【無何有の郷(むかうのさと)7】


 医療班が到着して、アスマは担架で里へ運ばれていった。
 イルカは怪我が軽いこともあって、カカシが責任を持って連れていくからと言えば了承された。二人並んでゆっくりと歩いていく。
 もはやイルカは、カカシがヒコであったことを疑っていなかった。
 あの世界は特殊なところに成り立っていたから、カカシが跳ばされた時に時空間がねじ曲がってしまっただろうこと。二十年前のこの場所で泣いていたらはたけサクモに拾われたこと。
 カカシの長い話をイルカは聞き漏らすまいと耳を傾けていた。
「どうして名前……」
「ああ。先生、結局名前を付けてくれなかったでしょ。でも『ヒコ』って呼ばれるのは嫌だったんです。だから義父にね、初めて会って名前を尋ねられた時、つい『カカシ』って名乗ってしまったんですよ」
「どうして『カカシ』と?」
「名前が『カカシ』になればイルカ先生に好きになってもらえるかなって、子供心に思ったんでしょう。馬鹿ですね」
 それからカカシは木ノ葉の里で育てられたのだという。
 そうだった。『写輪眼のカカシ』は『木ノ葉の白い牙』に瓜二つだと言われている。あの時ひっかかっていたのはこのことだったのか、とイルカは思った。
 拾われたというのに何故養い親にそっくりなのか。
 矛盾した事実。奇妙な符合。
 今の今まで気付かなかった自分の鈍さに、イルカは地面に頭をぶつけたい衝動に駆られた。
 その間もカカシの話は続く。
「……それで、写輪眼を移植された時に思ったんです。もしかして『はたけカカシ』は正真正銘俺のことなんじゃないかって」
 ずっとなりたかった『はたけカカシ』は、もしかして自分自身なのかもしれない。偽者なんかじゃなく。
 幼い頃に聞いた話がすべて当てはまっていくのはいっそ怖いくらいだった。
「片目の写輪眼なんてそうそうあるものじゃないし。だから慌ててイルカ先生のことを探したんですよ。そしたらまだ小さかったけどちゃんと存在していて、俺がどんなに嬉しかったかわかりますか?」
「どうしてすぐに会いに来なかったんですか?」
「だって。イルカ先生にとってはまだ会ったこともない人間なんですよ? いきなり行ったら思いっきり怪しい人物じゃないですか。変質者だと思われたら困るし」
 たしかに会いに来られても信じるはずがなかった。未来で付き合ってるはずの恋人です、などと言われて真に受けることなどできようか。
「……だから待とうと思って。すごくすごく我慢したんです。いつか小さかった俺と出会ってくれたら、その時にはきちんと言おうと決めていました」
 その長い長い時間を思ってイルカは涙しそうになった。
 見知らぬ土地に運ばれ、幼いうちに忍びの訓練を受け、義父を友を師匠を失い、それでも辛い人生を闘って生きてきたのだ。
「早くナルトが下忍になればいいって思ってました。そうしたらイルカ先生に会えるって知っていたから」
 会えた時は嬉しかったと言われ、イルカは言葉を失った。
 あの時の自分はカカシの期待に添えるほどの態度だったろうか。怪しい人だと思って邪険にしたりしなかっただろうか。
 小さな頃にほんの数週間過ごしただけの人間に改めて会って、ガッカリしなかったなんてよっぽどの奇跡だとイルカは思った。
 けれどカカシはそんなイルカの心配を知らぬまま。
「ありがとう、イルカ先生」
 突然と礼を言われて戸惑う。
「さっきヒコが居ないって泣いてくれて嬉しかった」
「そんなの、あたりまえじゃないですか」
「うん。でも、おかげで長い年月も報われた気がするんです」
 そんなことを言われてイルカはまた泣きそうになる。
「あの時別れた後のイルカ先生が無事だったかどうか俺にはわからなかったから、心配していたんです。酷い怪我をしていたらどうしようって」
「だからお守りを?」
 貰った鈴を取り出して見せる。
「ええ。役に立ったみたいでよかった」
 鈴のおかげで空間の歪みにも気づいて、こちらに引っ張り出すことが出来たのだという。
 特別な時だけ鳴る鈴。郷へ行く時も戻ってくる時もこれが無ければ無理だった。すべてカカシが守ってくれていたのだと初めて知った。
「あの郷は何だったんでしょう」
 不思議な世界だった。
「あれはどこでもないところです、きっと」
 カカシは遠くを眺めながらそう言う。
「……俺のこと、気持ち悪いですか?」
「え?」
 イルカは何を問われたのかわからず、戸惑った。
「どうやって生まれてきたかもわからない生き物ですよ」
 カカシの瞳は悲しみに彩られていて、その中に少しだけ諦めに似た色が見えた。
 ーーもしかして遠い気がしていたのはそのせいだったのだろうか。自分は周りとは違うと思い込んでいたから。だから?
 正直、カカシが人間かどうかすらイルカには判断がつかなかった。
 彼女らは言った。神の子を作ったのだと。
 そんなことはありえない。神を作るなど人間にできるはずもない。しかし、尋常では考えられない力があった。
 人間とは言えないかもしれない。けれどたとえどんな姿形であろうとも、魂はその本質の魂のまま変わることはないはずだ。
 カカシが今まで木ノ葉の忍びとして生きてきたすべて。仲間を死なせたりしないと言い切れる強さと優しさを、これまでの経験から学んだカカシが、人間ではなかったからと言って何が変わるのだろうとイルカは思う。
 だから笑って断言できる。
「どうして? あなたは木ノ葉のはたけカカシじゃないですか。それ以外何者でもないですよ」
 強張っていたカカシから身体の力が抜けていく。
 それとは反対に、イルカは緊張で固まりかけていた。これから口にすることは、イルカの常識からすればあまりにも恥ずかしいことだったからだ。けれど己の出自に不安を抱くカカシには、一つでもいいから己を表す称号が必要なのではないかと思ったので、言うべきだと思った。深呼吸して口を開く。
「そして……」
「そして?」
 カカシの視線を感じつつ、イルカは俯いた。項が真っ赤に染まっている。
「あの……俺の恋人でもあります」
 くだらないと思われただろうか、とイルカが不安に思っておそるおそる顔を上げる。
 カカシはほんのりと目の縁を染めていた。
「それが俺にとっては一番価値のあるものですよ」
 どんな地位や名誉よりも意味のある称号だと、カカシは嬉しそうに笑った。



 里に戻ってから、アスマが入院していると聞いた。
 完治しない怪我を押してのあの脱出劇、そうとう身体に負担がかかっていたに違いない。
 イルカは申し訳なく思い、見舞いへと足を運んだ。
 病室に入ってみれば、アスマは上忍の驚異的な快復力を見せつけ、ベッドの上で煙草をふかしてすらいる。それに苦笑しつつ、イルカはカカシのことを伝えた。もちろん前日に本人の許可を得てのことだった。
 しかしアスマは驚きもせず、なるほどねぇと紫煙をくゆらすだけ。
「アスマ先生は気づいていたんですか?」
「ん? 何をだ?」
「ヒコがカカシ先生だってこと」
「……俺だって確証があったわけじゃない。途中でもしかしたらって思っただけだ。どこそこが似てるとかという言葉では言い表せない、ほとんど勘でしかなかったから言い出せなくてな」
 悪かったなと謝るアスマに、イルカは首を横に振った。
 そして、ヒコを見て始終カカシを思い浮かべていたのは、自分の間違いではなかったことに少し安堵した。もしそうでなければ子供を見て恋人に思いを馳せる変態じゃないか、恥ずかしすぎる!と身悶えそうになるのをなんとか堪えた。
「もしかしたらあいつは人間ですらないのかもしれないな……イルカ、お前はそれでいいのか?」
「何故ですか? だって、あの人は木ノ葉の『はたけカカシ』じゃありませんか。昔も今も」
 アスマはふっと笑みを漏らし、
「お前は良い奴だ」
 そう言って、ガシガシとイルカの頭を掻き回す。
 照れたイルカは話題をそらそうと頭を巡らせた。
「そういえば、どうしてカカシ先生はサクモ氏にそっくりだったんでしょう……」
「たぶん擬態だ、あの時していたみたいに。周りにとけ込めるよう姿を変えているんだろう。拾われた子供があそこまで似るなんておかしな話だからな」
 その環境に溶け込んで目立たないように擬態する。生きていくための本能だったのかもしれない。
「でも……とけ込むのに成功しているとはちょっと思えませんね」
 あれではなおのこと目立つ。
 イルカがそう言うと、アスマも口の端を吊り上げた。
「まぁな」
 二人は陽光の中ひとしきり笑いあった。
 神を作り崇める歪んだ世界。あれはもうどこにも無い。
 今は木ノ葉の里に陽が降り注ぐのみだ。
 カカシは此処こそが無何有の郷だと言った。作為的に作られたものではなく、皆が自然に生きている場所。理想とする場所。
 そう思ってくれるなら嬉しい、とイルカは口元を緩める。
 そして、友人の見舞いへと訪れたであろう銀色の髪が視界に入り、その本体を迎え入れるべく立ち上がった。


-完-
●back●
2008.05.18初出
2012.04.21再掲



●Menu●