「テンゾウに教えてもらうなんて絶対駄目!」
「どうして?」
イルカちゃんは小首を傾げる。
どうしてもこうしてもない。だってテンゾウはイルカちゃん狙いなんだから!
「ああ見えてもあいつも忙しいんだよ。若いから何でも押しつけられるし」
イルカちゃんのことを考えられないくらい多忙になるよう、俺がこき使ってやる。
「どうしても料理がしたいんだったら、俺が教えてあげるから。ね? ね?」
必死になって説得するが、イルカちゃんはなかなか頷いてくれない。
迷惑をかけるから。悪いから。
まったく俺が考えつきもしない理由で拒否されては、俺だって困る。
「あのね。料理は気分転換なんだよ」
「え?」
「そう。任務とかしてると心がささくれ立つでしょ。家事に集中するとストレス解消になるんだよ、人によっては」
「そうなの?」
これは本当のことだ。
イルカちゃんの世話を焼くのはすごく楽しかった。そうでなければここまで長い間続くわけがない。
「わかった。でも、これからは俺も手伝うからね。全部は無理だけど……」
「もっと簡単なことから少しずつ挑戦してみようね」
そう言うと、イルカちゃんは嬉しそうに頷いた。
そんな風に喜ばれると、これから何もしなくていいと禁止することはできなくなったなぁ。
けれど、イルカちゃんがどうしても家事をしたいと言うのなら仕方がない。結局イルカちゃんが喜ぶ顔を見たさに俺が折れてしまうのだ。
ご機嫌になったイルカちゃんは、鼻歌を歌いながら皿洗いを再開する。
小さな皿を懸命に洗う姿は愛おしかった。
「イルカちゃん」
「んん?」
振り向いたところの唇に、ちゅっと音を立てて吸い付いて離れた。
イルカちゃんの手にあった器がぽろりと洗い桶の中に落ちていく。
「カカシ。今のってもしかして……」
「うん、そうだよ」
恋人になったんだからキスぐらい良いよね?
と言いかけたが、イルカちゃんの反応は違った。
「もしかして、カカシももうすぐ人工呼吸の試験あるの!?」
「は?」
さすがの俺も一瞬固まった。予想外だった。
人工呼吸の試験。そうくるかイルカちゃん!
たしかにそういう色事には極力触れないよう遠ざけてきたところはあるけれど。まさかここまで純粋にすくすく育つとは俺も思ってなかった。
けれど焦りは禁物。
「あ〜……うん、実はそうなんだ……」
ん? ちょっと待て。
「『カカシも』ってことはイルカちゃんも試験があるの?」
「教師になる試験の中にあったんだよ」
知らなかった!
「そ、そ、その時誰を練習台にしたの?」
「人形があってね。暗部には人形ないの?」
人形か!
ほっとした。この上もなくほっとした。
もし生身の誰かだった場合、そいつは半殺しどころでは済まない。
「うん、人形はないね」
「じゃあ、俺、練習台になってあげてもいいよ!」
キラキラとした瞳が眩しすぎる。
自分に手伝えることがあるのが嬉しいのだろう。たぶんおそらく間違いない。
さっそく練習してちょうだい的なイルカちゃんの態度に眩暈がした。
「あのね、イルカちゃん」
「うん?」
言い出そうとしたが、黒い大きな眼に見つめられるともう駄目だった。
にこっと笑うイルカちゃん。
ここで『いや結構です』と断ることができる人間など果たしているだろうか。
「……ありがとう。お願いするよ」
その一言で、イルカちゃんは満足そうに頷いた。
なんだか騙してるようで胸が痛い。だが、イルカちゃんが望む以上その期待を裏切ることはできそうにない。ましてや今までずーっと子分だった俺が親分であるイルカちゃんに逆らえるわけがない。
しかし、それでも一生このままというのも生き地獄のようなもの。いつ人工呼吸なんかじゃないと言うべきか。
悩みは尽きないのだった。


END
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2008.09.13


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