【地震雷火事、海豚】
泣く子には勝てない」の続編です。


 その日、イルカは朝からどことなくそわそわしていた。
 大旦那のサクモから火影堂から大事な来客があると聞いていたので、使用人一同もそのように心構えしていた。
 最初はそのせいでイルカが緊張しているのかと思っていたのだが、それにしても様子がおかしい。どちらかといえば緊張というよりは客が来るのを楽しみに待っている風だった。
 逆に、若旦那のカカシの機嫌の悪さは地を這っており、みな戦々恐々としていた。触らぬ神に祟りなしとばかりに、出迎えの準備などはすべて若奥様のイルカへと指示を仰ぐこととなり、それが更にカカシの機嫌を悪化させていた。



 イルカは、先程から店の前の大通りに出たり店先に戻ってきたりを繰り返している。
 そんなとき大声で名前を呼ぶ声が聞こえた。
「イルカ先生!」
「ナルトっ」
 金色のかたまりが駆け寄ってくる。
 イルカは飛びついてきた子供を抱きしめ、うっすらと涙ぐんだ。
「ずっと会いたかったんだってばよ!」
「俺もだよ。あんな形で別れたからまた会えてよかった。……背が伸びたんだな」
 イルカが嬉しそうに目を細めると、ナルトはちょっぴり自慢げに鼻をこすった。
「へへへ」
「あの後、火影堂に引き取られたって聞いて驚いたよ。女将さんも……あ! じゃなくて五代目でしたね」
 先程までは失礼があってはならないと気を引き締めていたのに、馴染みの顔を見てイルカも気が緩んでしまったらしい。慌てて言い直すイルカに綱手は笑った。
「ああ、いいんだよ。お前と私の仲じゃないか。そう堅苦しくしなくても、なぁ?」
 綱手は、イルカの隣でぶすっとしているカカシにも同意を求めた。
「そーですね。あなたが火影堂の後継者だなんて驚きでしたけど」
「ははは。長い人生いろいろあるさ」
 豪快に笑い飛ばしているところへ、サクモが遅れてやってきた。
「この度は家督をお継ぎになったそうで。おめでとうございます」
「こちらこそ今後ともよろしく頼むよ」
「さあ、奥へどうぞ」
 店の真ん中でいつまでも立ち話をしているわけにもいかず、サクモに勧められ奥の座敷へと上がることとなった。
 しかし、皆がふかふかの座布団に座り、さあ話をという時に綱手が口を開いた。
「ナルト、大人の話は長くなって退屈だろう。ちょっとはたけ屋の裏方を見学させてもらって来な。イルカに案内してもらってもいいかい?」
 サクモに尋ねると『もちろん』と快諾する。イルカとナルトはお互いの顔を見交わしてから嬉しそうに部屋を出て行く。
「じゃあ、俺も一緒に」
 とカカシが言うと、
「まあまあ。若旦那にはまだ話があるから残ってもらわないと困る」
 と綱手が引き止める。
「ナルト君のことはイルカさんに任せておけば大丈夫だから、お前はここにいるといい」
 サクモまでもがそんなことを言い出し、カカシは嵌められたとようやく悟る。
 どうやら綱手はイルカの落籍の件で怒っており、あの時の意趣返しをしたいと狙っていたらしい。それを聞いたサクモが『子供相手に大人げない。きつくお灸を据えてやってください』と頼んだとか。
 そういう事情があっての本日の訪問だった。



 そんなこととは露知らず、イルカとナルトは二人仲良く歩いていた。
「イルカさま、今日もお元気そうで」
「ありがとう。カザブネさんも元気そうでなによりです」
「奥さま。前に頼んでおいた小間物の荷が届きましたよ。後で見てやってくだせぇ」
「本当ですか! 今は手が離せないけど、後で必ず」
 少しの距離を歩くだけで次々と使用人が声をかけてくる。
 イルカはそれに笑顔で応え、使用人たちもその笑顔を見て力を蓄えて仕事に戻る。最近の日常風景だ。
「おい、坊主。奥さまと一緒に並んで歩いてたら若旦那に叱られるぞ。こっちへこい!」
 そんな心配をして声をかけてくる者までいた。
「ガンテツさん。ナルトは丁稚じゃなくて、火影堂からのお客様なんです」
「はっ、そりゃまた失礼いたしました!」
 ガンテツと呼ばれた人足は頭が地面に着かんばかりに腰を折って謝っていたが、ナルトはまったく気にしてなかった。むしろ物珍しそうにきょろきょろと周りを見て興味を示す。
「それよりもおっちゃん、あっちのでっかい樽は何?」
「おお、あれはだな……」
 物怖じせず聞いてくるナルトにガンテツは気をよくして、あれこれと説明してくれる。一通り荷駄を見て回り、礼を言って別れた。
 それから二人は中庭の方へと移動し、縁側に座って庭を楽しみながら用意しておいた甘味を食べる。
 ナルトは口の周りに餡をつけながら言う。
「俺、本当は心配してたんだ」
「何を?」
「イルカ先生がここでちゃんと暮らしてるのかなぁって。ほら、みんなに苛められてないかと思ってさ。でもみんな良い人そうだ」
 足をぶらぶらさせならがナルトは笑った。
 太夫だった人間が嫁に来たと聞けば周りがどういう反応を示すか、ナルトでも知っていた。意地悪をされたりしないか、子供心にずっと心配していたのだ。
「ナルト……ありがとう。はたけ屋の人たちはみんな良い人ばかりだよ」
「うん。イルカ先生が毎日笑って過ごしてるってわかったから、俺安心したってばよ」
「ナルトは?」
「え?」
「ナルトは毎日どう過ごしてる? 火影堂で寂しくしてないかい?」
 いくら綱手がいるとはいえ、知らない家にたった一人でいるなんて辛い思いをしているのではないか。周りに受け入れられず片意地を張ってしまうこともあるのではないか。
 が、そんなイルカの心配は杞憂だった。
「俺さ俺さ。今、寺子屋に通ってるんだ」
「そうなのか!」
「たくさん友だち出来たんだってばよ! シカマルだろ、キバだろ、チョウジにシノ、サクラちゃんにヒナタやイノ。他にもいるんだぜ?」
 自慢げに胸を張るナルトに、イルカはよかったと安堵の息をそっと吐き出す。それと同時にナルトのことを考えてくれている綱手にも感謝の思いでいっぱいだった。
 やはり同い年の友だちは大事だ。ナルトの表情が活き活きと輝いている。
 こうしてよく遊んでよく学んでいけば、ナルトは努力家だからきっと将来火影堂をうまく切り盛りしていくようになれるだろうとイルカは思った。
 そんな風にイルカが温かい目で見守っている中、ナルトの話は続いていた。
「すっげぇんだぜ。その貰った部屋っていうのが、前に住んでた長屋よりも広い部屋なんだってばよ!」
 ナルトに与えられた個人の部屋は、今までと比べものにならないくらい広いのだと言う。
 たしかに天下の火影堂。そこらの長屋と比べたら罰が当たるというものだ。イルカが苦笑すると、ナルトは自分の話を信じてないと勘違いして溜息をついた。
「ホントだってば。あ〜あ、イルカ先生にも見てもらいたいよ。そうすれば信じてもらえるのに」
 そう言ってから、はっとした。
「そうだよ、見てもらえばいいんだ。イルカ先生、俺ん家に遊びに来てよ!」
 イルカもそうしたいのは山々だった。どんなところに住んでいるのか見てみたいというのは心から思っている。しかし、店の仕事を手伝う身としては気軽に出かけるわけにはいかないという思いから、容易く頷くことができない。
 ナルトもそれを察して、先程の勢いは霧散してしまった。わがままを言って困らせたかったわけではなかった。
「そっか、そうだよなぁ。イルカ先生も忙しいんだよな。ホントは寺子屋のみんなにも紹介したかったんだけど……」
 最後はほとんど聞こえないくらいの呟きになる。
 そんなナルトの姿を見ると、イルカも心が痛んだ。
「もう大人の話も終わっちゃったかな。戻ろうか、イルカ先生」
 ナルトは健気にも話題を変えてイルカの心を少しでも軽くしようとしている。
 思いきってカカシさんに聞いてみよう。聞くだけなら悪いことじゃないよな、とイルカは自分に言い聞かせ立ち上がった。



「どうだった、ナルト」
「すっげぇ面白かったってばよ! おっきい樽や木箱がたくさんあったし。船で運ばれてくるんだって!」
 綱手の問いに明るく元気よく答えるナルト。
 そりゃあよかった、と綱手達も満足そうだった。
 皆が楽しそうな中、カカシは一人不機嫌そのものだったが、それなりに大人しくしていた。
 そんなところへイルカが躊躇いつつ声をかける。
「あの……カカシさん」
「何? イルカ、どうしたの」
 カカシは不機嫌な表情を少し緩めた。
「火影堂へ遊びに行ってもいいでしょうか……」
「なんだって?」
「あの、ナルトの住んでいるところも見たいし。大店の様子も見学して勉強したいんです。だから……」
 ナルトの寂しそうな姿を思い出して、思いきって言ってみたのだが、言っているうちにだんだんと声にも力がなくなっていく。
「……やっぱり駄目ですか?」
 いくら鬼畜なカカシといえど、しょんぼりと項垂れるイルカに逆らえるはずがあろうか。
「そうですよね。仕事を放り出して出かけるなんて無理な話ですし……」
「いいよ、行ってこれば?」
「え?」
 カカシの言葉に、イルカは驚いて目をまん丸く見開いた顔を上げる。
「火影堂からの招待なんでしょ。接待されてきたら?」
「本当ですか!」
 イルカの表情がぱぁっと輝く。
 さすがのカカシも、説教を食らったすぐ後で駄々を捏ねるわけにもいかないし、イルカの喜ぶ姿も見たかったということだろう。
「ただし。早く帰ってきて」
 カカシがこっそり耳打ちするように強請ると、イルカは嬉しそうに『はい』と答えた。
「そうとなれば善は急げ。今日、今、これからすぐに遊びにおいで!」
 綱手が勢いよく立ち上がった。
「ええっ、今から!?」
「そうそう。お子様の気が変わらないうちに行った方がいいさ」
「俺はお子様じゃないし、気が変わるわけないってばよ!」
 ナルトが憤慨して抗議すると、綱手は笑っていなす。
「わかってるわかってる。お子様ってのはお前のことじゃないよ、安心しな」
 綱手はナルトの頭をくしゃりと掻き回すと、まるで今思いつきましたと言わんばかりの顔で嘯いた。
「今からだと着くのが遅くなるねぇ。また戻ってくるとなると暗くて危険だし面倒だ。今日はうちへ泊まっていきな」
「やったぁ!」
 喜ぶナルトが早く早くとイルカの手を引っ張り、部屋を出て行く。
「なっ! 俺はそこまで許してな……」
 カカシが引き止めようとすると、綱手がにやりと笑って言った。
「よく若旦那が使ってた手じゃないか」
「へぇ、そんな手を使ってましたか」
「〜〜〜!!」
 綱手ばかりかサクモにまで口を出してこられては、カカシもたまったものではない。今日の所は諦めるしかないだろう。
「邪魔したね。ありがとさん」
 綱手は颯爽と肩で風を切って出ていったのだった。



 翌日。
 イルカは少々気が急いていた。火影堂のお泊まりはそれはもう楽しかったのだが、ナルトの友人たちに会ったり綱手に引き止められたりなんやかやで、結局はたけ屋へ帰ってきたのはまもなく暮れの六ツ半という遅い時刻だった。
 早く帰るとカカシと約束はしたものの、それを破ってしまって申し訳ない思いでいた。
「奥さま、お帰りなさいまし」
「ただいま帰りました。遅くなってしまってすみませんでした」
「よろしいんですよ」
 皆が皆優しく出迎えてくれ、留守を責めるような言動は一つとしてなかった。それがかえってイルカを恐縮させる。
「何か変わったことはありませんでしたか」
「いえ、いつも通りですよ」
「それはよかった。……あの、カカシさんはどちらに? 船橋屋の練羊羹をお土産に買ってきたんですけど」
 イルカにしてみれば、早く帰ると約束していたのにこんなに遅くなり、せめて甘いものでも一緒に食べようという心配りだったのだが。いつも通りだと答えた番頭が、気まずそうに口ごもった。
「あ、若旦那はちょっと……」
「え?」
 説明を聞くうちに、イルカの顔色はみるみる青くなっていった。
 カカシはまだ今朝から一度も自室から出てきていないのだそうだ。今日はどうしても指示を仰ぎたいことがあったのだが、しかたなくこちらで判断してしまった、などということを聞かされ、イルカは慌てて部屋へと足を運んだ。
「カカシさん!」
「イルカ? 帰ってきたの?」
布団の中からくぐもった声が聞こえる。
「はい、遅くなってしまってごめんなさい。仕事をしないで一日中寝てたって……具合が悪いんですか? お医者様を呼びましょうか?」
 心配でおろおろするイルカに、カカシはがばりと起きあがり平然と答えた。
「別にどこも悪くないよ」
「どこも悪くない?」
 イルカは首を傾げた。
 具合が悪いから一日部屋から出てこなかったのではないのか、とカカシの言葉を不思議に思った。しかし顔色は健康そのもの、とても体調を崩しているとは思えなかった。
「昨日からイルカがいないから仕事する気がしなかっただけ」
 ただ拗ねているだけで、その上最近では見かけなくなった怠け癖を復活させてしまったらしい。道理で番頭が『いつも通り』と言い切ったはずだ。
「しなかっただけって……! どういうことですかっ」
「どういうって、いつもやってることだけど」
 カカシの仕事は主に仕入れと販売促進。人があっと驚くような品物を仕入れてきては評判を呼ぶその手際ときたら、天才的と言っていい。
 しかし、そんな流行の最先端を行く商品は年に何度かあればいいもの。普段は地道に客の好みの傾向を探って、需要と供給の均衡を取っているのだ。その仕事は主に長年勤めてきた手代たちが取り扱っている。
 そんなわけで、実際カカシが毎日働く必要はあまりない。
 ただ最近はイルカが働いている隣にいたいが為に店にもちょくちょく顔を出していたので、イルカは勘違いしていたのだ。カカシは働き者なんだと。
「みんな一生懸命働いているんですよ!」
 それなのにどうして自分だけがのんびり寝ていられるのだろう。イルカには信じられなかった。
「えー。だってぇ」
「だってじゃありません! みんなにどれだけ迷惑をかけたかわかってますか?」
「俺が指示しなくたって、うちは下のモンが優秀だから大丈夫だよ。現に自分で判断して仕事したって言ったんでしょ? やればできるんだから、あんまり俺に手間かけさせないで欲しいなぁ」
 カカシは欠伸混じりにそう言うと、あれだけ寝たのにまだ寝足りないのか布団に手を伸ばす。
 しかしイルカがそれを許さず、布団は引っぺがされた。
「働かざる者食うべからず、です。今日の夕餉は抜きですよ。反省するまで正座してなさい!」
 外まで聞こえるくらい良く通る声だった。



 店先の板の間に、ずっと正座させられている人影がある。
 カカシだ。
「ねぇ、イルカ。反省してます。だからもういいでしょ?」
「駄目です!」
「そんなぁ」
 イルカの怒りはなかなか解けることはなく、ずっとこの調子なのだ。
「おやぁ? カカシはどうしたんだい」
 朝から出かけて一日中留守にしていたサクモが帰ってきて、のんびりと店の者に声をかけた。
「奥さまに言われて反省中なんです」
 手代が今日の出来事をこれこれこうと説明すると、サクモがにこにこと笑いながら言った。
「ああ。カカシにとっちゃ『地震雷火事海豚』だねぇ」
 この世で怖いものは、地震に雷・火事。そして一番怖いものはイルカ。
 綱手の説教でさえたいした効果はなかったというのに、今のカカシは青菜に塩状態だ。絶大の効果を持っていると言えよう。
 それは大切であるが故に逆らえない、一番の弱点に怒られ許されていないのだから、仕方のないことだろう。
 サクモの言葉を聞いて、従業員一同大きく頷き、笑い合ったのだった。


 その後のはたけ屋の商いは、しっかり者の奥方のおかげでますます繁盛したと聞く。


2006.05.03初出
2012.04.28再掲


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