【泣く子には勝てない5】


「え。イルカ先生、来られないの?」
ナルトは目を見開いて綱手を見る。欄干に座ってブラブラさせていた足を止め、傘を持ったまま器用に飛び降りた。
「悪いね。急な用事ができちゃってね」
「……それって、もしかして仕事?」
「あー、まあね」
勘の鋭い子だな、と綱手は思った。適当に誤魔化すわけにはいかないようだ。
「あのカカシって人だろ」
「ああ」
しばらくナルトは遠くを眺めたまま黙り込んでいる。その後、綱手の耳に届くか届かないかぐらいの小さな声で呟いた。
「イルカ先生はあの人のこと、どう思ってんのかな」
昨日からずっと気になっていた。ただの客ならばそれがイルカの仕事だとナルトも思えたのだが、あんな嬉しそうな笑みを浮かべられては、聞くまでもない気はしていた。
「たぶんイルカは本当に好きなんだろう、客とかじゃなくて。あの子はすぐ顔に出るからねぇ」
綱手がそう言うと、ナルトはどこかが痛むような表情をした。
「廓にいたら、そうそう本当に好きになる相手になんて出会えるものじゃない。運命の相手とやらがのこのこやってくる確率は限りなく低いからね。自分の客になるかどうかもわからない。そういう意味ではイルカが初めて会ったのがあの男だったのは、すごい幸運だと思うよ」
「……うん」
ナルトがあまりにも項垂れているので、綱手は少しでも慰めようと言葉をかけた。
「あの若旦那はちょっと馬鹿なことをやったりするけど、イルカ一筋なのは間違いないよ」
「うん、わかってる」
ナルトにもわかっていた。
あの人はイルカのことしか目に入らないくらい好きで、自分以外が近づくのを快く思っていない。そうでなければあんな風に牽制されたりなどしないだろう。
「俺……すごい金持ちの家に産まれたかったってばよ」
ナルトは俯いたまま足もとの石を蹴った。
もしそうであれば、毎日妓楼にいるイルカに会いに行くことだって可能だし、綺麗な着物や簪を贈ることだってできる。イルカの見る目だって変わるかもしれない。
「イルカがお金のあるなしで差別するような人間だと思うのかい?」
綱手の言葉にナルトはハッと顔を上げ、思いきり首を横に振った。
「思わないってばよ」
イルカはお金があるとかないとか、そんなことで人を見たりしない。ナルトの髪の色も気にしたことなど一度もなかった。むしろ綺麗だよ、と撫でてくれることすらあった。
「イルカはナルトの存在そのものを好きだと思ってるよ、きっと」
裕福かどうかはまったく関係ない。イルカはその人自身の良いところを見てくれているだから。そういう意味で人を羨む必要はないんだよ、と綱手は言っているのだ。
たとえそれが恋愛感情ではなかったとしても。
「……うん。ありがと、バアちゃん」
ナルトが礼を言うと、綱手は少々ムッとした表情を作る。
「ネエちゃんと呼びな」
「え〜っと、ネエちゃん?」
「そうそう」
綱手が満足そうに頷いている時に、でも、とナルトは心の中で思う。
せめてもう少し早く産まれたかった。そうすれば、もしかしたら自分が一番だったかもしれないじゃないか。
そんな不可能な仮定をしてみたところでどうしようもないことぐらいわかっていたけれど。
ナルトはしばらく黙り込んでいたが、ぷるぷると頭を振って後ろ向きな自分を振り払った。
とりあえず読み書きぐらいはできないと、いくら内面を見てもらっても恥ずかしいことこの上ない。今日は一人で練習してイルカをビックリさせてやろうと意欲を燃やし始めた。
その姿をじっと見つめていた綱手は、ナルトが落ち着いた頃を見計らって話しかけてくる。
「雨が上がればきっと若旦那も家へ帰るだろう。それまで代わりに私が教えてやるよ」
「ホント!?」
「どこまで出来てるのか見るから、私の家まで来な」
「うん」
渡された草子を胸に抱え、ナルトは綱手について行く。
「ところで、前にどこかで私と会ったことはないかい?」
「知らないってばよ」
「そうか……そんな気がしたんだがね」
なんとなく覚えがある気がする、と綱手は首を傾げた。だからどこかで会ったことがあったのかと思ったのだが。違うとしたらどうして記憶を掠めたのだろうと考え込むのだった。


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2005.12.10


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