かさかさかさ、と静まりかえった部屋にかすかな音が聞こえた気がした。
いや、そんなはずはない。
かなり涼しくなってきたこの季節に、なんて。
信じたくなかったが、おそるおそるその方角へ目を向ける。
黒い例のアレだった。
最近忙しくて掃除が徹底できてなかったから? なにか食べ物を溢してしまったのかも?
いや、違う。
奴らは髪の毛一本で一週間生きられるそうだから、食べ物を溢す溢さないはあまり関係ない。
原因よりも、今の最大の問題は目の前のソレだ。
退治しなければ。
カカシ先生が帰ってくる前に。
恋人が大のゴキブリ嫌いとは、一緒に暮らし始めるまで知らなかった。
俺も嫌いなので気持ちはよくわかる。
が、俺よりもカカシ先生はすごかった。硬直して動けない。呼吸も止めてるみたいだ。そのうち心臓まで止まるんじゃないか、と傍目から見て思った。
それ以来、俺は覚悟を決めた。
人間、駄目なものは駄目なのだ。というか、任務で無理してる人に家に帰ってきてまで無理してほしくない。
そのためには俺が退治すべきだ、と。
新聞を丸めて、ぎゅっと握りしめる。
そうだ、イルカ。遠い異国では油で揚げて食べるところもあるというじゃないか。
うっ、ちょっと今のは想像して気持ち悪くなった……。
駄目だ駄目だ。目の前の敵に集中しろ。
そろりそろりと近づいていく途中、黒い害虫がすすすと動いた。
ひっ。
思わず後ずさった。
馬鹿、イルカ。この弱虫!
相手はたかだか昆虫。何を恐れることがある! 頑張るんだ。
勇気を出して一歩を踏み出す。
が、そこでまたすすすと動く。
ひぃぃぃ、どうしよう。
だって奴らは飛ぶんだぜ!
しかも、約3億年前の古生代石炭紀から生きてて絶滅したことがない……だ、駄目だ。考えれば考えるほど勝てる自信が萎んでしまう。
でも。
だって。
あのカカシ先生が。上忍で不可能なんてほとんどないと言われるあの人が、呼吸困難すら起こしかねないくらい怖がってるんだから。
俺がなんとかしなくちゃ。
そうだ、あれはゲンゴロウだ。ミズスマシだ。ゴキブリなんかじゃない。
思い込めば何事も、だ。
えいっ!
力を込めた一撃に敵は動かなくなった。
ううう、なんか液体が染み出てる気がする……。
「火遁!」
焼いた後の臭いを逃すため慌てて窓を開けると、外を歩いて帰ってきたカカシ先生の姿が見えた。
「ただいまー、イルカ先生」
「おかえりなさい」
間一髪だった。
よかった、カカシ先生が今のを見てなくて。
ほっと胸を撫で下ろし、家の中へと迎え入れた。
→【32:俺には関係無い】の別視点