【いつかの約束3】


結局何も言い出せないまま、カカシ先生は退院してしまい、俺の家の前に立っていた。
家の中に入ると、カカシ先生はキョロキョロと部屋を見渡している。
どうしたのだろうと思って見ていると、
「うーん、なんか少しは覚えているんじゃないかと思ったんですけどねぇ」
と言う。
ああ、記憶にないかどうか探っていたのか。
「それは無理ですよ。だってカカシ先生がここに来たのは初めてですから」
「えっ、俺ここに来たことないんですか?」
しまった!
恋人なのに来たことがないなんておかしかっただろうか。
「まっ、まだ付き合い始めたばっかりだったんです……」
「あー、そうなんですかー」
苦しい言い訳を素直に受けられると胸が痛む。
だからといって、カカシ先生の家を訪ねてばかりいたと言えば、更に困ったことになるだろう。じゃあ俺の家でしばらく記憶を取り戻すのを手伝ってください、などと言われたらすぐに嘘がばれてしまう。
「じゃあ、無理矢理押し掛けて迷惑でしたかね」
「いえっ、そんなことっ!」
「よかった」
安心したのか、顔には満面の笑みが広がった。
そんな表情を見られて嬉しい気持ちはもちろんあるのだが、辛いと思う気持ちがあるのも確かだった。
どうせ記憶が戻ってしまったら、こんな風に過ごせるどころか怒って口もきいてくれなくなるだろうと容易に予想できるから。
カカシ先生はにこにこと笑っているけれど、それは俺のことを恋人だと思い込んでいるからであって、嘘をついて騙したとわかれば許してもらえないのはわかっている。
そう遠くない未来を想像して暗くなり、つい俯いてしまうと、カカシ先生が
「イルカ先生?」
と心配そうに声をかけてくる。
ああ、駄目だ。カカシ先生はただでさえ記憶がなくて不安なときなのに、こんなことでは。今は少しでも楽しくゆったりと過ごしてもらおう。
そう気持ちを切り替えて、精一杯の笑顔を向けた。
「まだ頭の怪我が心配だから、すぐ寝た方がいいですよね。こっちにベッドがありますから休んでください。あ、寝間着は新しいのを下ろしたんですが、サイズが合わなかったら言ってくださいね」
バタバタと狭い寝室に案内して、着替えを渡して。
えーと、それから何か必要な物は……あ、食事!
「何か食べたいものはありますか?食事制限はないと聞いてますから、なんでも言ってください」
「食べたいもの……うーーん、サンマ?」
その返事に、思わず笑みが漏れてしまった。
「え?何か可笑しいこと言いました?」
「いえ、すみません。カカシ先生は以前からサンマが好きだったから、つい…」
「ああ、そうでしたか。意外とそういうのは覚えているものなんですかね」
日常的な記憶は失われていないと医師は言っていた。なるほど、本質的なものは何も変わっていないのだと改めて納得した。ただ、人の顔を覚えていないという程度のことだけで。
そういえば、会話も普段通りだなと今さらながら気づいた。いつもこんな調子だった。
本質的なものは変わらないということは、普段の考えていることも変わらないということで。急に、以前から聞けなかったことを聞いてみたい思いに駆られた。
「あの……カカシ先生は男の恋人なんて気持ち悪くないですか?」
「いえ、全然」
あっさり即答された。
ということは、男でも大丈夫なんだ!
いや、そんなことが今わかって、何の役に立つんだ。
今まで勇気がなくて告白できなかったからといって、これから告白する機会に恵まれるとも思えない。馬鹿だなぁ、俺は。
「なーんだ、そんなことを気にしてたんですか?」
目の前には微笑んでいるカカシ先生。
「男だからって嫌ったりしませんよ」
なんだか記憶がないということを忘れてしまいそうになる。本当に恋人同士なんじゃないかと錯覚してしまう。
もう少しだけでいいから一緒にいたいなぁ。
そんなことをぼんやりと考えていた時、ふっと目の前が陰った。
あれ?と思った瞬間、唇に温かいものが触れてきて。
まさか。
キ、キスされてしまったーー!!
「俺、がんばってイルカ先生のこと思い出しますから!待っててくださいね」
情けない恋人でごめんね、とカカシ先生はまた謝ってくれた。
けれど衝撃が強すぎて、あまり耳に入ってこなかった気がする。


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2003.10.04


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