【恋はあせらず8】


しかし、その日だけではなかった。その後何度か食堂でランチという機会に恵まれたが、その度にじいさんがついてきた。
保護者同伴のデートなんて。
いや、もはやデートですらない。ただ仕事の一環で食事をしているようなものだ。
食べている間は食堂中の注目の的。普段は姿を見られない社長がすぐ側にいるのだから仕方がないといえば仕方がない。さすがにあからさまな視線はないが、ちらりちらりと向けられる視線は鬱陶しい。
なんでこんなことに!
もはやランチで交流を深めるのは諦めるしかなかった。
そんなある日の午後、名前を呼ばれた。
「カカシ先輩」
近寄ってくるのは大学の頃からの後輩で、販売促進部のテンゾウ。なぜかしょっちゅう『先輩先輩』とまとわりついてくる変な奴だ。
「聞きましたよ」
「何が」
「カカシ先輩が今注目の出世株で超エリートだって! 俺も鼻が高いです」
どうして超エリートとかいう話になったのか不明だし、なんでテンゾウの鼻が高いのかさっぱり分からん。
問い質すとテンゾウは軽い興奮状態で答える。
「だって最近社食で社長とランチを食べる姿がよく目撃されてますからね。社長のお気に入りなんてすごいなぁ、さすがカカシ先輩」
「ああ、あれは……」
イルカさんとの仲を邪魔するためだけに年寄りが出張ってきてるのだ。しかし、異様にテンションが高いテンゾウの言葉を否定する気力は、もう俺には残っていなかった。
「みんな噂してますよ、今度の人事で課長は確実だって」
課長どころか、何かあれば左遷されかねない予感でいっぱいだ。
「頑張ってください、カカシ先輩。応援してます!」
「ああ、ありがと……」
横で何かしゃべり続けているテンゾウをぼんやりと眺め、ああどうしたらイルカさんとこれ以上親しくなれるんだろう、とそればかり考えていた。
「あ、そうだ。カカシ先輩、これ観に行きませんか」
目の前に差し出されたのは2枚の紙切れ。
「映画の招待券?」
「ええ、ほとんどの映画館で使えるはずですよ。販促のお得意先で貰ったんですけど」
それは今日から公開するという話題の映画だった。
これだ!
イルカさんを映画に誘う。デートの定番だ。
「もしよかったら、俺と……」
「ありがと、テンゾウ。この2枚貰っておくよ」
テンゾウが何か言いかけていたが、かまわず礼を言った。イルカさんとデート!と思わず笑顔になるというものだ。
「あ、そうですね。よかったら使ってください……」
なぜかどんよりとした空気を漂わせながら去っていった。
なんなんだ。昔からああいう変な奴だったなと思い出す。が、そんなことよりもいつイルカさんを誘うかの方が問題だ。
自分のデスクで悩んでいる真っ最中に、ちょうど生命保険のセールスのおばちゃんが置いていった占いが目に入った。生年月日を聞くと、頼みもしないのに必ずプリントアウトしてくる『日付別のあなたの運勢は』というアレだ。
『今日の乙女座は絶好調。思いついたらすぐ実行が成功の鍵でしょう』
その言葉に衝撃を受けた。やはり思い立ったが吉日、今日誘うべきか!?
そうだ、そうしよう。
決意するやいなや、秘書課へ向かうべく立ち上がった。


「こんにちは、イルカさん」
「カカシさん、どうしました?」
にこにこと名前を呼ばれ、この笑顔を見られただけでも今日はもういいかと思ってしまいそうになるのは危険だ。
今日こそはデートに誘うのだ!
「映画のタダ券を貰ったから、どうかなと思って」
紙切れを見せると、イルカさんの表情がぱぁと輝いた。
「わ。これ観てみたかったんですよ。今、宣伝してますよね」
よかった。興味があるものだったらしい。
「俺もこの映画、ちょっと観たいと思ってたんですけど、一人で行こうとすると機会を逃しそうで……。よかったら今日仕事が終わってから一緒に行きませんか? レイトショーもやってるだろうし」
土曜か日曜にと思わないでもなかったが、休日に改めて出かけるのは億劫かもしれない。それで断られたりしたら非常に困る。仕事帰りなら夕飯も当然ついてくるだろうし、初デートとしては上々だ。
「いいんですか? 嬉しいです」
笑顔でOKを貰った。
やった、今日はツイてる! 乙女座でよかったよ、俺。


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2008.07.19


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