イルカ先生が同僚と話しているところに偶然見かけた。声をかけようとして立ち止まる。
「ルリコがさぁ」
その口から思いがけず女の名前が飛び出す。
呼び捨て。
しかもその名を呼ぶときの彼の愛おしそうな瞳といったら!
衝撃どころの騒ぎじゃなかった。
元担任だった子供たちの上忍師から、ちょっとした知り合いへ。ちょっとした知り合いから飲み友だちへ。
少しずつ少しずつ距離を縮めてきて、最終目標の恋人になれるにはどうすればいいのか日々悩んでいるところだったのに。
「早く帰らないとルリコが拗ねるから」
そんなことを嬉しそうに話す姿に、頭がぐわんぐわん鳴り響く。
まさか同棲している恋人がいるなんて聞いてない!
それがどんな女なのか調べなくちゃ。
素知らぬふりをしてイルカ先生を『今日飲みに行きましょう』と誘うことにした。
笑顔で承諾されたが、飲んでいる間に恋人の話を聞く勇気はなく、なかなか聞き出せないでいた。もちろん一緒に食べて飲むのはそれだけで楽しいひとときなのだけれども。
「今日はもうそろそろ……」
お開きにしようという流れに、焦った。もっと一緒にいたいのに。
「もう一軒行きませんか?」
「でも……」
躊躇うイルカ先生に思いきってカマをかけてみる。
「これ以上遅くなったら、ルリコさんに叱られるから?」
すると、イルカ先生はどうして知ってるんですか?と言いたげな驚いた顔をしている。
ええ、知ってますよ。
今の俺の最大のライヴァルですから!
鼻息粗く拳を握っていると、イルカ先生は吹き出した。
笑われた。
可愛い恋人と張り合おうとしたのが可笑しいと思われたのだろうか。
「よかったらうちに来ませんか、紹介します」
紹介。
ええっ、そのルリコに会うってこと!?
会って顔を見てやりたい気持ちが半分、絶対会いたくない気持ちが半分。
複雑すぎて頭が働かないうちに、いつの間にか連れられてイルカ先生の家の前に来ていた。
入る前の部屋は真っ暗で、ああよかった居ないんだ、と腰が引けていた俺は安堵したのだが。
「おいで」
イルカ先生が誰もいないはずの部屋に向かって手を差し出す。
ピーッと鳴き声がして何かが手に留まった。
「これ、俺の忍鳥です」
そう言って見せられたのは、小さいけれど小回りがきいてて飛ぶのも速そうな小鳥だった。青い色の。
「けっこう便利なんですよ。伝令とか人捜しとか。あ、鳥目だから夜は飛べないんですけどね」
ちょっと自慢げに、あくまでちょっとだけ自慢げにイルカ先生はそう言った。
「へぇ、いいですね。何て名前です?」
温かい手の中にすっぽりと収まった小鳥に嫉妬しながら、平気なふりをして尋ねる。頬袋を人差し指で撫でてやったりもする。
「ルリコです」
「……これがルリコ?」
鳥の名前だったのか!
わかった途端、腰が抜けてへたり込んだ。
あああ、よかった。
恋人なんかじゃなかった。ただの勘違いだ。だからさっきイルカ先生は笑ったのだろう。
しかし、またなんだってそんな名前を付けたんだろう。もしかして昔付き合ってた女がルリコって名前だったんじゃなかろうかという疑惑がむくむくと湧いてくる。
「コノハドリ科のルリコノハドリという鳥だったので」
それでルリコ。
「それはまた……」
何のひねりもない。
ひねりがなさすぎて、つけられた本人が不満に思っても不思議じゃない。
俺も自分のネーミングセンスは自慢できたものじゃないが、ちょっと愛情を疑いそうな名前だった。
しかしイルカ先生にとってそれは特別頭をひねって考え抜いた名前のようで、愛情に一欠片の曇りもなかった。
「小鳥らしいシルエットでシックな美しさがあるでしょう?」
愛おしそうに見つめ優しく撫でるその姿に、もうどうしようかと思った。
どうしてその眼差しを向けられるのが自分じゃないのだろう。
どうしたらそんな風に俺を見てくれるんだろう。
そう考えると、どうしようもなくルリコが憎い。
青い羽根を見ると憎しみが増すばかり。
そんなこんなで今、俺はルリコに熱烈嫉妬中なのだった。
→【35:迎えに行くよ】へつづく