【りっぱな犬になる方法】

四拾萬打リクSS『「犬みたいな人」の続編』


「なあ、イルカ」
「うん?」
 受付で報告書が提出されるのを待っていると、隣の同僚が名前を呼ぶ。
 いくら今は人が途切れているとはいえ、待機中におしゃべりはあまり好ましくない。何か大事な用でもあったのかと思って顔を見ると、表情が硬く顔色も良くない。交代してゆっくり休んだ方がいいと思った。
「大丈夫か? 医務室へ行った方がいいぞ」
「い、いや、いい。……それよりもいつまで居るつもりなんだろう、あの人」
 意味ありげにちらりと見た視線の先には、ソファーに座って本を読む上忍の姿があった。
「俺の交代時間がくるまで……かな?」
「うっ、やっぱりそうなのか!? 俺、緊張のしすぎでもう保たないよ……」
 具合が悪そうに見えたのは緊張のあまりだったのかと納得がいった。
「そんな緊張しなくても、いつも通りにしていれば……」
「そんなの無理だよっ。だってあの『写輪眼のカカシ』なんだぜ? 俺たち中忍風情じゃ影を拝むのが精一杯の超エリートじゃないか。上忍師になって里で見かける機会が多くなったと言っても、そうそう慣れないよ」
 たしかに俺も最初はそう思っていた。
 しかしエリートと言ったって同じ人間、いや『はたけカカシ』は同じ人間と言い切ってしまってもよいものかどうかかなり迷うところではあったが、それでも怖い存在ではない。今は卒業した元生徒の縁で親しくなったと思われている俺だけど、そのほんの少し前に不思議と懐かれていた俺が言うのだから間違いない。
 けれど、そこまで震え上がる必要はないのだと何度言っても、俺以外の人間はなかなか信じてくれない。
 そんな時、一人の女性が部屋に入ってきた。
 報告者かと襟を正すと、そうではなく彼女の目的はソファーに座る人物のみらしい。
 里で屈指の上忍とお近づきになりたいと望んでいるくノ一は多い。毎日のように入れ替わり立ち替わりやってくるのだ。
「はたけ上忍」
 声をかけるとカカシ先生はちらりとそちらへ視線を向け、興味を失ったかのようにまた本に視線を戻す。
 最初から相手にされないのは想定していたらしく、女性は怯まずにしゃべりだした。
「隣、座ってもよろしいですか?」
「……………………」
「どんな本を読んでいらっしゃるんですか?」
「……………………」
「七班の子供たちの調子はどうですか?」
「……………………」
 何を尋ねても一切返事はなし。取りつく島もない。
 しかもカカシ先生の表情がだんだんと険しくなってきて、殺気ともいえるチャクラが漏れ始めているのを感じた。その不機嫌さにさすがにまずいと忍びの本能が警告したのか、くノ一は「お邪魔しました」とそそくさと去っていった。
「ほら! 話しかけるのもNGなんだぞ」
 同僚がひそひそとしゃべりかけてくる。
「大丈夫。本当は打ち解けると気さくな人なんだよ」
 同僚を落ち着かせようと励ますけれど、いっこうに効果はない。
「嘘だ。だって現に今だって睨んでるじゃないかぁ」
 はっとソファーの方角を振り向くと、さっと視線をそらす気配を感じた。
 ほら見ろ、と同僚は泣きそうになっている。
 違う、そうじゃないんだ。
 だってあの人はただの極度の人見知りなんだから。
 親しくない者への視線はどうしても険しくなるらしい。たぶん俺と同僚が話をしているのが気になって見ていたのだろう。でもそれだけだ。睨んでるなんて言い過ぎだ。
 しかし、まさかみんなの憧れと畏怖の的の上忍が実は人見知りでしたとバラすわけにはいかない。
「俺、もう胃がキリキリしてきて……」
 腹を押さえて俺の腕に縋ってくる同僚の姿に、同情を禁じ得ない。
「わかった。他で待っててもらえるよう頼んでくるから」
「イルカぁ、恩に着るよ!」
 同僚は抱きつかんばかりに感謝している。可哀想なことをしたかもしれないと思った。たとえそれが誤解だとしても、体調を崩すくらい気にしていたのだから、俺ももっと早く頼むべきだった。
 ソファーの横に立ち、意を決して声をかけた。
「カカシ先生」
 俺が近づいてきていたのはわかっていただろうに、仕事中は相手から声をかけられるまで邪魔をしてはいけないという頑なな思い込みのもと、本から目を離そうとしない。しかし名前を呼んだ途端、ぱぁっと顔を輝かせ立ち上がった。
「イルカ先生、お仕事終わったんですか!」
 しっぽがぶんぶん振られている幻覚が目に見えるようだ。
「いえ、まだです。すみません」
 仕事が終わってないのにどうしてかまってくれるの?遊んでもいいの?と主人に問いかける犬のように小首を傾げる。
「あの……これからの時間ここは混んでくるので、できれば他の所に移動してもらえると嬉しいんですが……」
「ああ。そうですね、椅子を占領してると邪魔ですね」
 カカシ先生はあっさりと頷いた。よかった、わかってもらえて!
「じゃあ中庭の方で待ってますね」
「はい、ありがとうございます」
 カカシ先生はにこにこと手を振りながら外へ出て行った。
 俺の前ではよく崩れるけど、人前では本当に躾の行き届いた賢い犬だなぁ。
 そう考えてはっとした。
 違う、違う。カカシ先生は人間だって。犬扱いするのは失礼だよ。
 ぶんぶんと顔を振って失礼な考えを追い出した。
 そう、たとえどんなに犬みたいな言動が多くとも、れっきとした人間なのだ『はたけカカシ』という人は。
 それにしてもあの人見知りはかなり酷い、と溜息をついた。


 その後受付はごった返し、移動しておいてもらってよかったと安堵した。ようやく交代する時間になり、引き継ぎを済ませて中庭へと向かった。
 中庭へと続く通路の途中で、噂話をするくノ一たちを目にする。あまり気にしていないのか内容は丸聞こえだ。
「つきあってるのよ、きっと」
「あーん、やっぱりぃ?」
「そうじゃなきゃ、人前で髪に触ったりしないでしょ。諦めなさいよ」
 何の話だろうと思って中庭を見た瞬間に悟った。きっと噂話の的はあの二人だ。
 芝生に座り、何かの書類を真剣に見ている紅先生の髪を、カカシ先生がブラッシングしているのだ。
 ああ、つきあってるってみんな誤解してるんだろうな。どう見ても恋人同士がのんびりくつろいでるとしか見えないものな。
 でも俺は知ってる。あれはそうじゃないってことを。
 最初見たときは俺も恋人なのだと思ったさ。でもカカシ先生は言ったんだ。
「紅は女のくせに毛繕いがヘタでね。せっかくのアフガン・ハウンドなのに!」
 憤慨していた。
 艶やかな毛並みがアフガンの自慢なのだそうだ。より艶やかであるためのブラッシングは必須だと主張される。
 結局カカシ先生にとってはただのグルーミングだと聞いて脱力した。
 いくら気に入った人間への誉め言葉が犬に例えることだとわかっていても、この人の目には本当に犬にしか見えていないのか、としばらく真剣に悩んだ一言だった。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、気配を感じたのかカカシ先生が立っている俺に気づいた。
「イルカ先生っ」
 ブラッシングの手を止めて駆け寄ってくる。
「もう帰れるんですか?」
「はい、お待たせしました」
 喜ぶ姿に、急いで終わらせてよかったと思う。
「こんにちは、イルカ先生」
「紅先生、こんにちは」
 すらりと立ち上がった美女にどぎまぎしながら挨拶をする。紅先生はにっこりとあでやかな笑顔を浮かべた。
「イルカ先生、これ、差し上げるわ。私からの贈り物」
「え」
「きっと役に立つから」
 手渡されたのは犬のしつけの本。ぱらぱらとページをめくると、『散歩に出るときに興奮して大騒ぎする』とか『爪切りをさせない』とか『歯磨きを嫌がる』などといった困った犬への対応策が載っている。
 正直役に立つのは間違いないと思う。今まさに困っている問題への答えなのだから。
 さすが長年の付き合いがあって、人前でブラッシングを平然とさせるがままなくらい親しい友人なだけはある。
「あ、ありがとうございます!」
「頑張ってね」
 悠々と気品のある後ろ姿に、深々と感謝を込めてお辞儀をした。
 その俺の周りをうろうろして様子を窺うカカシ先生は、まさに落ち着きの無い大型犬そのものだ。思わず吹き出しそうになるのを懸命に堪える。
「イルカ先生、帰りましょうよ」
「そうですね」
 おあずけ状態で大人しく待っていた上忍ににっこり笑った。
 向かう先はカカシ先生の家。というか今は俺の住む家でもある。
 初めて会ってからしばらくすると、一緒に住んでくださいと言われた。一人よりも一緒の方が楽しいから、と。
 もちろん即答で断るはずが、飼っている忍犬たちと共に囲まれて、くうんと鳴きだしそうなくらい縋りつく犬と同じ目で見つめられるともう駄目だった。
 犬と暮らす生活、そんなのもいいかもしれないと思ったのが運の尽き。気づけば家財道具は運ばれてしまい、いつの間にか引越していた。
 そんなわけで、二人で一緒の家へと向かう。


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2005.09.18初出
2011.01.29再掲


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