三週間後の空の下 


――上忍の正月なんてロクなもんじゃない。

すっかり正月気分の抜けきった街並みを歩きながら、カカシはつくづくそう思った。
任務のために里を出たのは、寒さの厳しい昨年の暮れ。そしてようやくそれを終えて帰ってきたと思ったら、里ではすでに年末も正月も遠い彼方に終わってしまっていたのだ。
(あぁ〜、侘しいねぇ)
普段から小言の対象である丸い背中が、ますます力なく縮んでしまう。
別に、正月気分を楽しみたかったわけじゃない。
……いや、ホントはそれも少しはあるが、年末年始に長期任務が入るのは取り立てて珍しいことでもなかった。むしろ、カカシにとってはそれが当たり前。
忍びにとっての年始……それは即ち『稼ぎ時』というやつだ。
任務依頼のの上得意である大名や豪商が、年の始めには必ずと言っていいほど祝賀のために派手な宴会や式典を行う。となれば、護衛任務や雑用等の任務依頼が舞い込むのが自然な成り行きで、木ノ葉の里の年末年始は年間で最も忙しい時期だと言っても過言ではない。
実際カカシの今回の任務も、例に漏れずダラダラと大名の豪遊に付き従っているだけの退屈なものだった。他人が正月気分を満喫しているのを、傍で見ていて一体なにが楽しいのか。
(ホントなら俺だって、イルカ先生と仲良く年越しだったのに……)
アカデミー勤務の中忍と、苦労の末に結ばれたのはまだほんの数ヶ月前のこと。
忍びのくせに常識人で、頭の固いイルカを手に入れるには、上忍といえども並々ならぬ努力を要した。すげない態度で追い払われながらも、「好きだ」「愛してます」と連呼して、ようやく本気だと信じてもらった。それこそ上忍のプライドもなにもあったものじゃない。
そうまでして両思いになった大事な恋人なのだから、当然カカシがふたりで正月を過ごしたいと思うのも無理はないだろう。折りしも今年は下忍の担当にあたっている事だし、毎年のような長期任務を割り振られる事はないだろうと高をくくっていたのだ。
――しかし、忘れもしないあのクリスマス。
受付所に座ってニッコリ笑った恋人が差し出したのは、愛情のこもったプレゼントなどでは当然なく、例年通りの任務依頼書。
「イルカ先生コレ……」
「ええ、年末から来年にかけてのカカシ先生の任務ですよ。結構長期になりますから、頑張ってくださいね」
ニコニコニコ。
……って、そうじゃないだろ。
「イ、イルカ先生!……ヤですよ俺!これじゃイルカ先生とラブラブな正月を過ごすという俺の計画はどうなるんですか!?」
「生憎と俺に年末年始の予定にはそんな計画は含まれていません」
「そんなぁっ!恋人どうしなら当たり前の事でしょうが!」
「知りませんよ俺は。忍びなら任務優先が当然でしょう」
イルカは冷たかった。凍えるような外の空気よりも冷たかった。
周囲は受付カウンターで突如喚き出した上忍と、それをあしらう中忍の姿を固唾を飲んで見守っている。カカシとイルカが付き合っているのは周知の事実だったから、からかい混じりの視線が大半だ。
イルカは周りの様子に気付き、さっさとカカシを退散させようと冷徹とも言える対応を取る。しかしだからこそ意固地になったカカシは、イルカの受付の前を陣取り、いつまでもグジグジと女々しい泣き言を垂れてみせた。
公衆の面前で、延々と。
「ぐだぐだ言わずにとっとと行って来いッ!」
しまいには堪忍袋の緒が切れたイルカに、受付所から蹴り出された。
どんな過剰な求愛行動をした時よりもイルカの怒りは凄まじく、さすがのカカシも抵抗の余地がないほどだった。
(無茶苦茶怒ってたもんなぁ……やっぱ今でも怒ってんのかな)
最後に見た恋人の顔が、あの鬼のような形相だと思うとなんだか哀しい。
自分のした事など棚上げして切ない気分に陥りながら、カカシはとぼとぼと足取りをイルカの家に向けた。


「あれ、もう帰って来たんですか?」
玄関を開けてのイルカの第一声に、カカシは激しくヘコんだ。
「思ったより早かったですね」
「……イルカ先生、ヒドイですよ〜。まるで帰ってこない方がいいみたいじゃないですか」
今にも泣き出しそうな顔でカカシが訴えれば、イルカはそんなつもりはなかったと鼻の脇を小さく掻いた。
「すいません、そんなつもりじゃなくて。まだなんの準備もしてなかったから」
「準備?」
見ればイルカは腕を捲くり、右手に雑巾左手にはたきを持っている。ベストを脱いで額当てをはずしたその姿は、完全にどこかの掃除夫といった風体だった。
「大掃除してたんですよ。そろそろカカシ先生が来ると思って…」
「イルカ先生!」
どうしてカカシが帰ってくる=大掃除なのかは不明だったが、とにかく自分のためなのだと都合よく解釈して、カカシはイルカに飛びついた。
「会いたかったですよぅ。……帰って来たらてっきり受付所で会えると思ってたのに、イルカ先生もう帰ったって言うんだもん。もしかしてまだ任務に行く前のこと怒ってんのかと、俺儚くなっちゃいましたよ」
「ああ、アレですか」
ぎゅむぎゅむと万力のような力で締め上げられ顔を顰めながらも、今日ばかりは仕方がないとイルカは苦笑する。
「まぁ怒ってなくもないんですが、その腹いせは他に考えてあるので安心してくれていいです」
「へ?」
「とりあえず昼飯作るんで、座ってて下さい」
入れと中を示されて、カカシは嬉々として従った。
イルカの言動に気になる部分はあったのだが、そんな事はこの際どうでもいい。
入り込んだ室内は、めずらしくどこか雑然としている。いつもはきちんと片付けられているイルカの自宅だが、掃除中だったのなら仕方がないだろう。
「カカシ先生、任務はどうでした?」
台所の奥から、イルカの声だけが聞こえる。
「んぁー…何っにもなかったですね。阿呆みたいな護衛任務デス」
もともと祝宴の護衛任務など、襲ってくる敵の当てがなければ、ただの警備員のようなものだ。どんちゃん騒ぎをする大名達を横目に、突っ立っているのが精々。
「いっつもイルカ先生の事考えてたんですよ」
コタツにもぐってうふふと答えれば、いつしか食欲をそそる匂いが届く。
「任務中はちゃんと仕事して下さい」
呆れたように言いながら、イルカが盆を両手に敷居を跨いだ。
腰を屈めて膝を突き、軽い音を立てながらこたつの上に丼を並べる。
「いい匂い。何ですか?」
「蕎麦ですよ。……カカシ先生、飯時ぐらいちゃんと起きて」
「はーい」
言われた通りもぞもぞと身体を起こして、コタツの上を覗き込んだカカシは顔を強張らせた。
「……コレ」
「蕎麦です」
しばし呆然とするカカシを尻目に、イルカはぱちんと手を合わせた。
「いただきます」
「はぁ」
ズルズルズルズル。
イルカの食事風景はいつも爽快だ。
ガツガツとかきこむ訳じゃないが、真剣な面持ちでもくもくと食べる事に集中する。美味しそうな表情や仕草はなくても、イルカが食べていると何でも美味そうに見えてくるから不思議だ。
はふはふと熱い蕎麦に息を吹きかけて、勢いよく啜るイルカ。きっちり咀嚼して飲み込む時には、微かに咽が隆起する。
そんな姿をボーっと眺めていると、ふいにイルカが顔を上げた。
「カカシ先生、食べないんですか?」
「え?あ、あー…」
我に返ったカカシは、情けない顔で目の前の丼の中を見下ろした。
視線の先にはこんがりとキツネ色に揚がった、大きな掻揚げが鎮座している。
イルカの食事姿がどんなに美味そうに見えていたとしても、それはカカシが大の苦手とするてんぷらの類だ。
「……コレが腹いせですか?」
先程のイルカの台詞を思い出す。
複雑な表情で固まっているカカシに、イルカは厳しい顔で眉を寄せた。
「言っておきますが、あの時あんたを叩き出した後、俺がどれだけ恥ずかしい思いをしたと思ってるんですか。少しは反省して下さい」
「えぇ〜。だってイルカ先生つれないんだもん!恋人同士ならもう少し労わってくれてもいいと思いません?」
「思いません。だいたい受付所でそんな事ができますか!あんたはもっと常識というものを……」
「だって去年のことですよ〜。とっくに時効でしょ」
「生憎と俺には去年のことなんかじゃありません」
イルカはキッパリと言い切ると、手の付けられていないカカシの丼の上から、件の掻揚げを箸で取り上げた。
「でもまぁ任務も頑張ってきた事だし、ひと口食べたら許してあげます」
ひょいっと目の前に差し出される掻揚げ。
状況的には「はいアナタ、あ〜ん」の姿に表情を緩めたカカシだったが、対するイルカはいたってぞんざいだ。もう少しこの姿を堪能したいと思うのに、「さっさと食べろ」と掻揚げを突き出す。
「あ〜んって言ってくれないんですか?」
「カカシ先生、全部食べます?」
無情な言葉にしぶしぶと、カカシは掻揚げにかぶり付いた。
もしゃと口の中にある天ぷらの感触。思わず眉を顰めながら、それでもイルカに食べさせてもらった事実に顔が綻ぶ。
「あんた表情変ですよ」
不気味そうなイルカの声もなんのそのだ。
ほとんど噛みもせずに天ぷらを飲み込むと、残った掻揚げはイルカがそのまま頬張っている。
「なんかイイですね、こういうの。幸せの味って言うんですか?」
「……そんなに美味かったのならお返ししますけど?」
イルカが冷ややかに突っ込んだが、舞い上がったカカシには通じていない。
嫌いなはずの天ぷらを食べさせたのに、本当にこれが腹いせになったのかどうかは大いに疑問が残るところだ。
「蕎麦は食いますね。俺、蕎麦好きですから」
掻揚げが消えてただの蕎麦だけになった丼を、カカシは嬉しそうに抱え込む。
全然懲りた様子の見えない姿に呆れながらも、イルカは小さく苦笑した。
「一応、年越し蕎麦なんで、それなりに食べて下さいよ」
「ふえ?」
口の中の蕎麦麺を噛み締めながら、カカシはきょとんとイルカを見た。
「年越しって……?今日はもう一月の二十一日ですよ」
チラリと壁のカレンダーを見やれば、大晦日からは三週間も経っている。
そう考えて、カカシは少し青ざめた。……まさか、まさかとは思うが、この蕎麦が三週間も前のものと言う事なのだろうか。蕎麦の賞味期限がどれくらいなのか分からないが、これも腹いせの一環なのか。
「カカシ先生、何考えてるんですか。蕎麦はちゃんと俺も食べてたでしょう」
「あっ、そうですね!」
イルカの言葉にホッと一安心。まさか腹具合が悪くなるような代物を、自分で食べたりはしないだろう。
「あれ?……じゃ年越蕎麦って?」
「……いや、実は俺も年末年始は受付当番に入ってて、ろくに正月も過ごしてないんですよ。だからこうして大晦日からやりなおそうかなぁと」
だから今頃大掃除なんてやってるんです。
もごもごとそう言って、イルカは鼻の上の傷跡を掻きながら、怒ったようにも見える憮然とした表情で視線を逸らした。
「え?あれ?」
カカシは何と言っていいかわからず、口を金魚のようにぱくぱくとさせる。
「……もしかしてイルカ先生、俺の事待っててくれたの?」
一緒に正月を過ごせるように。
期待に眼が輝いていくカカシに、イルカはますます眉を顰める。
「偶然ですよ。たまたま俺も仕事が入ったから。……独りでやるよりは二人の方が楽しいですし」
イルカはそう言うが、カカシの表情はすでにヘラヘラと笑み崩れている。
(だって、知ってるんですよ俺)
年末年始、イルカは受付当番になんて入っていなかった。――少なくとも、カカシが任務に出る直前までは。一緒に正月を過ごすつもりで、カカシはイルカの予定をコッソリ確認したのだから間違いない。
とすれば、当然カカシの任務が決まってから変更したわけで。
「イルカ先生、大好きです!」
思わず叫ぶ。感極まって抱きつこうとすれば、伸びてきたイルカの腕に遮られた。
「いいですか、年末からやり直すんです。これからキッチリ大掃除して初詣に言って、モチ食っておせち食って、やることは沢山なんですからベタベタしない!」
「イチャイチャはその後という訳ですね!」
了解!と親指を突き出せば、ギロリとイルカに睨まれる。
――でも、幸せ。
怒ったようなつっけんどんな態度は、イルカ特有の照れ隠しだ。
きっとこれは、不器用で頑固な恋人なりの正月の過ごし方。
行事ごとにはマメなイルカが、二人で新年を迎えられるように、自分の中の時間を少しだけごまかしてくれた。カカシだけが取り残されないように、三週間だけ待ってくれていた。
「さっさと蕎麦食っちゃって下さい」
「はーい!」
アカデミーの生徒ばりの威勢のいい返事にかぶさって、室内の壁時計から時報の音が高らかに鳴る。大きい針も小さい針もきれいに真上を指していて。
二人で見上げて、同時に笑った。
――正午の十二時。
外の空気は寒いけど、太陽は真上に輝いている。
……それでも。

「あけましておめでとうございます」
「本年もよろしくおねがいします」

申し合わせたように頭をペコリ。
真昼の空の下、三週間遅れで迎えたお正月。
それでも二人で迎えた新年なら、今までのどんな年よりも幸せな一年になる。
カカシはイルカと顔を見合わせ、そんな予感に胸を膨らませた。


END



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FRYING DOG』の仁科さんから頂いた誕生日プレゼント!!
うはー!カカイルが私の誕生日に年越し蕎麦を食べてます。
「あーん」って(笑) もしも天ぷらじゃなかったら
イルカ先生まで美味しく食われちゃってます!
こんならぶらぶしいカカイルを読んだら、今年一年
私の無い胸も期待に膨らもうというものです。
仁科さん、最高のプレゼントをありがとうございました!
冬之介 2003.01.25
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