熟睡したことなんてなかった。イルカ先生のおかげだと断言していい。
何か安眠成分でも出してるんだろうかなどと考えていると、イルカ先生が何か言いたいことがありそうな表情なのに口をつぐむ。
「えっと、何か?」
「……すみません。実はこれしかなくて……」
と言って、あんぱんを目の前に突き出した。
しかも一個しかないらしい。突然やってきたのが悪いのだから謝るのはこっちの方だというのに、イルカ先生は生来の人の良さで困っている。
「ああ。いつも朝は食べないからいいですよ。イルカ先生が食べてくれれば」
起きたばかりで何か食べる習慣はなかった。イルカ先生の食べるものまで譲ってもらう必要はないし、たとえ食べるにしたってそこまで迷惑をかけるのは申し訳ない。
「何言ってるんですか! 朝ご飯を食べないと一日が始まりませんよ!」
猛烈に怒られた。
いまいち怒られた理由が理解できなかったが、怒ったイルカ先生も可愛かったので大人しく頷いた。
すると、イルカ先生は満足そうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、半分わけしましょう」
甘いものは苦手だけど、二人で分けるという行為は魅力的だった。半分に割ってたっぷり詰まったあんこが見えるパンを受け取った。
甘いあんこに顔を顰めそうになったが、イルカ先生が美味しそうにパンを噛み締める顔を見るのは楽しい。口の中にあるパンを牛乳で流し込みつつ、観察に余念がなかった。
「イルカ先生、今日は休みなんでしょう? 泊めてもらったお礼に何かお手伝いさせてください」
「お手伝い……」
「ええ。ぜひ」
俺にできることだったら何でもしてあげたいと思う。頼りになるって思われたいしね。
イルカ先生はしばらく考え込んだ。
「えーっと、屋根の修理を手伝ってもらっていいですか」
雨漏りがするのだが、一人でやるのは億劫でつい後回しにしていたのだと言う。
手伝えることがあってよかった。意気込んで外に出た。
外に出て見てみれば、掘建て小屋と言ってもいいくらいの小さな家。むしろ雑木林に囲まれた部屋という感じだ。
「ここは大地主さんの土地の一角にある離れなんです。母屋はもう少し先にあるのが見えるでしょう」
「ああー、あれ」
おそらく昨夜は木に阻まれて明かりが見えなかったのだろう。
しかし、幸運だったと言える。だってそうでなければイルカ先生に出会えなかったのだから。
そのお礼にと張り切って屋根に登った。俺一人で直そうと思ったが、イルカ先生も登ってきて二人で作業に没頭した。
意外に手こずり、昼近くまでかかってしまった。作業を終えて、屋根の上でそのまま一息つく。
「ここは景色がいいですねぇ」
「ええ。村が見渡せるでしょう。気に入ってるんです」
たまに登るのだという屋根の上は、太陽の熱で少し温まって気持ちがよかった。空は晴れ、雲が流れていく。
きっとイルカ先生はこの村に愛着があり、こういうのどかなところで暮らしていくのが好きなのだろう。都会の喧噪は似合わない気がする。
屋根から降りて、昼飯はにうめんだった。具材なしの温めた素麺だけ。
「料理はあまり得意じゃなくて」
昨日食べさせてもらったカップラーメンは、備蓄食ではなく普段からよく食べるのだと聞いた。あの濃い味付けをいつも食べるってどうなんだ。しかもナルトの話によればラーメン屋によく行くはずじゃなかったか。
毎日それでは栄養失調になったりしないかと心配になった。俺でもそこそこ自炊はするというのに。
俺の不安をよそに、イルカ先生が口を開いた。
「カカシさん。駅まで送っていきますよ」
「え」
「東京へ帰るんでしょう?」
突然と言われた言葉に愕然となった。
そりゃそうだ。泊めてもらっただけなのだから別れは来る。でも忘れていたかった。
そういえば仕事だったんだ、と今朝から放り出したままのハンディカメラを見て思い出す。
もっと一緒に居たかったけど、今はどうしようもない。
とりえあず駅まではイルカ先生と一緒だと自分を鼓舞し、家を後にした。
「なんだ、こんなに近かったんだ……」
「そうですよ。意外と近いでしょう?」
あれだけ村の中を彷徨ったのに、駅まで歩いて三十分程度。しかも新幹線の駅なのだ。東京までは一時間半もかからないと言う。
俺が撮影は近場と言ったわがままを、あのディレクターはちゃんと叶えていたようだ。
「これなら新幹線通勤もできそうだよね」
にんまりと呟く。
「え?」
イルカ先生は俺が何を言ったか分からず、首を傾げた。
たまに泊まりにくるだけじゃただの友達と同じ。やっぱりイルカ先生くらい鈍い人は一緒に住むぐらいしないと駄目だろう。
「また戻ってくるから。次も泊めてね」
そう言ったが、イルカ先生は俯いてしまって返事がない。
あれ、もしかしてもう泊める気はなし?俺、何か気に障ることしたっけ?と焦っていたら。
「……次っていつですか?」
少し目を潤ませながらイルカ先生が呟く。
「イルカ先生……」
「すみません。俺、駄目なんです、こういうの。卒業式もすぐ泣いちゃって」
泣かないように唇を引き結んでいたが、次第に身体が小刻みに震えてきて、とうとう涙が溢れ出した。
俺と別れるのが寂しくて泣いているのかと思うと感極まって、思わずぎゅっと抱き締めた。
「週末にまた来ます」
「へ?」
ぼんやりとイルカ先生が顔を上げる。
「今週末。絶対約束だから、待っていてね」
イルカ先生は涙の溜まった目を擦ると、うっすらと笑みを浮かべて頷いた。
「それじゃあ、また」
さよならは言わず、また会おうねと約束する。
プラットホームまで行くと辛くなるから、とイルカ先生は改札で手を振った。何度も振り返ったが、振り返る度に手を振っている。
ホームを進んでいくと、そのうち姿が見えなくなった。
どうしようもなく寂しい。まるで身体の一部を失ったような気がして、胸をぎゅっと押さえた。
「カカシさん、バッチリですよ!」
突然と掛けられた声はそれほど大きくはなかったが、現実に引き戻すには充分だった。ぼんやりと声の方向へと顔を向ける。
「いい画撮れました」
撮影用カメラを持ったスタッフと共に、昨日のディレクターがにこやかに近づいてくる。
「撮れたって……もしかして付いて来てたの!?」
「ははは。あたりまえじゃないですか。テレビなんだから、カカシさんのハンディカメラだけじゃ放送は無理ですって」
油断させておいて遠くから隠れて撮っていたのだと言う。
危ねー。調子に乗ってお別れのキスとかしなくてよかった!っつーか、どこまで撮られてたんだ?
東京に戻ったら、あますことなくすべてチェックしてやる。
とりあえずイルカ先生が映っているのは全部ダビングしてもらおう。もちろんハンディの分も。そんでもって、イルカ先生の可愛いショットは放送禁止にしなくちゃ。だって全国に見せるなんて勿体ない!
ああ、早く週末にならないかなぁ。早く会いたい。
新幹線の窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めながら、そう願うのだった。


END
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2010.07.04


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