奴と別れてからもイルカは喋らなかった。
まだ怒っているかなー。
と様子を窺っていると。
「……俺もです」
「え?」
「俺も結婚するなら一番愛している人としたい」
俺の裾をぎゅうと握りしめてくる。
またそんな可愛いことをしてくれちゃって!
「ちょっと抱きしめてもいい?」
「えっ」
かぁっと赤くなりながらも、こくんと頷く。
「人目のないところだったら…」
その返事を聞いた途端、抱き上げて木の幹を駆け上がる。
真ん中ぐらいのちょうどいい太さの枝に腰掛けて、ぎゅうっと抱きしめた。
これが泣きたくなるくらいの幸せってやつだよね。
イルカも笑ってくれるようになったし、よかった。
「機嫌なおりました?」
「あ、あれはっ。ショックだったんです……」
「え?」
「だって、俺は目玉焼きにかけるのは醤油だとばかり思っていたから。でもカカシ先生はソースをかけるって言われて…もしかして今まで俺の料理の味付け、口にあわなかったのかと思ったんです!不味いのに気をつかってもらっていたのかと思うといたたまれなくて……」
「はぁ?」
「不味いなら不味いって言ってくれないと困ります。これからもっと勉強しますから」
そんなことを言われて一瞬呆然として、それから笑ってはいけないと自分に言い聞かせたが、その努力は無駄に終わった。
「どうして笑うんですか!」
「だ…だって、そんなこと……そんなことだったなんて。あははっ」
「笑い事じゃありません!」
泣きそうなイルカの顔を見た途端、笑いは自然に止まった。
「そんなこと、気にしてたんですか。大丈夫ですよ。イルカ先生の料理は美味しいです。不味かったことなんて一度もありません」
「ほ、本当ですか?」
「はい。誓います」
何回もそんな会話を繰り返し、イルカはようやく俺の言葉を信じてくれたようで、やっと笑った。
「よかった」
たとえば他から見れば他愛のないことでも、本人にとっては重大事件だったりするのだ。
肝に銘じておかなければ。
イルカがずっと笑っていられるように努力を惜しむつもりはないのだから。
とりあえずイルカの料理をかならず美味いと誉めること。
心の巻物にしっかりと書き留めておいた。


今日もイルカと二人の帰り道。
うんうん。いいなぁ、やっぱり。
人目があるから手はつなげないけれど、並んで歩いてふと横を見ると笑顔が返ってくる幸せ。
ささやかな幸せをしみじみと噛み締めた。
一日一日が宝物のようで。
いつだって抱きしめたい愛しい人。
その想いは日に日に増して俺の心を占領していくのだった。


END
●back●
2002.05.02


●Menu●