めかくし 鼓動が少し速くなる。イルカは意味もなく眼鏡を掛け直した。サングラスのようにレンズが黒くなったそれは、アトラクションを楽しむため3Dに対応されたものだ。スクリーンに映し出された映像が、この眼鏡を掛ける事で手を伸ばせば触れられるくらいリアルに見える。小さな飛行物が眼前まで迫り、ぶつかるわけがないと分かっていても、イルカは思わず首を僅かに仰け反らせた。 「わっ」 すぐ隣から聞こえてきたのはカカシの声だ。まるで目を護るように片手を顔の前に掲げている。この様子では瞼も固く閉じているに違いない。イルカはそれに小さく笑った。 「馬鹿、何やってんのお前」 「だって…うわ!」 話している間もアトラクションは容赦ない。相変わらず飛行物は宙を彷徨うし、ついには大量発生したネズミが客席にまで溢れ返ったという。勿論足元から細い空気が勢い良く出ているだけだが、ネズミが実際駆け抜けていくようなリアルな感覚に思わずイルカも足を浮かせる。 「わ、イルカ、ちょ、うわ、きもい!」 「…お前もう少し大人しく出来ねーの?」 自分の事は棚に上げ、カカシの反応に呆れ返る。そんなイルカにカカシは陰気な視線を投げ掛けたが、如何せん眼鏡を掛けているので見えなかった。だからカカシの小さな企みもイルカには伝わらない。前を向いたイルカは隣の男を思考から追いやりアトラクションに集中した。どうやら自分たち観客は妙な光を浴びて小さくなったという設定らしい。スクリーン上の人間や動物がやけに大きかった。そんな自分たちを蛇が襲う。伸びてきた舌に、イルカは思わず小さく声を上げ目を瞑った。その時、頬に温もりを感じた。何かと思い首をそちらに向けると、今度は唇に。 「……」 思考が一瞬止まる。目の前には眼鏡を外したどアップのカカシ。これは多分、キスだ。 「な、」 再び脳みそが正常に動き出した頃には、カカシの顔は既に離れていた。イルカは怒鳴り散らしたい欲求を何とか押さえ、カカシの胸倉を掴むと小声で詰め寄った。 「何してんだてめぇ!」 「だーってしたくなっちゃったんだもん。良いでしょ別に、みんな俺たちの事なんて見てないし」 「ふざっ」 ふざけるなと怒鳴ろうとした時、周りの観客が次に来る展開を予測して身構えているような雰囲気を感じた。イルカはカカシを取り押さえたままちらりと視線をスクリーンへと向けた。今度は非常識なまでに大きくなった犬がむずむずと鼻を鳴らしている。まさか。 ックション! 「わ、きったな!」 犬がくしゃみをするのに合わせ、上から霧状の水が降ってきた。まるで犬の唾液を浴びたような感覚に周囲が何とも言えない声を上げている。アトラクションが終了し、場内が少し明るくなった。イルカは声もなく腕で顔を覆った。傍からは顔に掛かった水を拭っているように見えるだろうか。そうだと良い。光が射した場内、何となく後ろを振り返った時に目を丸くした女と視線が絡んだのだ。きっと見られた。あのキスを。とても顔を上げられるような状態じゃない。 「ああああああ」 「え、何? どうしたのイルカ」 誰も自分たちを見ていないだなんて、そんな保障がどこにあるんだ。目の前に座る人間が妙な動きをしていたら気になるものだ。こんな気休め程度の眼鏡では、十分な目隠しにもなりはしないのに。 「あああああああ〜!」 「ちょ、何? 何なの?」 「くそっ、ふざっけんなてめぇ、もう二度と一緒になんて来ねぇ!」 「え、嘘、ちょ…、待って!」 「ついてくんな!」 カカシを待たずに出口まで早足で向かう。しかしそこに先ほどの女を見付けイルカは卒倒しかけた。女はイルカと目が合うと顔を強張らせ、連れの手を引きそそくさと人込みへ消えていった。 「待ってって言ってるじゃん、もう」 隣に立った男は不貞腐れた顔でそんな事を言う。イルカはとうとう我慢出来ず、その頭に拳骨を落とした。 |