先程の木をじっと見つめると、相手の動揺した気配が伝わってくる。
木の影から、銀髪のあの人がおずおずと出てきた。
「イルカ先生、ごめんね。覗きみたいなことをして、気を悪くした?」
「いいえ。だって俺のこと心配して来てくれたんでしょう?」
昨夜自分がどうしようと思っているかをカカシ先生には伝えていた。
死んだと報告すると。
普段慣れない嘘はすぐボロが出る。俺がちゃんと実行できるかどうか気が気じゃなくて、心配してついてきてくれたのだろう。
しかしカカシ先生は、
「心配は心配でも、そういう心配じゃなくて……」
と口ごもった。
「え?」
「もしかしたら気持ちが揺らいで、一緒について行ってしまうかもしれないって不安だったんです」
木ノ葉の里を離れるつもりはないと言ったはずだ。
でも、不安なんてものは頭で納得するだけじゃどうにも制御できないものだったりする。
「ついていくどころか、名乗ることすらしませんでした。嘘をついて誤魔化して。俺のこと、酷い奴だと思うでしょう?」
いろいろともっともらしい理由をつけてみたものの、本当はただどうしてもあの両親以外は親と呼びたくない。ただこの里を離れたくない。そう思っている。
そんなわがままを言う俺は、きっと酷い人間なのだろう。たった一言あの人を『お母さん』と呼んであげられない自分は。
「じゃあ、俺も酷い人間かも」
「え」
「だって、イルカ先生があの人について行かなくてよかったって、それしか考えてないんだから」
ね、酷いでしょう?と同意を求められて、思わず苦笑した。
どうしても自分本位になってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
まるで共犯者のようで、下手に慰められるよりほっとする。
「大丈夫ですよ。あの人は納得していた。『この里に来てよかった』って言ってたじゃありませんか」
そう言われて、頷いた。
「あの人、気づいていましたね。俺が本人だって事」
「そうですね。きっと母親の勘ってやつ?」
「俺のわがままを聞いてくれたんだ」
死んだという言葉に騙されたフリをして、名乗らないことを許してくれた。
「そりゃあ、子供の願いを叶えるのが親の仕事ってもんです」
カカシ先生は当然だと言う。
でも、そんなことはない。当たり前なんてことはない。誰だって自分の望みを叶えたいと思うものだ。
現に自分だって……そう考えて黙り込んでしまうと、カカシ先生がぽつりと言った。
「あの人、似てましたね」
「そうですか?」
「ええ。自分よりも人のことを思いやるところなんかそっくりだ」
そうだろうか。自分ではよくわからない。
でもカカシ先生が言うならそうなのかもしれない。似ていたのかもしれない、今はここにいないあの人に。
「危険な仕事じゃないかって心配してくれました」
「うん」
「よい名前だって……誉めてくれました」
「うん」
自分が名付けなかった名前を聞くのは辛くなかっただろうか。
それとも、ずっと知り得なかった名前を知って少しは喜んでくれただろうか。
今となってはわからない。ただ誉めてくれたという事実が残るだけ。
本当に感謝しているのだと。お母さんと呼んではあげられないが、今俺がこうして幸せなのは産んでくれたあなたのおかげだと思っていると、ちゃんと伝わっているといいのだけど。
「遠いですね」
ここからはずっとずっと遠い。
もう二度と会う機会はないかもしれない。いや、きっとない。
「いいじゃないですか。同じ空の下、生きているんだから」
隣に立つカカシ先生はそう言ってくれた。
「そうですね」
この広い広い空の下でみんな生きている。
なにもしなくても、ただ空を見上げるだけで繋がっているのだと思える。
遠い大地も、慰霊碑の建つ森も、俺が今住んでいる家も。同じ空の下にある。
「家へ、帰りましょうか」
「ええ」
差し出された手をそっと握りながら、もう一度だけ振り返り、俺たちは家路についた。
同じ空の下、あなたへの感謝を込めてこれからの幸せを祈ります。
どうか俺が幸せである分あなたも幸せでありますように。
END
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2006.03.25 |