【男はつらいよ プロポーズ狂想曲1】




 「俺から恋をとってしまったら、何が残るんだ」 【男はつらいよ 花も嵐も寅次郎】より 




「カカシさん、起きてください。もう朝ですよ」
「んん〜〜、イルカさん? あともう少し……」
 もう少しこのぬくぬくとした布団の中で惰眠を貪っていたい。カカシはせっかくのイルカの呼びかけに、ついそんな返事をしてしまう。起きなければならないのは頭ではわかっているのだけれど。
「早く起きてください、あなた。朝ごはん、もうできてますよ」
 いつもの優しい声が頭上に降ってきて、その言葉のおかげでカカシは覚醒した。以前の酷い寝起きの悪さはどこへ行ったのかというくらい、ぱっちりと目を開けて飛び起きた。
『あなた』だなんて、新妻に相応しい呼び方ですごくいい。しかも朝ごはんもできているとは。
 しばしの間、目をつぶって余韻に浸る。
 ああ、俺はなんて幸せなんだ。こんなに幸せだなんて夢のようだ。
「今日の朝ごはんは何ですか?」
「今日はイルカ特製団子ですよ」
 イルカは眩いばかりの笑顔を振りまいて答えた。
「え、団子……」
 甘いものが苦手のカカシは、一瞬固まった。
 というか、団子は朝ごはんになるのだろうか。そんなもっともな疑問も、愛しい恋女房の前では口に出すこともできないでいた。
「カカシさんは、どの餡がいいですか。粒あん、こしあん、白あん、ごまあん、ウグイスあん。どれでも好きなものを選んでくださいね」
「大好きな可愛いイルカさんが作ってくれるなら何でも」
 カカシは鼻の下を伸ばしながら、砂糖の摂りすぎで早死にする例があったっけと頭を巡らした。しかし。
「いやだ、カカシさんったら」
 頬を染めて恥ずかしげに目を伏せるイルカを前に、考えることはすぐさま放棄する。
「イルカさん!」
 あまりの可愛らしさに感極まって抱きついた。
 ザリ。
「ザリ?」
 ジョリ。
「ジョリ?」
 なんだか変な感触が、とカカシは思った。こんなにイルカさんは毛深かったっけ、とも。
 慌ててイルカの顔を撫で回すと、もさもさしている。
 今まで開けていたはずの目が閉じていることを不思議に思いながら、カカシは目を開けた。そしてぼんやりした目が慣れてきて、今現在の自分の状況を認識して思いきり叫んだ。
「ぎゃぁぁ!何やってんだ!」
「いや、何やってんだはお前だろ」
 カカシは力強くアスマに抱きついていた自分の身体を慌てて引きはがした。
「夢かよ」
 そんなことじゃないかとは思ったけどな。
 カカシはそう吐き捨てるように言った後、腹立ち紛れに近くにあった箪笥をガンと蹴った。
 ちょうど足の小指の付け根に当たって、
「痛ぇ!」
と叫ばざるを得なくなってしまったが。
 ふて腐れたカカシは、もう一眠りしようと布団に潜り込もうとする。
「おい、飯だぞ」
「ん〜〜、もう少し後で」
「イルカが『カカシさんはまだ起きてこられないんですか』って困ってたけどな」
「えっ」
 がばりとカカシは起きあがり、超特急で着替え始めた。
「今すぐ行くからって言っといて!」
「あー、わかった」
 アスマはのんびりと答えて、先に降りていく。
 カカシは着替えながら考えていた。
 イルカを困らせるのは自分の本意ではない。
 きっと味噌汁を温めて待っているに違いない。それは、一緒に暮らす家族として食事をするのを楽しみにしているだけなのだけれども。
 なんでも実家はすごいお金持ちで忙しい人間ばかりなため、一緒に食事するのはあまりないことらしい。家出してきてこの家に住むようになった時、全員が揃って食べることにいたく感激して嬉しそうだった。それ以来誰かが欠けていると、特別な用事がない限り全員が揃うまでずっと食べるのをイルカは待っていた。
 自分が寝汚いせいで悪いことをしたと思うと同時に、やっぱり自分はただの家族の一員でしかないのだと気分が落ち込んでいく。
 あのときイルカが言った「カカシさんの側にいたい」という言葉は、きっとただ初めて家の外に出て不安だったからじゃないかとカカシは思う。最初に世話になった人間がカカシだったから、雛の刷り込みみたいに慕っているだけなのだ。
 自分はこんなに好きなのに。自分とイルカの『好き』は意味が違う。
「あーあ、切ないなぁ」
 カカシはそう呟いて、ため息を漏らすのだった。


「ねぇイルカちゃん、少し休憩しましょうか。ちょうどお客さんも途切れたところだし」
「はい、紅さん。今お茶をいれますね」
 平日の午後は暇なことが多い。もちろんイルカが店を手伝うようになってからは、わざわざ通ってくる客もいて繁盛はしているが、ふとした時間の空きができることがあった。
 二人は奥に上がってお茶を飲み、ようやく一息つくこととなった。
「美味しい。イルカちゃん、お茶をいれるの上手くなったわね」
「失敗ばかりでご迷惑をおかけしました」
 申し訳なさそうに言うイルカに、紅はいいのよ、と首を振った。
「最初は誰でもそうよ。私だって初めてお店に出た時は酷いものだったもの」
「紅さんが?」
「ええ。出そうとした湯飲みを落としたり、注文を間違えたり。散々だったわ」
「なんだか信じられないです」
 イルカは、黒い眼を見開いて真剣に聞いている。その様子が微笑ましくて紅は笑った。
「紅さんが初めてお店に出たのは、アスマさんのところへ嫁いで来てからですか?」
「ああ。あの人と結婚したのはここにくる前なの」
「え?」
「元々このお店は、カカシのお父さんの物だから」
 どうしてわざわざカカシの父と言うのだろうと、イルカは不思議に思った。紅から見れば義理の兄にあたる人ではないだろうか。
「アスマさんのお兄さんでもあるんですよね?」
 そう聞き返すと、紅はちょっとだけ驚いたように眉を動かし、そのあと微笑んだ。
「そういえば、イルカちゃんには言ってなかったわね」
「なんでしょう?」
 イルカは湯飲みを持ったまま、何の話が始まるのだろうと小首を傾げた。
「実は、カカシとアスマは血が繋がってるわけじゃないの」
「えっ」
 そんな話を紅から聞いてしまってもいいものかどうか、とイルカが迷っているのがありありとわかった。素直で表情がわかりやすいのは、きっと長所なのだろうと紅は思う。
「隠すほどのことじゃないし、大丈夫よ」
 そう紅が言うと、イルカは少しほっとしたように息をついた。


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