しかしそんな意気込みも虚しく、当のイルカ先生には危機感というものがまったくなかった。
未来からきたという突拍子のなさと、家まで押し掛けてくる図々しさ。その上自分でも言うのもなんだが、見た目だって胡散臭さが漂う。そんな目的もわからない男を前に、どうしてにこにこと笑っていられるのか不思議だ。人が良いにも程がある。
追い出すように勧めても「迷惑だなんて思ってません」と言い張って、そんな気はカケラもないようだ。絶対騙されてる。
心配でたまらず、わけのわからない理屈で押し通し、イルカ先生の家で一緒に暮らす承諾を得た。承諾というか無理矢理頷かせたに近いのだが。
けれど、この先どうすればいいかなどわからなかった。
大の大人に攫われないよう気をつけてくださいとは言えない。どれだけ見つめていても、俺の考えていることなど伝わるわけもなく。たとえ忠告できたところで、イルカ先生は俺よりもあっちの方を信頼しているらしく、聞いてもらえるとも思えない。
奴の言うとおりにするのは癪に障るが、ここはひとつ気持ちを素直に伝えて歩み寄ることから始めるべきだと判断した。急がば回れ。まずは話を聞いてもらえるようになることが先決だ。
しかし、思っていることを素直に言う。ただそれだけのことが難しい。
それでも思いきってなんとか言ってみれば反応は良かった。全開の笑顔。
やけくそのように『好き』だの『ムカつく』だの『激鈍』だのと。正直子供の癇癪かと思うようなことしか言ってない気がしたが、それでもイルカ先生は楽しそうに笑った。
なんだ、そんなことでよかったんだ。
少し肩の力が抜けた気がした。
今までどんなに好きだと思って見つめていても、全然伝わらなかった。
イルカ先生は生徒の悩みなんかには敏感なくせに、そういう方面は本当に鈍い。嫌いだと思ったときの鋭敏さはどこへ行ったのかわからない。どうしてかと今までもどかしく思っていたけれど、今近くで話せるようになり、時たま不安そうに揺れる瞳を見てわかった気がした。
きっとたぶん、人に嫌われるということにひどく敏感なのだ。
嫌いという感情を察すると防御作用が働いて、気持ちの上で排除される。だからそれ以降好きだと思ったとしても伝わらないのだろう。
初めて出会ったの自分を恨んだ。あの時嫌いなんて思わなければ。
できるものなら今からでも走っていって俺の肩を揺さぶって、「嫌いなんて嘘だ。それは本当は好きって言うんだよ!」と言い聞かせてやりたい。そうすればイルカ先生だって今こんな風に警戒することだってなかったはずだ。
そこまで考えて、あれ?と思った。
それって今のあいつがやってることとどう違うんだ。
いや、まさか。そんなことが目的でやってきたとは思えない。それは確実に断言できる。
ただ、これまでとこれからのすべてを経てきたのがあいつならば、少しは言うことに耳を傾けてやってもいいと思っただけだ。それだけだ。別にいいなりに動いてるわけじゃないからな、と誰にともなく言い訳をした。


つづく
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2005.10.22


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