【無何有の郷(むかうのさと)3】


「ヒコは、歳はいくつだ?」
「しらない」
 ヒコはふるふると首を振った後、またイルカを見つめ続けた。
 このくらいになって自分の歳が分からないわけがない。要するに歳を数える必要がないのだ、それがどんな理由であれ。
「それってだいじなこと?」
「ああ」
 イルカは逆に尋ねられて咄嗟に頷きかけ、それから首を傾げた。
「……いや、そうでもないな」
 歳なんてそれほど重要なことじゃない。
 己の歳を数えないというのがこの郷の風習であれば、他人がとやかく言うべきことではないのだ。
 むしろ重要なのは、今までどう生きてきてこれからどう生きていくかということ。そういう点では歳を知らないのは別段可笑しいことではない。
 つまらない質問をしてしまったとイルカは思い、退屈させてしまったお詫びにと独楽を取り出した。
 木製の親指の爪ほどの小さな独楽だったが、手慰みにもなり回転を加えて急所を狙えば武器にもなるので意外と重宝しているのだ。
 人差し指の上で回してみせると、瞳を輝かせて見入っている。回したままの独楽を跳ばせて指先と指先の間を移動させると、子供らしく歓声を上げた。
「すごい!」
「ヒコも回してみるかい?」
「うん」
 初めは畳の縁で回してみると、くるくると良く回った。
 それに気をよくしたのかヒコは手の上で回してみようとする。さすがに難しいだろうと思われたが、何度か失敗してコツを掴んだのか手のひらで回せるようになった。
 その勘の良さに、イルカはこの子は忍びに向いているかもしれないと密かに思った。
 だが、それもすぐ苦笑に変わる。きっと御曹司であろう子供が忍びになるわけがないのだ。アカデミーの職業病だと笑った。
「上手にできたな」
 ついいつもの癖で頭を撫でてやると、驚いて目を見開いている。
 もしかしたら頭を撫でられたことなどないのかもしれない。慌てて手を引っ込めると、もっとという思いを込めて見つめられた。気がした。
 柔らかい髪を撫でてやると、顔に笑みが広がっていく。そのはにかむような笑顔にイルカも思わず笑みが漏れた。
 そこへ幾人かが連れ立って部屋へやってきた。イルカが目を覚ましたので世話係が上の者に報告したのだろう。まずはお礼を言わなくてはと、イルカがヒコの頭に手を置いたまま視線を向けた時だった。
 しかし、相手はイルカの行為を見て顔色を変えた。
「無礼な! 尊い頭に触るなど!」
 と、女性特有の甲高い声で叫んだ。
 イルカがその言葉の意味を理解する前に、女は更に声を荒げて怪我人に向かって叩頭礼をするよう強制する。
 どうやら相手の禁忌に触れてしまったようだ。
 ここは大人しく従って謝罪しなければ、追い出される事もあり得る。怪我を押して無理にイルカが頭を下げると、何とか許されたようだった。
「ヒコさま。どうかあちらでお遊びになってくださいませ」
「いやだ。ここにいる」
 イルカには駄々を捏ねている普通の子供にしか見えなかったが、女は恐縮し深々と礼をした。
「失礼ですが、こちらのご子息は……」
「日子さまは日輪の御子。神の子でいらっしゃいます」
 ぴしりと厳しく窘められ、イルカはようやく理解した。
 ヒコは名前ではなかった。いわゆる称号だったのだ。
 誰か偉い人の御曹司などという生やさしいものではなく、ヒコはこの郷の崇拝すべき対象なのだ。彼女らにとっての生き神である。
 数人いる女達の中でも一人別格に尊大な人物が、ここの権力者だろうとイルカは推測した。
 最初は幼いヒコの乳母かと思ったが、それよりも更に力を持っている、おそらく巫女たちを総括する立場なのが言葉の端々から感じられる。
 彼女に向かってイルカは思いきって尋ねてみた。
「あの……どうして我々を助けてくださったのでしょう」
「お客人をもてなすのはあたりまえです」
 とりつくしまもなく、これ以上何も聞き出せないかと思っていたら、巫女がイルカの持つ鈴にちらりと視線を向けた。
「それは日子さましか作ることのできない鈴ですから」
 小さな鈴。これが。
「どのような経緯で手に入れられたのかは存じませんが、それを持っているということは所有を認められているということなのです」
「認められている?」
「はい。日子さまに許されている証です」
 許されない者が持っていると鈴本体の力によって必ず手から離れていく。持ち続けることが出来ないのだそうだ。人の手を渡り渡ってあるべき所有者の元へと戻る。つまり鈴を持っている、その事実だけで彼女らにとっては信用に足る人間なのだという。
 この鈴のおかげで今自分たちは客人扱いらしい。
 どうやって手に入れた鈴なのか知らないが、カカシ先生に感謝しないとな、とイルカは思った。おそらく貴重なものだったはずだ。それを惜しげもなく貸してくれたのだから。
 イルカは今ここに居ない人を想って切なくなった。
「日子さま、あちらにお食事の用意が出来ていますよ。さあ、参りましょう」
 巫女はヒコを連れて行こうとしたが、ヒコは首を振って嫌がった。イルカの服の裾をぎゅっと掴み、離れたくない意志を示す。
「こちらの者も休ませてやらねば怪我が治りませぬよ」
 巫女の言葉で、本当に?という瞳を向けてくるので、イルカも説得するために頷いた。口調も巫女に聞かれているため丁寧に返しておく。
「もう少し良くなれば、もっとお相手できるようになるでしょう」
「ほんとう?」
「ええ、約束です」
 ゆびきりをしようと小指を出すと、不思議そうにそれを眺めるだけだった。
 こんな習慣はないのだと気づいて手を引っ込めようとした瞬間、おそるおそる同じ小指を差し出してきたので、イルカも嬉しくなって指を絡めた。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます」
 イルカの歌う節を首を傾げて聞いていたが、終わった後に分かるところだけ真似て繰り返す姿は愛らしかった。
「さあ、日子さま。こちらへ」
 手を引かれて部屋を出る時、ヒコは振り返りイルカをじっと見つめる。
 その縋るような瞳が、カカシを思い起こさせた。



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2008.05.18初出
2012.03.24再録



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