【魔術師の弟子1】


常にがやがやと笑いさざめく声が聞こえるフロア。スタイル抜群のカクテルウェイトレスが客の間を器用にすり抜けつつ、色とりどりの飲み物を運んでいる。
このホテルのカジノが、今の俺の働く場所だ。
主にブラックジャックのテーブルでディーラーとして働いている。給料や待遇も、格別に良くもなく悪くもない。平均的で平凡な仕事と生活だ。
ふと客が途切れてテーブルの前でぼんやりと立っていると、5ドルチップをたったの2枚だけ握りしめた男が目の前の椅子に座った。
カジノは金持ちの客しか来ない、というわけではない。
観光客がほんの少しだけ運試しを、とやってくる。
またはギャンブルに魅せられた人間が、毎日どこかで働いてきた日当を賭けにやってくることなどこの街ではザラだ。
そんな様々な人間から、可能な限りのお金を巻き上げるのが俺の仕事だ。
大体、本当に熟練したディーラーなどというものは、自分の望んだルーレットやトランプの数を正確に狙って出せるものなのだ。それくらいの技術がなければ一人前とはいえない。それを、出る目や数はすべて偶然奇跡の産物だと信じて疑わない人間はいるもので、笑ってしまう。
と言っても、客に対して不正行為をしているわけでは決してない。たとえ狙って出せたとしても、それを客の前で披露することはない。そんなことをしなくてもカジノは充分儲かる仕組みが確立しているのだから。適当にシャッフルして、最後に客にカットさせてカジノチップを賭けさせるという楽な仕事だ。誰にでもできる。
最初、目の前に座ったその男は観光客だと思った。どう見ても人の良さそうな顔は、今までの経験上間違いないと思ったからだ。
しかし、躊躇いなく賭ける姿や、こちらの手をじっと見つめる眼差しの真剣さから、どうやら違うようだと思うに至った。観光客にしてはもの慣れた感じだ。この辺りに住み、小金をギャンブルに費やして楽しんでから家へと帰る人種の一人だろうと推察した。
けれど、その瞳は子供のように純粋に喜びに輝いているように見えて、ギャンブル好きというのとも違うように思う。もちろんギャンブル狂とはとても思えなかった。不思議な人だと興味を持った。
このブラックジャックのテーブルのミニマムベットは5ドルだ。ミニマムベットとは読んで字のごとく 「最低賭金」のこと。10ドルしか持ってなければ、2回負ければすぐに終わってしまう。少しだけインチキをして、10ドルでも何回かは遊べるようトランプカードを配った。
大金が返るように勝たせてあげることはできないけれど、配分を戻して少しの間保つようにしてあげるのはディーラーの采配の領分で許されるだろう。今までそこまで気を遣ったことはないのだけれど。
しかし所詮はその場しのぎで、時間が経てば10ドルなどすぐになくなってしまう。カジノチップが尽きた時はなぜか残念な気がした。もう少し保たせてあげてもよかった、と。
「ありがとうございました」
相手はにっこりと笑ってお礼を言うと、煌びやかな混雑の中へと消えていってしまった。
もしかして、俺がカードを操作していたのがわかっていた?
まさか。素人にわかるはずがない。
そう思いながらも、さっきの笑顔が忘れられなかった。
黒い瞳に黒い髪、顔を横切る一文字の傷。どういう理由であんな目立つところに一生残るような傷を作ったのだろう。
何も知らないような顔をして、実は狡猾なのかもしれない。とても信じられないけれど。
ことごとく印象を裏切る人だと思い、名前を聞いておくべきだったと後悔した。
そう考えているところへ、同僚が声をかけてきた。
「カカシ。交代の時間だ」
「ああ」
「あーあ。あの子、今週はもう来ちゃったんだなぁ。もう少し早く交代すれば良かったぜ」
「え?あの子って、今の鼻傷のある子のこと?知ってるの?」
「カカシは知らなかったのか?ブラックジャックのテーブル間では結構有名だぞ。毎週同じ曜日の同じ時間に、小金を握りしめてカジノに来る手フェチの子って」
「手フェチ!?」
「ずーっと手ばかり見てるからさ」
そういえば、手ばかり見ていた。たしかにね。
配られるカードを気にしているのかと思っていたけど、実は手を見ていたのか。
俺じゃなくて手を?
なぜかそれはとても悔しい。手じゃなくて俺自身を見てくれればいいのに。
「でも、可愛いからみんな自分のテーブルにくるのを楽しみにしてるんだよね。ヘヘヘ」
そんなことを言う同僚を横目に、「お先に」とだけ言って控え室へと急いだ。来週のこの時間は絶対シフトに入らなければ、と思いながら。


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2004.06.19


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