【一年後の今日という日にはきっと】前編


イルカ先生と飲みに行くという約束をしただけで、その日は朝からそわそわしている。
子供たちにまで指摘される始末だ。
けれど、それくらいなんだというんだ。誰に何と言われてもかまわない。一緒に過ごせる貴重な時間なのだから。
今日はせめて同僚よりも少し上の地位の狙いたい。
早く時間が過ぎ去って、イルカ先生の就業時間が終わればいいのに。あ〜あ、早く会いたいなぁ。


「はい?」
いつもの居酒屋で、俺はすっとんきょうな声を出していたと思う。
「あの……イルカ先生、すみませんがもう一回。よく聞き取れなくて」
「だから、この『惚れ薬』はよく効くんですって。この前、好きな人が振り向いてくれないって言ってたでしょう? 日頃カカシ先生にはお世話になってるから……どうか使ってください」
目の前の人は、躊躇いがちながらも笑顔でそんな残酷なことを言う。
差し出されたのは小さな茶色の瓶。中の液体がゆらゆらと揺れている。
何がどうしてそんな結論に達したのかはわからないが、惚れ薬を使って恋を成就しろとイルカ先生はアドバイスしているのだ。
案じてくれるのは嬉しいが、そんなことを願ってもらいたいわけではなかった。ただ俺の気持ちに気付いて受け入れてもらうことだけが望みだった。
しかしイルカ先生は俺の片想いがうまくいくよう願っている。その事実は何よりも俺を打ちのめした。
「そんな。薬を使って人の心をどうにかしようなんて……」
とりあえず一般論で断ろうと試みた。
しかし。
「大丈夫です。きっとその人は素直になれないか、気付いてないだけですよ。これはただのきっかけです」
と、しきりに勧められる。
そんなに恋のキューピッドになりたいのか。
おーし、わかった。そこまで言うなら使ってやろうじゃないか、俺の片想いの相手に。うみのイルカという中忍に。
混ぜてさしあげようではないか、あなたの飲む物に!
上忍なんだから気付かれずに食事に混ぜるなんて夕飯前。いや朝飯前。
ありがたく瓶を懐にしまったフリをして、さりげなく側にあった日本酒に混ぜた。
しかし意気込んで実行してみたものの、だんだんと後悔が鎌をもたげる。
だいたい惚れ薬って。
そんなおとぎ話のような代物。実際効き目抜群の惚れ薬というものがどこかに存在しているとして、この薬がそれかどうかなどわからない。思いきり怪しい。
日本酒を美味しそうに飲み干したイルカ先生の様子を、そっと窺う。
効果のある薬なのかどうかすらわからないが、子供だまし程度には使えるものかもしれない。仮にも忍びが調達した物ならなおさら。
擬似的にせよ惚れるのなら俺だけにして欲しい。
そんな祈るような想いで見つめていると。
みるみるうちにイルカ先生の顔中が赤いぶつぶつに占領された。
「イ、イルカ先生!?」
「はい」
「顔、顔が!」
「え。何かついてます?」
イルカ先生は自分の顔がどうなっているのかわからないのか、のんびりと落ち着いているが、目の当たりにしている俺にしてみれば騒がずにはいられなかった。
「顔中発疹が出てますよ!」
慌てて顔に手をやり、さすってみて、ようやくイルカ先生は気付いたようだ。
「まさか……お、俺?」
「具合悪いんですか? もしかして何かのアレルギーとか!」
もしそうだったら、そんなメニューを出したこの店を雷切で吹っ飛ばしてやる!
イルカ先生の顔が一瞬蒼白になったかと思うと、次第に真っ赤に染まっていく。
「俺、俺……すみませんが、今日は帰りますっ」
イルカ先生はそう言い捨てると、真っ赤な顔を手で覆ったまま走り去ってしまった。
「イルカ先生、イルカ先生っ!?」
悪い病気だったらどうしよう。とてつもなく不安になった。
慌てて追いかける前に、
「もしこの店の食事のせいだったら、ただじゃおかないからね」
と釘を刺しておくのは忘れなかった。


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2006.09.09


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