【春うらら・後編】


俺は、自分の恋心に気づいてから迷っていた。
なんといっても男同士。
嫌われてはいない、と思う。
けれど、恋愛対象として好きになってもらえるかといえば疑問が残る。
告白して今の関係が気まずくなる、それだけは避けたかった。
そんなことになったら死ぬほど後悔することだろう。
側にいられなくなるくらいなら告白しない方がいい。
こうして会えるだけで満足しようと決心する。
けれど、そんな決心など結局はなんの役にも立たなかった。あの人の前では。


今日はちゃんといる、ということを確認して安堵の息を吐く。
近づいてみれば、うつらうつらと眠っているらしい。
ふと舞い降りてくる薄紅色のひとひら。
眠っている唇の上にその桜の花びらが。
時間が止まった。
その時わき上がった衝動に体が震える。
駄目だ、と思った。
それは駄目だ。
「イ、イルカ先生!起きてください!」
「んん…」
「はやく起きて!」
身体を揺さぶるとようやく目を覚ました。
あ、危なかった。
「ん?どうしたんですか」
まだ眠気が抜けきらないのか動作が鈍い。目を擦って起きようと努力している。
それでも俺の顔を見ると、にこりと笑うんだ。
「こんなところで寝てたら危ないです!」
「大丈夫ですよ。里の中だから危険はありません」
「大丈夫じゃありません、イルカ先生!今、寝てるあなたにキスしたくなったんです」
「……は?」
「しそうになった。だからこのままじゃあなたが危ないと思って、急いで起こしたんです。俺、眠ってるうちに唇を奪ってしまうところだった!」
唇に落ちた花びらにすら嫉妬した。
もう少しで本当に自分を止められないところだった。
こんなに危険なのに、のんびり眠っているなんて大丈夫なんだろうか、この人は。
しばらくの間、俺の言っている意味がわからないのかぼんやりとしていた。
それが急にこれでもかというくらい顔が真っ赤になって。
「な…っ。なにを!」
「危ないから、こんなところで寝たらいけません」
人間の欲望には際限がない。
側にいられるだけでいいと思っていたはずなのに。
それでも。
結局会うだけで満足などできるはずがなかったのだ。
「今日はもう帰ります」
「え。あっ、待って!」
俺は背後から呼び止められるのを振り切って、その場を逃げ出してしまった。
もう桜の木の下にはいられなかった。


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