来てくれたんだ!
喜びを隠しきれず顔を上げると。
愛らしいスーツ姿の隣に立っているのはしわくちゃの猿。いや、社長だった。
イルカさんが申し訳なさそうに尋ねてくる。
「あの、社長もたまには社員の様子を知りたいとおっしゃって……お昼をご一緒してもいいですか」
こ、こぶつき!?
二人っきりでデートだと張り切っていたのに。
嫌だ。何が楽しくてじいさんを交えて食事をしなければいけないんだ。消化不良を起こすわ!
とはっきり言い切るには、イルカさんの期待する視線が痛くて無理だった。
じいさん、よっぽどイルカさんのことを可愛がってるんだな。俺と昼ご飯を食べると聞いて、絶対邪魔しに来たに違いない。
権力に屈するつもりはさらさらないが、今ここでデートの権利を声高く主張してもイルカさんが板挟みになって困るのは目に見えている。
イルカさんのために今回は譲ってやるんだからな! 心の中でそう呟く。
じいさんは俺の睨みも何処吹く風という顔で視線をそらした。
腹が立ったが、他にも考えるべき問題はあった。
例のあれ、メニューだ。
選んだのはB定食。
メインはアジのひらきで、大根の葉っぱのおひたしと冷や奴に味噌汁付き。安い値段の割には立派なものだ。この選択が良いのか悪いのかわからないが、じいさんも同じメニューを選んだのできっと無難だろうと思われる。
窓際の明るい日差しの入る席に三人で座り、食べ始めた。社長に遠慮してか、あまり側に寄ってくる人間はいない。
イルカさんのお弁当は豪快に半分ご飯、半分肉野菜炒めのようなもので占められていて、男の料理という感じだったが、自炊しているというだけでも尊敬ものだ。
社会情勢がどうとか不景気がどうとか、社長がいるせいでどうでもいい話題ばかりが持ち上がる。
休みの日は何をしているんですかとか趣味はなんですかとか、情報収集を兼ねた昼食会にしたかった俺の計画はどうしてくれるんだ。舌打ちしたい気分だったがどうしようもない。
しかたなくアジを食べるのに集中していると、突然とイルカさんが言い出した。
「カカシさんはお魚を綺麗に食べられますね。見ていて気持ちが良いです」
え。
誉められてる?
「そ、そうですか?」
「ええ。こんなに綺麗に食べる人は初めて見ました」
びっくりだ。まさかこんなことで誉められるとは思っていなかった。
「魚が好きだからかな……小さい頃から親がうるさかったし」
「ご両親の躾が行き届いていたんですね」
普通だと思っていたことをそんな風に言われると照れくさい。
ちょっと嬉しく思っていると、今まで唾を飛ばして政府の不正なんかに憤っていたじいさんが、突然と箸を置く。
「わしなぞは最近めっきり歳を取っての。細かい骨なぞ見えんようになってしもうて……」
「あ。私がとりますよ、社長」
心優しいイルカさんが年寄りを哀れに思い、アジの骨を取り除き始める。
じいさんめ! いつだってかくしゃくとしていて、毎朝の新聞も平気で読んでるくせに! 演技がわざとらしいんだよ。
ああ、俺もうまく骨が取れないふりをすればよかった。
いやでも汚い食べ方をすると嫌われるかもしれないし。誉められたのだからいいか。
ささいな優越感だ。
結局収穫はそれぐらいで、食べ終わったら社長の用事があるとかで二人でさっさと社長室へと戻っていってしまった。ガッカリしたが、最初からうまくなんていくわけがないと自分に言い聞かせて午後の業務に励むしかなかった。


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2008.06.28


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