【ひとめ会ったその日から10】


目の前に立っていたのは同僚だった。
「あ、アスマ」
思わず名前を口にしたが、なんでこいつがここにいるんだろうとぼんやりと思った。
が、よくよく考えてみれば同じ健診日の人間が何人かいると庶務に言われた気がしないでもない。
その割には今まで顔合わせなかったなぁ。
始める時間が違うと回る順番も違ってくるのかもしれない。
「お前が健康診断に来るなんて、明日雪が降るかもな」
にやりと笑った髭熊は、いつもの煙草がなくて手持ち無沙汰に見えた。
病院は禁煙だから居心地が悪いのだろう。落ち着かなげに周りを見渡し、俺の側にいる人物に目を留めた。
イルカさんは知り合いとの話に割り込むのはよくないと思っているようで、一歩下がって控えめに待っている。
その姿を見て思った。
あ、やだな。アスマには紹介したくない。
だってもったいないから。
なにがもったいないって口では説明はできないけれど、そうとしか言いようがない。
「何。お前の知り合い?」
「カカシさんと一緒に健診を回ってるうみのイルカと言います」
ぺこりと愛らしくお辞儀をする。
アスマが興味を示したことで、イルカさんは話の輪に加わる気になったらしい。
元々人懐こそうな人だから仕方ないとはいえ、なにも自己紹介までしなくても!
「俺はこいつの同僚の猿飛アスマだ。一緒に回ってるって?」
「はい。カカシさんは健診初めてだって聞いて、お役に立てればと思って」
イルカさんはにこにこと笑顔で答えている。
が、内容は顔を覆いたくなるような話題だった。
今朝出会った時の話なんかを簡単に説明し出す。一番聞かれたくない部分だ。
「ははぁ。『ボクちゃん不安なのぉ』って泣きついて案内してもらったってワケか」
「五月蠅いよ、髭」
蹴り上げる真似をすると、げらげらと笑いながらも避ける。
さっさとどこかへ行ってしまえと念じたが、髭熊は人間よりも鈍感なのかすました顔をしてイルカさんの隣に居座っている。
「へぇ、アカデミアサイエンスなら俺の担当会社のすぐ近くだ。もしかしたらどこかで擦れ違ってるかもしれねぇな」
「そうなんですか!」
和気藹々と会話する二人に、俺一人取り残される。
呆然と立ち尽くした。
「俺は遅刻ギリギリで来たから、まだまだ検査が残ってるんだ。じゃあな」
「はい、頑張って」
励まされた髭は機嫌よく去っていった。
肺に黒い影でも見つかって精密検査になってしまえ!
心の中で罵倒するだけなのが悔しい。が、まさか病院で大声で言うわけにもいかず口をつぐんだ。
その後はイライラしっぱなしのまま、医師による簡単な触診と問診があった。
はっと気づけばそれで健診は最後だった。
あっさり半日弱の健康診断は終わってしまった。検査結果は郵送されるという。
会計で代金を支払ってそれで終了。もうここに居る必要性はなくなったのだ。
周りを見渡せば、朝の混雑したロビーと同じ場所とは思えないくらい人はまばらだ。
一抹の寂しさを覚えた瞬間、腹の虫がぐぅと鳴る。
とっさに腹を押さえると、イルカさんも同じく腹を押さえた。みるみる赤くなるほっぺたが可愛い、とちょっと場違いな感想を胸の内に抱いた。
イルカさんは自分の腹が鳴ったと思ったらしい。でも俺も鳴った気がする。
腹が鳴る時って無意識だから、案外自分のか他人のかわからなかったりするんだよな。
二人で見つめ合って苦笑する。
どっちが鳴ったのかよくわからずじまいだが、問題は二人とも腹が減っているということだ。
「イルカさん、お昼ご飯はどうするんですか」
「あの、おにぎりを握ってきたんです。そこの公園で食べようと思って」
さすが毎年健診受けているだけあって、用意周到。
病院の前にある公園で食べるなんて、すごくイルカさんらしい。
そうか、イルカさんの手で握ったおにぎりかぁ。いいなぁ。
よっぽど俺が物欲しそうな顔をしていたのか、躊躇いがちにイルカさんが尋ねてくる。
「よかったら一緒に食べませんか。味の保証はありませんけど」
「ホントですかっ」
渡りに船。
もうお別れしなければならない時間が迫ってきている中、そんな美味しい誘いに乗らないわけがない。
「ぜひお願いします!」


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