「じゃあ、ちょっといってきますね」
と、朝カカシ先生は言った。
「いってらっしゃい」
と送りだそうとしてみたものの、きっともう帰ってくるわけはないと知っていた。
任務中に記憶が戻ってそれでおしまい。
いや、おしまいならまだマシだ。きっと何であんな嘘をついたのかと責められるのに決まっている。
こんな風に笑ってもらえるのもこれで最後だと思うと、口布もしていない曝された顔をじっと見つめてしまう。
「そんな風に悲しい顔をされると抱きしめたくなって困るなぁ」
「そんなこと……」
「大丈夫ですよ。すぐ帰ってくるから、待っててね」
まるで子供に言い聞かせるように優しくかけられる言葉。
これ以上心配をかけるわけにはいかない。わがままを言ってはいけない。
「……気をつけて」
なんとか気を取り直してそれだけ言うと、カカシ先生は名残惜しそうに出かけたのだった。

その日の夕方。
今頃はもう、カカシ先生の任務も終わって家に帰り着いている頃だろう。
そう思いながらも、今朝出がけにリクエストされた夕飯を未練たらしく準備してみたりして。
どうしようもなく馬鹿な自分。こんな二人分も作ってどうするつもりなんだろう。どうせ食べる人もいないのに。
それでもなかなか止まろうとしない手が、いつもの手順で料理を着々と完成させていくのを見て、溜め息をついた。
その時、玄関の扉が開く音がした。
「イルカ先生、ただいまー」
カカシ先生の声だ。
どうして。
混乱しているうちにカカシ先生は台所まで入ってきて、
「あ、美味しそう！」
とかなんとか言っちゃって、おかずをつまみ食いしようとしている。
「あの……カカシ先生？」
「はひ？」
口一杯に詰め込んだ食べ物のせいで、返事もろくにできない状態だった。
叱られたと思ったのか、慌てて飲み込もうとして喉に詰まらせてしまった。水を差し出したり、背中をさすったりして、大変な騒ぎだった。
「あー、死ぬかと思った」
言葉の割にはカカシ先生はにこやかに笑っていた。
結局、上忍の任務をこなしても記憶は戻らなかったということだろうか。
意外だと思う反面、ほっとしたのも確かだった。この時間にまだもう少し猶予があるということだから。
いつ記憶が戻るかと始終気にはなるけれど、それでも一緒に過ごす時間は楽しくてどうしようもなかった。

「イルカ、元気にやってるか」
「アスマ先生」
アカデミーから受付所に向かう廊下で声をかけられ振り向けば、それはカカシ先生と同様の上忍師をしているアスマ先生だった。
「おかげさまで元気です」
そういえば、あの事故からはずっと会う機会がなかったことを思い出した。
たぶんカカシ先生が俺の家で寝泊まりしていることは知らないはずだ、と自分に言い聞かせてみても、やはり後ろめたい気持ちがあると緊張やらなんやらで肩に力が入ってしまう。
１０班の近況などの話をしているうちに、ふと話題が変わった。
「……なあ」
「はい？」
「カカシの奴。本当に記憶喪失だと思うか？」
「ええっ！ど、どうしてですか？」
「いや……どう見ても普段と変わりないもんだからさ」
アスマ先生もそう思うんだ。たしかに一見すると前とは変わりのないように見える。
だがしかし。
「カカシ先生はれっきとした記憶喪失ですよ」
俺はアスマ先生に向かって、きっぱりと言った。
だって、そうでなければ俺が恋人だなんて信じるわけがないじゃないですか。
と言いそうになって、慌てて咳払いをして誤魔化した。
「そうか。それにしても、いつ記憶は戻るかねぇ。一番強烈な記憶をまず思い出して、それに付随して諸々のことも思い出せばいいんだがな」
「そうですね。……早く記憶が戻るといいですね」
心にもないことを言ってお茶を濁しながら、早々に話を終わらせて別れた。
そして、一人でじっと考えていた。
カカシ先生の記憶を引き出すものは、上忍の任務ではなかった。
でも、何だったら記憶が戻る鍵になるのだろう。
なにかカカシ先生にとって大切な思い出があれば、それがきっと思い出す鍵になるのだろうけど。
首をひねりながら、その鍵がわかれば一生触れないように暮らしていくのに、と思った。そうすれば、このままずっと一緒にいられるかもしれないと馬鹿みたいに考えるのだった。