次の日遊びにやってきたヒコを見て、イルカは驚いた。
「ヒコ、髪の色が……」
「うん! どう? ぎんいろだよ」
嬉しそうに見せびらかす子供の髪は、たしかに銀色だった。染めた痕跡はどこにもなかった。何かの術の気配もない。
イルカは期待に満ちた瞳を向けられ、なんとか口元を吊り上げて「すごく綺麗だ」と誉め、頭を撫でてやった。
「日子さま! そのおぐしの色は……!」
やってきた世話係が大きな悲鳴をあげる。
それを聞きつけ、ほどなくして大勢の人間がやってきて、嫌がるヒコを連れていってしまった。
「髪の色が変わるなんて……」
イルカは信じられずにいた。だが、実際目の当たりにして嘘だとは思えない。
「擬態に似てるな」
アスマがぼそりと呟いた。
擬態。普通は動物が生き残るために、周囲にある物や他の動植物に形・色彩等を似せること。
しかし、それは人間に当てはまるのだろうか。イルカが首を傾げる。
「いや、この場合は自分の望む姿に変えられる力、と言った方がいいかもしれん」
今までは周囲の望む姿だった、おそらく刷り込まれたこの郷の常識の姿。神の子として皆が望むにふさわしい姿形。
「本当に人間じゃないのかもしれないな、あの子は」
けれど、太陽の子としての証であったろう金髪が変わってしまった場合、どうなるのだろう。何もかもが日子を中心に回っている巫女たちが、どんな行動を取るのか気になった。
「ヒコを捜してきます」
「おい、イルカ」
「大丈夫、他の人には見つからないように気をつけますから」
イルカはそう言って、今まで一歩も出なかった部屋を後にした。
誰にも見られないよう気配を絶って屋敷内を捜索する。それほど広くない邸内は絶え間なく人が働いていた。けれど、粗方すべて見ただろうと思ったのに、ヒコの姿がどこにも見あたらなかった。
イルカは諦めず、何一つ見逃さないよう細心の注意を払う。そして、屋敷の奥にある小さな部屋の柱の縁が不自然に黒ずんでいるのを発見した。そっと押すとカラクリが動いて小さな扉が開いた。
その奥は暗く、下から肌寒い風が吹いてきている。おそらく地下へと続いているのだろう。
忍びであればこんな暗さは闇とは言わない。足音を立てず静かに降りていく。そこは暗かったが、少し進んだところで幾人かが灯りの前で集まって話をしているのがわかった。
「今回は……失敗…」
「……やむを得ない」
「早く次の…新しい……」
極端に潜められた声は切れ切れにしか聞こえない。
だが内容は思わしくないものと容易に予測できる。イルカは息を殺して聞いていたが、結局話の内容は分からず終いだった。彼女らはイルカに気づかず上へと戻っていった。
人の気配が完全に去ったのを確認してから捜索を再開した。ヒコはこの暗闇の中どこかで震えてるかもしれないとイルカは案じる。必ずこの地下のどこかにいるはずだった。
暗闇の中を進むと、大きな甕があった。
覗き込んだイルカは悲鳴と吐き気を押さえるのに必死だった。強く唇を噛みしめ、その上から手で覆ったが、足の震えは止まらなかった。
最初は小さな生き物だと思った。
目が慣れてきて胎児だと気づく。
死んだ胎児を薬に使うという話は聞いたことがある。その類だと思った。
しかし、蠢く手足はあきらかに生きていることを証明している。
甕に手をかけた瞬間。
「イルカせんせい」
暗闇から突然と現れて触れてくる小さな手に、イルカは悲鳴を上げそうになった。
が、それが捜していたヒコだと気づき、ほっと安堵する。
早くここを出ようと思ったが、ヒコはそんなイルカの気持ちも知らず、甕を覗き込む。
「ヒコ!」
驚いて泣き出すかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。
「おれもこのまえまでここにいた」
「え?」
「イルカせんせいがくるちょっとまえまで」
ヒコは甕の中に居たと言う。それはつまり人から産まれたものではない証。
だからこそここで決められている神の子なのかもしれない。
「と、とにかく上へ戻ろう。な?」
イルカは声が震えないよう細心の注意を払い、ヒコを促した。ヒコは素直に頷き、イルカの導く手をぎゅっと握りしめていた。
部屋に戻ってアスマに地下の出来事を報告する。
「甕の中で人間を育てる、そんなこと可能なんでしょうか」
「似たような例がないわけじゃない。大蛇丸の地下実験でもある程度研究されていたと聞くから、不可能とは言えんな」
自分よりはるかに知識の多い上忍に言われ、イルカは世界は広く知らないことも多いのだと改めて感じた。
その後、ヒコを捜しに来る者は誰も居なかった。
イルカたちへ食事などを運んでくる世話係も一瞥をくれるだけで、一言も言葉を発することはない。
見捨てられたのだと思った。神の資格を失ったと判断されたに違いない、たかだかあれしきのことで。
あまりにも可哀想で、イルカはどうすることもできずヒコを抱きしめてやることしかできなかった。その日からヒコがこの部屋を出ていくことはなく、夜もイルカの布団で共に眠るようになった。
それでもしばらくはこの奇妙で平穏な日々が過ぎていった。
しかし、数日後。
小さな子供が巫女に手を引かれてやってきて、誇らしげに言う。
「さあ、日子さま。イルカと申す者にお言葉をかけてやってくださいまし」
金髪のその子は巫女の言うがままに言葉を発する。
「我々が新しく作ったこの日子さまこそが真実の神の子です」
イルカは愕然とした。
まさかあの甕の中の胎児が数日でここまで育ったのか。
その事実に戦慄する。
巫女は満足げに頷き、イルカの後ろに隠れるように縋りついているヒコに侮蔑の目を向けた。
「もうそれは神の子でも何でもない者、あなたがたの好きにするとよいでしょう。けれど忘れないでいただきたい。この郷で生まれた者はここでしか生きられない。外へ出た瞬間に死は免れないのです」
イルカたちは驚きのあまり何も言うことが出来なかったが、巫女は新しい日子を見せつけ上機嫌で帰っていった。
「まさか彼女らは自らの手で神を作っているんですか……!」
思わず声を荒げたイルカにヒコは怯え、それに気づいたイルカは怒ったんじゃないよと背中を撫でてあやす。アスマはそれを見ながら口を開いた。
「そうなんだろう。自分たちにとって都合の良い神をな」
都合が悪くなったら挿げ替える。
今の日子が言うことを聞かなくなったら新しい日子を。
「それはいったい何の意味があるんですか」
「奴らにとっちゃ意味があるんだろう。俺たちにはさっぱりわからん理屈がな」
長い間そうやって生きてきた。それが彼女らにとってのあたりまえであり、受け入れるべき掟。
「そんなの、あんまり…だっ」
イルカには理解できない生き方だった。
たしかに何が正しいかなど住む世界が違えばまったく違ってきても可笑しくはない。けれどこれはそんなレベルの問題ではなかった。神は触れざるべき畏怖する存在、ましてや都合良く言うことを聞かせようなどと傲慢極まりない。そして、不要になれば切り捨てる、そんなことが許されるはずがない。
こんな歪んだ世界がいつまでも存在し続けることができるのだろうか。イルカは不安を感じ、ぶるりと身体を震わせた。
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2008.05.18初出
2012.04.07再録
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