【ひとつ屋根の下で】


(7)


 翌日。カカシにとっては運命の日。
「アスマ兄が帰ってきた!」
 ナルトの元気のいい声も、今のカカシには決戦の開始を告げるラッパのように響いた。
 あんな体力だけの熊には負けない。もしも殴りかかってきても、最初の一撃さえ躱せればなんとかなる。いろいろシミュレーションをしたから大丈夫だと自分に言い聞かせる。
 これを乗り切らなければイルカは手に入らないのだ。
 よし!と勇気を振り絞り立ち上がった。



 アスマはいつも通り煙草をふかしながら居間に立っていた。
 ずんずん近づいていくと、相手はカカシの決意も知らずに手を振ってくる。
「よお。元気か? 長い間留守にして悪かったな」
 長男という立場のせいか、出張中もそういうことは気になっていたらしい。
 じいさんが入院しただのどうしただのと、ナルトがアスマにまとわりついて報告するのに忙しい。悪かった、偉かったなとアスマが誉めると満足したのか、土産物の包み紙を破り始めた。
 あいかわらずのナルトらしさに少しだけ緊張がほぐれたカカシが、思いきって口を開いた。
「あのさ」
「うん?」
「イルカさんは俺のモンだから。アスマ兄にも譲れない」
 ついに宣言した。
 しかし、アスマは突然だからなのか、きょとんとしている。
 思ったより反応が薄くて、次はどう出るべきかとカカシが悩んでいたときに、別の声が響いた。
「なんですってー?」
 黒い髪に真っ赤に塗られた唇。
 妖艶な美女がカカシの目の前に立っていた。
「イルカが誰のものですって!?」
 怒りの表情もその美貌を貶めることはなく、むしろさらに美しく見せている。
 しかし、いったい誰なんだというカカシの疑問には誰も答えてくれそうにない。
「ちょっと、アスマ! どういうことよっ。大事なイルカを預けたのに!」
「俺にもわかんねぇよ、そんなの。カカシ、イルカをどうしたって?」
「ま、まさか可愛いイルカに手を出したんじゃないでしょうね……!」
 美女の鬼気迫る迫力に押されカカシは一瞬怯んだが、それでも愛を勝ち取るためには負けるわけにはいかなかった。
「もうイルカさんとはキスしたし。アスマ兄より好きだって言われた」
 そうだ。本人が言ったのだから大丈夫だ。あれはちょっと有耶無耶のうちに言わせたようなものだけど。いやいや、きっと本人の心からの意志表示に違いない、とカカシは自分勝手な解釈をする。
 青ざめる美女と唖然とするアスマを前に、カカシはぐっと拳を握りしめる。
 そこへイルカがやってきた。
「あ、紅姉さん! 帰ってきたんだ、よかった」
「よかったじゃないわ、イルカ! この男に何をされたの!?」
「え」
 イルカは耳まで真っ赤に染め、周囲にはトマトのように可愛く見えた。
「な、何って……!」
 金魚のように口をぱくぱくさせるイルカを、カカシは愛しく思いながらはたと気づいた。
 今イルカは紅姉さんと言わなかっただろうか。
「え、もしかしてイルカさんのお姉さん? なんでアスマ兄と一緒なわけ?」
「なんでって、この男と結婚したからに決まってるでしょう。長期出張は仕事と新婚旅行を兼ねていたのよ。長い間留守にしていてごめんね、イルカ」
「え。えっ。ええー!!」
 その叫びはカカシだけではなく、側にいたナルトやサスケも同様にハモった。
「だって、結婚したのはアスマ兄とイルカ先生だろ!?」
「あ? 何言ってるんだお前ら。結婚したのはこの紅とだぜ。イルカは紅の弟でこれから一緒に住むことになるから、イルカのことを頼むって言っただろ?」
「言ってない!」
「そうだったかぁ?」
 アスマは煙草の煙をふかしながら首を傾げた。
 どうやらあの時は飛行機の時間が気になって、説明どころではなかったらしい。ところどころ重要な情報が抜け落ちていた。
「言ってないったら、言ってないんだよ!」
 家族全員衝撃を受けていた。
 アスマ兄の結婚相手の弟だなんて聞いてないよ! そう叫びたくなるのも無理はない。おおいなる誤解が生じていたのだ。
 もちろんイルカも同様だった。まさか自分がアスマの嫁だと思われていたとは想像もしていなかったらしく、愕然としていた。詳しいことはアスマから説明があったものと信じて疑わず、今まで嫁の弟として邪魔にならないよう頑張らなくてはと努力してきたのだから。
 そして、昨日カカシの様子が変だったのはだからだったのか、とようやく思い至った。
「それじゃあ、やたらと姉を誉めていたのは……」
「だって、紅姉さんがこの家へやってきたとき、早く家族の一員として受け入れてもらいたかったから」
「イルカったら!」
 紅はイルカの心遣いを知り、感激のあまり抱きついていた。
 じゃあ、それにやきもちをやいていた俺の立場は一体……。カカシは脱力する。
 しかし、大きな問題はなくなった。アスマと結婚したのが紅ならば、イルカはまったく関係ない。そのことに気づき、カカシは叫び出しそうになった。
「じゃあ、イルカさんは俺のモンだね」
 公衆の面前で思いきりぎゅうと抱きしめると、真っ赤だったイルカがさらに真っ赤になる。
 子供たちは子供たちで歓声を上げた。
「イルカ先生が出ていかないなら、カカシ兄ちゃんの恋人でも俺たちはかまわないってばよ」
 心の狭いカカシよりも、ナルトたちの方がよっぽど大人の考えだといえる。イルカもその思いを汲み取って、顔を赤く染めながらも、ありがとうと感謝の意を表した。
 どこからどう見ても幸せそうな二人に、それを歓迎する弟たち。そんな家族をアスマと紅はじっと見ている。
「紅。いいのか?」
 紅がどんなにイルカを可愛がってきたかわかっているアスマが、そう尋ねた。自分が育ててきたと言っても過言ではない可愛い弟に、男の恋人できたなんてこの女に耐えられるのだろうかと心配になったからだ。
 しばらく黙り込んだ後、紅は肩をすくめた。
「まあ、いいわ。イルカが幸せだって言うなら私が口出すことじゃないもの」
「本当ですか、お義姉さん!」
「誰がお義姉さんよ!」
 瞳を輝かせるカカシに、紅がすかさずツッコミをいれた。そこまで許したわけではないらしい。
「いや、実際俺と結婚したんだから、カカシの義姉になるわけだぞ?」
 アスマが冷静にそう言うと、紅は眉を顰めた。
「……なんか嫌だわ」
 そんなことを言っていると、玄関先に人の気配がする。またサド編集かとカカシの顔が強ばったとき、その人物は入ってきた。
「おお、なんだか賑やかじゃのう」
「おじいさん!」
 入院しているはずの祖父だった。
 イルカが駆け寄って椅子に勧める。その好意をありがたく受けて椅子に座ったが、疲れている様子はなく元気そうだった。
「じいさん、今日が退院だったのか。言ってくれれば迎えに行ったのに」
「綱手が退院手続きも送迎もやってくれると言うんでな。まあ、ちょっとビックリさせてやろうかと思ったんじゃよ」
 呵々と大笑する祖父に、家族は苦笑するしかなかった。
「これだけ元気なら、大丈夫だろうね。でも油断は禁物だけど」
 後ろからついてきた伯母も苦笑していた。さらに後ろには自来也もいた。無理矢理荷物持ちに駆り出されたようだ。
 綱手は、これからも適度の運動は欠かさず、カルシウムはもちろんのこと水分補給も充分にしてほしい、と医者らしい助言をしていた。イルカはそれを真剣に聞き入っていて、メモまで取っている。
「ひさびさに家族全員揃ったねぇ」
「そうだな」
「家族も新しく増えたことだし」
「こうなったら結婚祝いと退院祝いパーティをしなきゃだね!」
「俺も手伝うってばよ」
「俺も」
 張り切る子供たちと、年に似合わず浮かれる大人たち。
 そんな賑やかな大家族は、これからも仲良く暮らしていくだろう。



 このひとつ屋根の下で。



END
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2004.10.03初出
2011.09.10再掲


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