【ひとつ屋根の下で】


(6)

 それからのカカシは、幸せな日々を送っていた。
 仕事があってもなくても、家にはイルカが必ずいて、ずっと側にいてくれる。これほど幸せな毎日があるだろうか。
「カカシ先生、買い物に行ってきます」
 部屋の外でイルカが声をかける。
 あれ以来、出かけるとき必ず声をかけるのは、きっとイルカの心遣いだろう。
「あ、イルカさん! 俺も一緒に行きます」
 カカシが戸を開けて呼び止めると、イルカは振り向いて笑う。
「原稿はいいんですか?」
「ちょっとした気分転換ですよ〜」
 カカシの言い訳にますます笑みを深め、結局はカカシの望むようにさせている。
 スーパーまでのちょっとした道のりは、あまり外を出歩けないカカシにとってデートに等しい。食材をあれこれ選ぶのも楽しいし、荷物持ちだって楽しいのだ。
 カートを押しながら、スーパーの中を順々に巡る。
「イルカさんは料理が上手ですよねぇ」
「そんなことありませんよ」
「いえいえ、ホント」
「俺の料理はちょっと庶民的っていうか。姉の作る料理はね、すごいんですよ! フランス料理とかイタリア料理とか。手が込んでて、カカシさんも食べたら驚きますよ」
 いや、別に驚かない。だってイルカさんの料理の方がいいもん。とは、実際言い出しにくい雰囲気だった。
「手際がいいんですね。仕事だっててきぱきこなすし」
 一生懸命に姉を誉めるイルカは真剣で、カカシも頷いて聞いていた。
 しかし心の中では、イルカが他の人間を褒め称える事への嫉妬とつまらなさでいっぱいだった。カカシにとってイルカの姉なんて、自分より昔からイルカと一緒にいて、自分より長い時間を過ごしてきた憎い存在でしかない。そんな賞賛されても興味が湧くはずもない。
 しかし。
「早くカカシ先生に会わせてあげたいなぁ。姉もきっと喜びますよ」
 イルカがにっこり笑って言った瞬間、カカシは衝撃を受けた。
 え。それってもしかして家族に紹介したいってやつ?
 そう考えると、現金にもさきほどのつまらなかったモヤモヤも吹き飛んでしまう。
「俺も早く会いたいですよ」
 にこにこと笑って言った言葉が、まさかそんなに早く叶うとは今のカカシも思っていなかった。



「ただいまー」
 買い物をして家に帰ると、下の二人はもう帰ってきていた。
「どこ行ってたんだよ。探してたんだぞ」
 サスケがそんなことを言う。
 今はまだイビキが来る時期でもなく、どんな用事があったのかとカカシは問いかけようとした。
 そこへナルトが騒がしく遮った。
「アスマ兄から国際電話があったんだってばよ!『日本時間で明日の夕方に空港に着くから』って」
「アスマさんが!?」
「迎えは要らないって」
 思いがけない長男の帰還に、イルカもナルトも、そしてどこかサスケまで嬉しそうに話し合っている。
 しかし、カカシはそれどころではなかった。
 喜ぶイルカを目にして、重大なことを思い出したのだ。『アスマさん』という呼び名と共に。
 イルカがなぜこの家にやってきたのかということを、今の今まですっかり忘れていた。イルカがアスマと結婚したという事実をどうして忘れていられたのだろうかと呆然とする。
 でも、そんなのは当たり前だった。イルカを好きになってしまったから、都合の悪い事実は脳みそが拒否していたのだ。だから忘れていられた。ただ好きでいたかった。
 しかしアスマが帰ってきたら、もうそんなわけにはいかない。なんといっても二人は夫婦なのだから。その現実は、カカシを打ちのめした。



「イルカさん、イルカさん」
 カカシは自分の部屋の扉を少しだけ開け、小声で手招く。
「カカシ先生?」
「ちょっと……」
「はい」
 なにか用事を言いつけられるのかと思い、イルカは素直にカカシの部屋へと入っていく。
「なんでしょう?」
 カカシはすばやくイルカの身体を壁に押しつけ、腕で囲って身動きを取れないように拘束した。
「ねぇ、イルカさん。俺のこと、好き?」
「え?」
 いきなりそんなことを尋ねられ、イルカはぽかんとしていた。
「ねぇ、好き? それとも嫌い?」
 しかし、カカシは答えが聞けるまでやめるつもりはないようだった。イルカは頬を染めながらも答える。
「す、好きです」
「本当に?」
 次第にカカシの顔が近づき、もうイルカのほんの目と鼻の先まで迫っている。
「本当です」
「よかった」
 微笑んだカカシに、イルカもほっと肩の力を抜いたとき。
 唇を奪われた。それから額や頬、鼻に瞼と顔中に雨を降らせるようなキスの嵐に翻弄される。
 息苦しくて開いてしまった唇の隙間から、深く侵入してきた舌が絡められ。
「んっ」
「俺のこと好き? アスマ兄より?」
 イルカは意識が朦朧となりながらも、こくこくと頷く。
「ずっと俺の側にいて。俺だけを好きでいて。お願い」
 イルカには突然のカカシの行動が理解できなかったが、それでも静かに『はい』と答えた。
 一方カカシはといえば、イルカが自分を好きだと言ってくれたことに満足していた。それならば、どんなことをしても必ず手に入れてみせる。そう心に誓った。


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2004.10.03初出
2011.09.03再掲


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