【君よ知るや南の島3】


嬉しそうに駆け寄ってくるのを、つい顔が綻んで眺める。
「イアオラナ」
覚えたばかりの挨拶を口にすれば、満面の笑みを浮かべて返してきた。
「イアオラナ!」
これぐらいで喜ぶなんて、可愛いなぁ。
どうしたらもっと笑ってくれるだろう。
そんなことばかり考えている自分に驚く。
海から上がったばかりで、髪からは水が滴っている。
濡れているせいで、黒い髪が更に黒く艶やかに見えた。
「えーっと、『ドウシテ…薬…クレタ?』」
村長にもらった会話集を頼りに、たどたどしく聞いてみた。
少し戸惑いながらも
「ロウル、ネヘネヘ」
と言って俺の髪にちょこんと触る。
触った瞬間に怒られないかとでもいうように、すぐに手を離して不安げな顔を向けた。
えーっと「ネヘネヘ」ってなんだ。
本をパラパラとめくって探す。
「髪、きれい」?
つまり俺の銀髪が珍しくて触りたかったってことか?
たしかにここでは色素の薄い髪は珍しいのだろう。
けれど、なぜかそのことが嬉しかった。
「いいよ、触っても」
掴んだイルカの手を自分の頭に導けば、瞳を輝かせた。
優しく触れてくる手は、うとうとと眠りを誘うぐらい心地よい。
水に浸かっていたせいか、少しひんやりとした手。
海水の匂いに混じってかすかに感じるお日様の匂い。
もう少しだけこのままだといい。
そんな夢心地でいた時。
髪を手に取って唇を寄せられる。
「うわっ」
つい叫んで身体をのけぞらせると、少し怯えたような視線を向けてきた。
「リリ?」
怒ったのかと聞かれて、ただ顔を横に振ることしかできなかった。
そうじゃない。
別に怒った訳じゃない。
ただびっくりしたんだ。
そんな恋人にするような仕草をされて、少し慌ててしまっただけ。
どうしてだろう。
今まで誰も触れてこなかったわけでもないのに、何故イルカだとこんなに過剰に反応してしまうのだろう。
そんな風に優しく愛おしげに触れられたことがなかったからかもしれない。
きっと頬が熱いのは、この照り返す太陽のせいだ。
考え込んでいた頭を上げると、つぶらな瞳が不安に揺れていて、胸が痛んだ。
「大丈夫」
と笑って頭を撫でれば、少し安堵したようにかすかな息を吐く。
それから何かいいことを思いついたように瞳を輝かせた。
腕をぐいぐいとひっぱられて、何処かへ連れて行こうとしているのだと悟る。
もしかして怒らせたお詫びのつもりなんだろうか。
そんなことを気に病むことはないのに。
そうは思ったが、腕に触れてくる手が心地よく、また懸命に連れて行こうとする場所に興味が湧いて、大人しくついていった。
熱帯植物の木々の間をすり抜けて歩き続け、急に目の前に広がった光景に心を奪われた。
透明な水に白い砂の底が映っている、奇跡の海がそこにあった。
足で踏みいれるのも惜しいくらいのブルーの海。
呆然としているうちにいつの間にか水の中に導かれていた。
遠浅の海底には一面の珊瑚礁。
その目の前を70センチくらいの鮫がさやさや泳いで横切っていく。
「うわ。鮫!?」
いくら小さくても鮫は鮫。
緊張に身体を強張らせていると、イルカは笑って一人で泳ぎ始めた。
鮫と戯れるように前になり後ろになって泳ぐ姿は、不思議な海の生き物にしか見えなかった。
まるで兄弟のように。
恐る恐る泳ぎ出せば鮫が近づいてきて、「しょうがないから泳いでよし」とでも言うように尾ビレで足をペシンと叩いていった。
この広い中に誰一人見あたらないのは、きっとここがイルカだけの秘密の場所だからなのだろう。
自分だけの大切な場所に許されて、今ここにいる。
それはまるで心臓の裏をくすぐられているような気分だ。
きっとここは本当の楽園なのだと思ったのだった。


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2002.08.03


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