【恋はあせらず12】


そこで、はたと思い至った。いったいどこへ飲みに行ったらいいんだろうか、と。
こんなことならどこか良い店を探しておけばよかったと後悔する。
が、イルカさんが誘ったのは自分だから、自分に決めさせてもらってもよいかと尋ねられた。
それはもちろんと頷くと、ほっと表情が緩んだ。
なんでも同僚の間で評判のいい居酒屋を教えてもらったのだそうだ。
「せっかく誘っておいてお店も決まってないんじゃ失礼でしょう?」
と言われたのだ。
俺のために!
事前に下調べまでしてくれていたなんて、これが感激せずにいられようか。
嬉しさのあまりほとんど周りが見えない状態でイルカさんの後を着いていく。店の前に立って、初めて店の名前に気づいた。
この名前は聞いたことがある。そういえば紅も気に入ってると言っていたっけ。
会社の近くにあり、ほどほどお洒落で料理も旨いし酒の品揃えがいいとか。ぼんやりと思い出しながら店に入った。
「奥の方がいいですよね?」
イルカさんがそう言って、数あるテーブルの横を通り過ぎようとした時。
「あら、うみのじゃない」
と声が掛かった。
呼び止めたのは女性の集団で、イルカさんは『あっ』と目を見開いた。
「増井さんたちもここへ?」
「ええ、そうなのよ。偶然ね」
どうやらイルカさんの言っていた同僚、つまり秘書課の連中らしい。仲間同士で飲みに来たという。
道理で見たことあるような顔があるなと思った。
「どうせだったら一緒に飲みましょう。大勢の方が楽しいわよ」
お局さま風の女性がそう言うと、きゃーという甲高い声と共に腕を絡め取られ座らされた。呆然としているうちにイルカさんと引き裂かれてしまった。
「えっ、あの、ちょっ……!」
イルカさんはお局さまの隣に座り、お酌をさせられている。
えええ。今日その栄誉を博するのは俺のはずだけど!
お局憎し。
「はたけさんは何を飲まれますか? まずはビール?」
「いや……」
そんなの別にいらないから放っておいてくれ。それよりもイルカさんを返してよ!
叫びそうになったが、イルカさんが申し訳なさそうな表情でこちらを見つめているのに気づいてたら、大声を上げるわけにはいかなくなってしまった。
そうだよ、付き合いってものがあるんだ。ここで断って心証を悪くして、明日からのイルカさんの仕事に支障をきたしてはいけない。
耐えろ、耐えるんだ。
しかし、きゃいきゃいと騒がしい女性連に囲まれ、イルカさんを遥か遠くに眺める。何の罰ゲームだ、これは!
どうでもいいような質問攻めに始まり、よく知らないわからない話題が続き、適当に受け流すにも限界がある。
そのパワフルさにもうこれ以上無理だと意識が途切れそうになった時、店内に新しい客が入ってきた。
紅とアンコだった。
助けてくれと目でSOSを発すると、二人が気づいたようだ。
が、平然と隣をすり抜けていった。
放置かよ! この人非人!
怒りで震えそうになった時、その二人の後からやってきた別の団体の一人がしゃべった。
「あれ。先輩?」
「あ〜、テンゾー」
どこの部署もそんなにこの店は人気が高いのか。うちの会社御用達じゃないかとちらりと思ったが、この際誰でもいい。この状況から救ってくれるならテンゾウでもかまわない。
「テンゾウ、どうせ飲むならお前もこっちにきたら?」
自分でも引きつり気味だろうとわかる笑顔で誘ったのだが、テンゾウは気づかなかったらしく食いついてきた。
「えっ、いいんですか!?」
何が嬉しいのか俺にはわからないが、喜んでいるならネズミの脳みそより小さいであろう俺の良心も痛まない。
「販売促進部の大和です。ご一緒してもよろしいですか」
堅苦しい挨拶だったが、これでも社内では人気のある奴なので皆に歓迎された。
ソファーに座らせるとさっと立ち上がり、
「ちょっとトイレに……」
と誤魔化して席を離れる。
疑われると面倒なので実際トイレにも行き、その帰りに偶然友人と出会いました風を装って、紅達のテーブルに滑り込む。涙ぐましい努力だ。
「お前ら、なんで見捨てたんだよっ」
「あら。両手に花でお楽しみ中かと思ってたわ」
「うそつけ!」
「なんでヒショカと飲んでんのー?」
アンコが料理を頬ばりながら聞いてくる。食いっぷりのいいやつだ。
俺が怒っても二人は動じず、いつまでも怒り続けているのも馬鹿らしくなった。それが手なのかもしれないが。
「実はさ……」
これこれこうと説明すると、
「それ、絶対計画的犯行だよ」
と笑われた。
「どういう意味だよ。イルカさんが俺を騙すわけないだろ」
自分で言いながら不安が募ってくる。
嫌いだから、とか言われたらもう立ち直れない。
「つまり。イルカちゃんがお店を聞いた時点で、誰と行くか尋ねられたに決まってるでしょうが。イルカちゃんはやましいことがないから普通に答えただろうし。それで秘書課のスズメどもにバレたのよ。あんたと飲みに行きたいって言ってる子は多いから、それが集まってきてあの人数なんでしょ。あんたモテるしね、なぜか」
「あたしだったらカカシみたいなひょろひょろした奴はごめんだねー」
紅の話にアンコが茶々を入れる。
が、とりあえず納得できる理由だったので安心した。
それにしてもイルカさんとのデートはなんか邪魔ばっかり入らないか? 何かの呪い?
くそっ、負けるもんか。今度こそ、と拳を握りしめた。


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2008.11.15


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