【ひとつ屋根の下で】


(2)


「ただいまぁ」
 学校から帰ってきたナルトが玄関で靴を脱ぎ捨てたまま、居間を通り抜けて台所へと駆け込もうとした。
 しかしそこには。
「おかえりなさい」
 出迎えてくれる人がいた。イルカだ。
「あっ……た、ただいま……」
 ナルトはまさかイルカが出迎えてくれるとは思っておらず、顔を赤くして口ごもった。
「じいちゃんは?」
「おじいさんは町内の老人会でお出かけです。夕飯までには帰るからって」
「ふーん」
 いつものことなのか、ナルトはどうでもよさそうな返事をする。
 それよりも問題だったのは、この居間にいるのはイルカと自分の二人きりだということだ。その事実は、ナルトをそわそわと落ち着きなくさせた。
「あ、あのさあのさ。イルカ…さんはどのカップラーメンが好き?」
「カップラーメン?」
「うん! 今日の食事当番は俺なんだ。だから特別に、好きなのを選ばせてやるってばよ!」
「食事がカップラーメン?」
 イルカは目を白黒させながら、もう一度ナルトに尋ねた。
 まさかそれはおやつや間食ではなく、夕飯なのだろうか。そんな疑問と共に。
 そこへ電気ポットを片手に持ったカカシがやってきて、ナルトを小突いた。
「こら、ナルト。ちゃんと野菜も使えよ」
「えー。野菜って好きじゃないもん。それに料理ってあんまりやったことないから、失敗するよりはカップラーメンの方が美味しいってば!」
「……せめて生麺タイプにしてくれ」
「オッケー」
 ナルトの無邪気な笑顔にカカシは溜息をつく。いつものことと諦めたのか、ポットを水で満たすと何も言わずに自分の部屋へと戻っていってしまった。
「ナルトくん、本当にカップラーメンが夕飯なのかな?」
 二人のやりとりを聞いていたイルカは、遠慮がちに問いかけた。
「うん!」
 ナルトが元気よく答える。
「お兄さんは作ってくれないの?」
「カカシ兄ちゃんは暇があるときはいつも作ってくれるんだけど、締切が近いから。そういう時は俺とサスケとじいちゃんが交代で食事当番になるんだってばよ。アスマ兄は仕事で忙しくて帰ってくるの遅いし」
「締切?」
「うん。兄ちゃん、小説家なんだ。『はたけカカシ』って知ってる?」
 ナルトは躊躇いがちに、しかし少し自慢げにそう言った。
「えっ、知ってるよ! 有名な作家だし、大好きだよ。出ている本は全部読んでるし。それじゃあ、あの人が……?」
 イルカは驚いて振り向いてみたものの、カカシの姿はもうすでになかった。
 カカシを誉められたことが嬉しかったのか、ナルトはイルカに心を許しつつあった。ここだけの秘密だというように、内緒の話をひそひそと囁く。
「締切が迫ってくると、もう部屋に籠もりっぱなし。部屋から出てくるのは、お腹が空いたか喉が渇いたかトイレへ行く時だけ。切羽詰まってくると、足音が聞こえるだけで怒るから、部屋には近づかない方がいいよ」
 ナルトの忠告を、イルカは神妙に聞いていた。
「あっ、でも普段はあんま怒ったりしないんだってば。怖い人間じゃないから安心して!」
 ナルトは、誤解されていないかと心配そうにイルカを見上げた。
「わかったよ」
 イルカはナルトを安心させるために、笑顔で頷いた。
 わかってもらえたことで、ナルトはほっと身体の力を抜いた。
「ナルトくん」
「『くん』はいらないよ。ナルトでいいってばよ!」
 満面の笑みでそう言うナルトに、イルカは戸惑いながらも嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、ナルト。夕飯の準備を手伝ってもいいかな? ラーメンじゃないものを作ろうよ」
「えー、だって俺、料理できないし」
「大丈夫。俺は、料理は得意なんだ。教えてあげるよ」
「ホントに!?」
「ホントホント」
 イルカはナルトを自分の弟のように愛しげに眺めながら頷いた。先程とはうって変わって砕けた口調になっている。
「一緒に買い物に行こう。安いスーパーとか教えてくれ」
「うん!」
 ナルトは嬉しそうに返事をした後、はっと気づき、
「今、財布取ってくる!」
と急いで駆けだしていった。
「慌てなくても逃げないぞー」
 イルカは心配そうに声をかけたが、耳には届かないくらいナルトは慌てていたようだ。
 どたどたと騒音を立てて戻ってきて、
「買い物に行こう、イルカ先生!」
と息を切らせて言う。
「先生?」
 イルカがその呼び方に戸惑っていると、ナルトはニカッと笑って答えた。
「だって、料理を教えてくれるんだから『イルカ先生』だろ?」
「そんな……『先生』って言うほどの事じゃあ……」
「いーからいーから。早く行こうってばよ!」
 ナルトはイルカの抗議もかまわずに、元気よく腕を引っ張って催促の嵐だった。



 それから数時間後。
 テーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々を前に、カカシもサスケも驚いていた。
 メインの豚肉の生姜焼きに大根とニンジンの昆布茶煮、きんぴらごぼうやワカメの酢の物、ポテトサラダ。ところどころ紫色が見えるから、ご飯にはゆかりを混ぜてあるのだろう。
 特別お金がかかった豪勢な食事というわけではなかったが、温かく家庭的な食卓に見える。
「これは……」
「どうどう? すげぇだろ」
 呆然とする兄弟たちに、ナルトは自慢げに胸をそらせた。
「ナルト。お前が作ったんじゃないでしょ?」
「う……でもでも俺もちゃんと手伝ったってばよ!」
 カカシの指摘は図星だったので一瞬言葉に詰まったものの、何もしてないと思われるのは心外だというように抗議する。
 その様子にカカシが苦笑していると、奥からイルカが味噌汁の鍋を運んできた。
「あの……張り切って作りすぎたでしょうか。大人数だと勝手がわからなくて……」
 遠慮がちにイルカが尋ねてくる。
「大丈夫でしょ。育ち盛りが二人もいるし、残ったら明日食べればいいんだから。それよりもすみませんね、来た早々食事を作らせるなんて」
「いえ、お世話になるんだからこれくらいは」
 家事を頑張ろうとするのは、アスマの嫁として認めてもらいたいからもあるのかもしれない、とカカシは思った。
 しかしこのメニューを見れば、料理は得意なようだと容易に予測がつく。付け焼き刃ではここまで作るのは難しい。ほんのちょっとしたことで華やかな空気を醸しだし、部屋の中まで明るくなった気がした。
「じゃあ、せっかくだから食べましょうか」
「あ、でも……おじいさんがまだ帰ってこられないのですが」
「じいちゃん、老人会だったらもう帰ってきても良さそうなのにー。放っといてもう食べようよ、カカシ兄ちゃん」
「そうだなぁ……よし、食うか!」
 成長期の子供が食事を見つめているだけで我慢できるわけがない。じいさんの分は後でラップをかけて冷蔵庫にしまっておけばいい、というのが全員一致の意見だった。
 椅子が全部で六つもある大きなテーブルだったので、四人で座ってもまだまだ余裕がある。イルカの隣をナルトが陣取り、予備の箸を渡したりして甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
「ありがとう、ナルト」
 まとわりついてくるナルトの頭を、イルカは嬉しそうに撫でる。
 カカシは、ナルトがひどくイルカに懐いている姿を、黙ったままじっと見つめていた。
 いただきますという合掌を終えると、全員で食べ始める。しかし、イルカは味の評価が気になって食事にはとても手をつけられない様子だ。
「お口に合わないかもしれませんけど……」
「普段食べてるものより数倍美味しいってばよ!」
 それを聞き、イルカはほっと安堵の表情を浮かべる。ようやく自分も箸を動かし始めた。
「なにナルト。俺が作ったものは不味いって言いたいわけ?」
 カカシがナルトの言葉を聞き咎めた。
「えっ、いや……そうじゃなくて……俺の作ったのと比べて……」
 指摘されたナルトは、しどもどと言い訳をしようと苦心している。イルカを喜ばせようとしたことがカカシの怒りを買う結果になり、正直困っていた。どっちにも喜んでもらいたい気持ちでいっぱいのはずなのに、どうしたらいいのかわからなかった。
 その狼狽える姿を見て、カカシが思わず吹き出す。
 ただ単にからかっただけとわかり、ナルトは不満げに頬を膨らませた。
「ちぇー、なんだよ。カカシ兄ちゃんの料理も美味しいけど、イルカ先生の料理がもっと美味しいのは本当だってばよ」
「イルカ先生?」
「俺の料理の先生だから『イルカ先生』!」
「あー、なるほどね」
 ナルトらしい理屈にカカシやサスケも納得だった。
「これ! このサラダ、教えてもらって俺が作ったんだぜ」
「へぇ。すごいじゃない、ナルト」
「へっへっへー」
 普段誉められる機会が少ないせいか、どこか照れくさそうではあったけれど嬉しそうにサラダを頬ばる。
 そんな時、ちょうど電話のベルが鳴った。
 箸を置いたカカシが受話器を取る。
「もしもし。あー、伯母さん。今日はどうしました?……は?……はぁ、なるほど。じゃあ今からそっちへ行きますよ。はいはい、よろしく」
 カカシは受話器を置き、頭をガリガリと掻きながら幼い兄弟たちに言った。
「じいさんが骨折で入院した」
「ええっ」
「なんでなんで!?」
 思いがけない話に全員動揺を隠せなかった。
「なんでも老人会で無理をして、複雑骨折したらしい。じいさんも、もう少し自分が年寄りだってことを自覚して欲しいもんだが。とにかく最低一ヶ月は入院しなくちゃならないそうだ」
 カカシが説明すると、サスケが口を開いた。
「入院したのは綱手伯母さんの経営してる木の葉病院なのか?」
「正解。いろいろ便宜も図ってもらえるから安心でしょ」
 木の葉病院はこの辺りでは唯一の総合病院で、腕もいいと評判だった。元々は祖父が院長をしていたらしいが、今は伯母が跡を継いでいる。
「俺は今から病院へ行ってくるから、お前らは大人しく留守番よろしくね」
 途端ナルトがえーっ留守番かよーと不満を漏らしたが、結局は二人とも素直に頷く。それを確認してから、カカシはイルカに申し訳なさそうに手を合わせた。
「そういうわけで、ちょっと出てきます。すみませんが、こいつらのこと、お願いできますか?」
「もちろんです! お気をつけて」
「ありがとう」
 カカシが出て行った後は、引き続き三人で夕飯を食べた。
 ナルトは、自慢のサラダを誉めてくれるのが口数の少ないサスケだけでは不満だったらしく、最初は少々不機嫌だったが、イルカが褒めちぎると途端に笑顔に変わっていった。
 こうして、最初の夜は過ぎていったのだった。


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2004.10.03初出
2011.08.06再掲


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