【奥さまは忍者1】


俺はしがないサラリーマンだ。
前髪を伸ばして片目を隠している上に、花粉症のため一年中マスクをしているせいで、「胡散臭い」「暗い」「変人」と評され、会社ではほとんど孤立している。
つまらない仕事ばかり押しつけられる毎日だが、給料をもらっている身では文句も言えない。
仕事が終わればボロアパートに一人寂しく帰るのみ。帰宅してもすることがないから、数少ない愛読書を繰り返し繰り返し読んで、一日が終わるのを待つのが日常だった。
今日はノー残業デーとかいう会社の定めた日ではあるが、入社して以来残業をした覚えは特にない。いつも定時に終わるのが俺の居る部署である。
いや、別に残業をするのはやぶさかではないのだが、残業をするほどの仕事が回ってこないというか。とにかくそういう職場なのだ。
というわけで、さっさと帰宅の途に着き、まさに家の扉の前に辿り着かんとする今この時。
ボロい扉の前の狭い通路に黒い人影が見える。
暗いからではない。本当に全身ほとんど黒という格好をした人間が佇んでいた。
扉を背にし、背筋をぴんと伸ばして立っているので泥棒ではなさそうだ。
髪はポニーテールにした、男。ちょっと胡散臭い。今時そんな髪型ありか?
顔のど真ん中に大きな傷が目立っていて。堅気の人じゃない、のか?
こちらの気配に気づいたのか、ふっと視線が向けられた。
その瞬間。髪型とか傷跡とか頭から吹っ飛んだ。
黒い瞳に魅入られて動けなくなった。
どどどうしよう。
頭の中ではどこかの鐘が鳴っている。気がする。
固まってしまった俺の状態には気づかず、向こうは話しかけようと唇が動いた。
「あの……失礼ですが」
言い出しにくそうに、だが確実にこっちに近づいてくる。
どっどっどっと心臓が波打つ。かすかな足音よりも心臓の音の方が大きいのではないか、と心配になった。
いや、足音はまったく聞こえない。かすかにすら聞こえなかった。大量に血液が送り出されたせいで頭がぼんやりして耳まで機能してないのだろうか、俺は。
「はたけカカシ様でいらっしゃいますか?」
はたけカカシは俺だが、様? 様ってなんだ?
あ、セールスか!
そそそうだよな。俺を訪ねてくる人間なんてそうそう居るわけがない。
営業かぁ。ずいぶん奇抜な格好の営業だけど、今時はこれくらいしないとインパクトがなくて駄目なのかもしれない。
仕事で来ているんだから、その商品の説明を聞いている間はこの人は帰ったりしないのだということに気づいた。
よし、どんとこい!
ある程度なら今月の給料にも余裕があるぞ。一分一秒でも長く一緒に居るためには多少の出費は惜しまない。
拳を握り締めていたところ、
「人違いだったでしょうか……」
しょんぼりと肩を落とす姿に慌ててしまう。俺がすぐに返事をしなかったせいで悲しませてしまうだなんてありえない!
「あ、いえ! そうです、カカシです。俺がはたけカカシです!」
何が悲しくて家の前で自分の名前を大声で連呼しているのか。ドン引きされたらどうする、と不安になったが。彼の人はホッと息を吐き、嬉しそうに笑った。
「よかった。ようやくお会いすることができました、カカシ様」
胸の前に拝むように手をやり、目は潤んですらいる。
なんか反則!
何に対してか知らないけど反則だー!
と俺の心の中は大騒ぎの嵐が吹き荒れ、この出会いは幕を開けたのだった。



セールスと思いきや、全然違っていた。
なんと、正真正銘俺を訪ねてきたのだと言う。
「うみのイルカと申します。長い間カカシ様を探しておりました」
俺には何の心当たりもないまま、話は続きそうだった。
玄関先では碌に話も出来ないということで、部屋に上がってもらうことになった。疚しい気持ちがあったわけでは決してない。
決してないが、俺の殺風景な部屋にちょこんと座る姿は、大変可愛らしい。言われた内容もあまり耳に入ってこないくらいに目を奪われてしまう。
だが、何の反応もない俺を不審に思ったのかじぃっと見つめられて、誤魔化すように咳払いする。
「あ〜え〜、俺を?」
「正確に言えば、はたけサクモ様とカカシ様を、です」
「父さんを?」
サクモと言えば、幼い頃に亡くなった俺の父親の名前だ。
「話せば長くなりますが」
「あ、いえいえ、どうぞ」
きちんと説明してもらわなければ、きっと気になって夜も眠れなくなるに違いない。
「実は、私は代々火影家に仕える忍者なのです」
忍者。
マジか、忍者って。
このご時世に忍者なんて本気なんだろうか。
そうは思ったが、イルカさんの表情は真剣そのもので、嘘をついているとか騙そうとしているとかそんなことは感じられなかった。
ああ、嘘じゃないんだな、と信じられた。
だから足音しなかったのか、忍者すげぇ。とまで思った。
なんて素直な俺。
「サクモ様はその火影家の十三代目に当たります」
「えっ」
「つまり、サクモ様の御長男であるカカシ様は火影家十四代目なのです」
母親は俺を産んですぐに亡くなったと聞いている。物心ついた頃から父親しか居なかった。その父が死んでから天涯孤独になったと思っていた自分には、青天の霹靂。まさに降って湧いたような話だ。
「ええ〜っと?」
「サクモ様はやんごとない事情があって二十五年前に火影家を出奔されまして」
あ、まだまだ話は続いていた。
呆然とする俺は、すぐには話についていけない。
二十五年前というと俺が生まれる直前くらい。察するに、出来ちゃった婚を決行しようとした父さんたちが猛反対に会い、駆け落ちしちゃったとか、そういう話なのか?
そこまで考えて、ようやくなんとなく理解した。
子供の頃にはわからなかったであろう事情が今明かされたのは、幸いだったのかもしれない。いや、もっと先に言っておいて欲しかったという気持ちもあるのだが。
今はそこはあまり問題ではない。
つまり俺はイルカさんの仕える火影家の末裔だったのだ。衝撃の事実!
そして、イルカさんは『俺にお仕えしたい』などと言い出したのだ。なんだって!
「昨年祖父も亡くなり、私が最後の忍びとなりました。祖父にも一目カカシ様のお顔を見せたかったのですが、今言っても詮無きこと。これからは忍頭であった祖父に代わってカカシ様にお仕えし、ぜひともお役に立ちたい所存です」
きりりとした眼差しでイルカさんは宣言し、深々と頭を下げたのだった。


つづく
2014.06.07


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