【ひとつ屋根の下で】


(3)


 翌日の土曜日。いつの間にかカカシは夜のうちに戻ってきていたらしい。
 怪我も安静が必要なだけで特に心配することはない、とみんなに説明してくれた。
 これから一緒に見舞いに行こうかとカカシが提案すると、ナルトだけが補習で学校に呼び出されているという。この前担任にちょっとした悪戯をしたらものすごく怒られて、その罰なんだ、と悪びれずに肩をすくめる。
 カカシのげんこつが落とされると涙を浮かべ、帰りに一人で寄ってくると言って渋々登校していった。
 それからカカシとサスケは、二人して祖父の部屋をごそごそと漁りだした。寝間着は病院でレンタルできるからいいが、下着類はどうしても必要らしい。その他こまごまとした日用品を、無造作に紙袋に放り込んでいく。
 それを横で手持ちぶさたに見ているイルカ。
「あなたは今日仕事休みですか?」
 カカシが気軽に問うと、イルカは躊躇っている様子だ。どうしても言い出せないことがあるらしく、口を開きかけ、結局口を閉じてしまった。
「どうかしましたか? 一緒に見舞いに行ってもいいし、留守番しててもいいんですよ」
 カカシが誘い水となるよう優しく促すと、イルカはようやく話す決心がついたようだ。
「……あの、実は俺、今無職なんです。これから仕事探しをしたいと思ってますが、しばらく家賃とか食費とか払うのが遅れてしまうと思います。すみません……」
 イルカは消え入りそうなくらい肩を小さく縮こまらせて謝った。
「なんだ、そんなこと! 家族なんだから、家賃とか食費とかいりませんよ。大丈夫。それよりも、納得できる仕事をゆっくり探してくださいねー」
 カカシが笑ってそう言うと、イルカはじわりと涙を滲ませた。
「えっ」
「す、すみません。俺、嬉しくて……。ずっと憧れていたんです、こんな大家族に」
 幼い頃に両親を亡くし、姉と二人きりで生きてきたのだとイルカは語った。大勢で賑やかに食卓を囲む大家族の図に憧れていて、この家に引っ越すことに決まったときはそれは喜んだという。
「そうだったんですか。人数が多いと、それはそれで大変ですけどねぇ。ま、うちは賑やかだけが取り柄みたいなもんだから、気に入ってもらえるといいな」
 イルカは『もう気に入ってます』と顔を真っ赤に頷いていた。
 可愛い人だなぁ。きっとアスマはこんなところに惹かれたのじゃないかとカカシは思った。
 髭面の強面に見えて、案外可愛いもの好きなのだ。たまに他人にはわからないようなマニアックな可愛さを見い出してきたりして、周りを困惑させたりもしていたけれど。今回は誰にでもわかりやすい可愛さだった。
 最初は男と戸惑っていたけれど、好感の持てる性格に容姿はすでにみんなの認めるところだ。
 仕事なんて早く終わらせて帰ってくればいいのにね。カカシはひっそりと呟いた。


 そうこうしているうちに荷物もなんとかまとまり、準備ができる。
 イルカは家を空にするのは物騒だから留守番をすると言い出した。
「じゃあ俺たちはこれから病院へ……」
 行ってきますとイルカへ言いかけたその瞬間に、玄関のチャイムが鳴った。出迎えようとする前に誰かが勝手に家の中へと上がってくる気配がする。
「ヤバ……あの足音はサド編集だ」
「サド編集?」
 イルカが不安に思いカカシを見やると、カカシの顔は少々引きつっていた。
「困るな、締切前に外出は。カカシセンセイ」
 廊下の天井を覆うくらいの大きな身体に、強面の顔。ドスのきいた声は弱気な男でなくても震え上がるだろう。恐怖で締切を守らせるためには、ある意味最適な編集者と言える。
「森乃さん?」
 意外にもイルカが声を発した。
「ん? もしかしてイルカか?」
「はい。お久しぶりです」
「え、知り合い?」
 和気あいあいと言葉を交わす二人に、カカシの方が逆に面食らった。
「イルカはU社の編集をやっていたから、その関係でな。あそこは倒産してしまっただろう。今はどうしてるんだ?」
「まだ無職なんです。これから仕事を探そうかと思って」
「それはいい。ちょうどこのカカシに締切を守らせるために、見張り役のバイトを探していたんだ。やってみないか?」
「えっ、俺がですか?」
 驚きながらもイルカはどこか嬉しそうだ。
 ベストセラー作家を担当するのは編集者としての夢。たとえバイトとはいえこれほど嬉しいことはない。
「イルカは真面目だし、原稿を書かせる腕はピカイチだと評判だったからな。これがうまくいけば正社員にも推薦できるだろう。よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします!」
 イルカはありったけの感謝の思いを込めて、深々とお辞儀をした。
「うへぇ、住み込みの編集か。キッツイなぁ」
 カカシがガリガリと頭を掻いたが、イルカの笑顔を前にするとそれ以上強くは言えなくなった。
「あ、そういえば病院!」
 イルカが思い出して声を上げた。
「そうそう。なぁイビキ。じいさんが複雑骨折で入院しちゃったんだよ。病院行ってきてもいいでしょ?」
「そうか……しかし、締切は迫ってきているしな……」
 普段はサド編集と呼んでいるが、このイビキが年寄り子供・動物など立場の弱い者に特別心配りを忘れない性格なのは、カカシも知っていた。そのイビキが渋っているからには、しばらく外出はできなさそうだと判断した。
「悪いがサスケ、俺はサド編集に掴まって外に出られない。お前一人で病院へ行ってきてくれ」
「わかった」
 サスケは子供ではあるがしっかりしているし、病院の場所もよくわかっている。カカシはそう考えて紙袋を手渡した。
「あの、それじゃあ俺も一緒に行きます」
「あなたが?」
「心配なく原稿が書けるよう環境を整えるのも編集の仕事ですから」
 そう言ってにっこり笑った。
 たしかにサスケならば心配ないだろうと思ってみても、一抹の不安はある。しっかりしている分他人にも厳しいところがあって、怪我をして精神的に弱っているだろう祖父を相手に励ますとか慰めるとかそういった類は期待できないだろう。それならば人当たりの良いイルカがついて行ってくれた方が安心なのは本当だ。入院中はなにかと心細い思いをするものなのだから。
 そういったことを瞬時に判断したとも思えないが、無理に書かせようとするのではなく、精神的にゆとりのある良い環境を整えようとするイルカの姿勢にカカシは好感を持った。
 編集者としても合格点。ひそかにそう思った。
「それじゃあ、いってきます」
 笑顔で手まで振るイルカと、特に反応を見せないサスケは一緒に家を後にした。



 病院へ着いてみると、祖父は案外元気そうだった。
 骨折といっても腕なので、ギプスを填められ首から三角巾で吊している以外は、病院内を自由に歩いたりしてもいいらしい。
 年寄りが骨折をすれば寝たきりになるケースが多いので心配していたが、それは杞憂だったようだ。ここの看護師は美人が多くて目の保養じゃ、とまで言い出す始末で。
 替えの下着や何やらを渡すと、口達者な年寄りがその当日の老人会のメンバー説明から始まり、いかにして骨折するに至ったかを延々しゃべり始めた。サスケはうんざりした様子で病室から出て行ってしまったが、イルカは驚きや感嘆の声を上げて良い話し相手になってやっていた。
数時間世間話を交えてしゃべり続けていると、病室に白衣の女性が入ってきた。
「お元気そうでなにより」
「おお、綱手」
 イルカはてっきり主治医かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。それではこれが院長をしている伯母なのかと思い至った。
「今度新しく家族になったイルカさんじゃ。綱手も仲良くしてやってくれ」
「初めまして、イルカです」
「ああ! アスマから聞いてるよ。伯母の綱手だ。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
 差し出された手をとって握手を交わした。
「着替えを届けに来ただけなのに、年寄りの話し相手に捕まって災難だったね」
「いいえ、そんな!」
 さばさばとした性格の綱手は、歯に衣着せない物言いだった。普通ならばなかなか指摘できないこともメスのようにすっぱりと切り取る。
「これだけしゃべり続ければ、疲れて夜はぐっすりだろ。助かったよ」
「なんじゃ、人を厄介者のように言いおって」
「それが嫌なら、看護師にセクハラまがいのことをするのは止めてくれませんか。今度やったら、もう一方の腕も折れちゃうかもよ?」
 折れちゃうのではなく、折ってしまうぞと言外に脅しが入っている。美人がにっこり笑って言う台詞にしては物騒で、なおかつ医者の本気が滲み出ていて恐怖を増す。
 しかし、もう決してしません、と慌てて誓いを立て謝っている姿を見ると、イルカは恐怖よりも笑いを堪えるのに必死だった。
「また来ますから。早く元気になってくださいね」
 イルカが怪我をしていない方の手を取って握りしめると、先程まで青ざめていた老人はその優しさに感激して何度も頷いていた。



 綱手たちに別れを告げ、病室から廊下に出てしまうと、イルカは足が止まってしまった。サスケがどこへ行ってしまったかわからなかったからだ。
 面談室や休憩室、トイレ、外来病棟のロビーにも見当たらない。黙って一人で帰ってしまうような子供とは思えなかったので、他に行きそうなところはと辺りを見渡して、ピンときた。屋上だ。
 ここの病院の屋上は、一般に開放され転落防止の対策も万全だと聞く。ちょっとした憩いの場になっているそうだ。
 イルカが階段を上っていくと、目の前に青空が広がる。吹いてくる風も心地よかった。
 ひなたぼっこを楽しむ人々が多い中、ベンチで一人座って参考書を開いている子供がいた。
「サスケくん!」
 名前を呼ぶと、顔を上げイルカに気づく。
 イルカは近づいて、ベンチの隣に座り込んだ。
「長く待たせてしてしまって悪かったね」
「いい。じいさんの話が長いのはいつものことだ」
 ぶっきらぼうながらもサスケの心遣いが見えて、イルカは笑みを深くする。
「サスケくんは……」
「サスケでいい。ナルトは呼び捨てで、俺だけ『くん』づけなんてみっともない」
 イルカは破顔した。
 比べられることに敏感らしい。身近なナルトを一番意識しているのだろう。
「みっともないことはないけど、でももし呼んでいいならそう呼ぶよ」
「いい」
「じゃあ、サスケは勉強好きですごいな」
 参考書を指差しながらイルカが誉めると、
「別に勉強が好きなわけじゃ……」
と口ごもる。
「そうか?」
 にこにこと答えるイルカ。
 その笑顔に心を動かされたのか、サスケが俯きながら呟くように言った。
「医者になろうと思って……」
 イルカは目を見開いたが、次の瞬間には嬉しそうな笑顔に変わった。
「今からなりたいものが決まっているなんて偉いなぁ。もしかして、ここの病院を継ぐつもりで?」
 イルカの問いにサスケは静かに頷く。
「そっか。何の力にもならないかもしれないけど、応援してるよ」
「……ありがとう」
 サスケは俯いたままだ。けれど、どこか嬉しそうだった。
 しばらくこそばゆい沈黙が漂う。その沈黙を破ったのはイルカだった。
「そういえば、三男のイタチさんはいつ戻ってくるのかな?」
 今はいないと聞いていたので、戻ってくるのはいつなのか知りたかった。家族全員に会ってみたいという気持ちが大きかったからだ。一人でも欠けていることが気になったからかもしれない。
「あいつなら戻ってこないよ」
「あいつ?」
 サスケのキツイ口調にイルカは戸惑った。ぶっきらぼうだが、兄弟をそんな風に呼ぶ子だとは思っていなかったからだ。何かに対して怒っているように見えた。
「家を出て行った。今は暁とかいう病院で働いてるらしい」
 聞けば、ごく普通の理由。それのどこがサスケの怒りに繋がるのか、よくわからなかった。
「暁の奴らは木の葉病院を狙っているんだ。土地や建物、医療施設に経営権、患者の顧客名簿、病院に関わるすべてのものを。それなのに、じいさんやカカシたちはのんびりしててイライラするっ」
 ああ、とイルカはようやく理解した。自分の大切なものを脅かす者に対しての警戒心や怒りだったのか。
 こんなに心配しているのに、その対象は自分を子供扱いして蚊帳の外へ放り出そうとしているのだろう。それが腹立たしくてつい癇癪を起こす。そして兄の裏切りに見える行為に傷ついている。
それでも自分ができることを模索して頑張っているのだ。
「サスケはいい子だね」
 イルカがそっと頭を撫でると、サスケは下唇をぎゅっと噛みしめ、顔を赤くしていた。
 しばらくそうしていた後、急にサスケが立ち上がった。
「帰る」
「ああ、そうだね。もうこんな時間だ。帰ろっか」
 そろそろ陽も落ちてきて、あたりは夕飯の用意にいそしむ主婦が大勢いる頃だろう。
「サスケの好きな食べ物って何かな?」
「……おむすび」
「具は何が好き?」
「おかか」
「俺もおむすびの中じゃ一番おかかが好きだよ」
 そう言うと、サスケはますます俯いてしまった。
 二人で病院を出ると、ちょうど見舞い帰りのナルトに会った。
「あー、イルカ先生!」
 嬉しそうに駆け寄ってくる。
「なんでなんで? 二人とももうとっくに帰ったってじいちゃんが言ってたってばよ」
 鋭い指摘にイルカは戸惑ったが、詮索されたくないサスケは煩わしそうに口を開いた。
「うっさいぞ、ドベ」
「なんだよ、ビビリ君」
 子供らしい口喧嘩から始まり、睨み合い、取っ組み合いへと発展しそうな勢いだ。どうやらこれが日常の風景らしい。
 兄弟喧嘩を知らないイルカは物珍しく見つめていた。そして、そういえばさっき『カカシ』って呼び捨てだったな、とふと思い至った。
 ナルトのこともよく『ドベ』と呼んでいるみたいだし。サスケは近しい者にほど照れて口が悪くなってしまうのかもしれないな。
 歩きながら喧嘩する二人を微笑ましく眺めつつ、イルカは少し後からついて歩いた。


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2004.10.03初出
2011.08.13再掲


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