1. 始まりは空腹と共に
昨晩遅くまで任務があり疲れていたが、自分の腹が鳴る音で早朝目が覚めた。
身体を起こすと机の上に置かれたカップが視界に入る。
ノロノロと怠そうにベッドから降りると、空腹が見せた幻覚であってくれないかと一縷の望みを託してカップを覗く。
すると中には、ヨダレをたらしてクーカクーカと呑気に寝ているハムスターサイズの自称カップラーメンの精がいた。
「夢…じゃないのか…」
空腹の為か必要以上にやる瀬ない気分になり、俺は力無く机に突っ伏した。
*
真っ暗な部屋の中備え付けの小さな冷蔵庫の前にしゃがみ込み扉を開けるが、水とうがい薬とポン酢しか入っていない中身を見てがっくりと項垂れる。
きっとこの部屋に誰かがいたら、ぼんやりとした光りに浮かぶ疲れきった表情を浮かべる俺を見る事が出来るだろう。
Aランクの任務についていた俺が里に帰りついたのは日付が変わってから少し経った真夜中。
疲れているので布団に入って寝てしまえば良いのだが、いかせん任務中碌に飯を食べれなかった為に非常に腹が減っていた。
兵糧丸では腹が満たされることはないし、折角里に帰っているのにそれでは味気ない。
そして当然の事ながら店は軒並み閉まっている。
かといって知り合いの部屋に行けるような時間でもない、夜中に突然飯を要求したら怒りを買って痛い目に合うのは明らかだ。
しかたなく、俺はだるい体に鞭打って食料を調達しに出掛けることにした。
暗い町中で煌々と光りを放つ、24時間営業のコンビニが何故か店じまいをしていた。
「あれ〜?もうおしまい」
シャッターを下ろそうとしていた40がらみの男に尋ねると、男は済まなそうに笑った。
「すみませんね、新装開店の為に昨日今日と閉店セールをしていたものですから、もう品が殆どないんですよ」
開きっぱなしの扉から店内を覗くと、いつもなら品でぎっしり埋められている棚がものの見事に空になっていた。
パッと見残っている品は入り口付近に積まれているビニール傘と折りたたみ傘だけで、後はゴミなのか売り物なのか分からない物が棚にぽつりぽつりと残っているだけだ。
どうしたものかと立ち尽くしたまま動かない俺に、男はシャッターを下ろすためにかけていた棒を外した。
「見るだけ見てみますか?」
「いいの?」
「どうぞ」
薦められるままに店内に入ったものの、真っ直ぐに足を進めた食料品売り場は見事なまでに空だ。
酒、といっても紙パックの合成酒が1本、冷凍庫の中に氷が1袋、後はジュースが数本残っているだけで固形の食べ物はお菓子もおつまみも何もなかった。
うーんと唸りながらしゃがみ込んで上から下まで棚を舐める様に見ると、一番下の棚に一つだけカップラーメンが横倒しになって転がっているのに気付いた。
こういう売り尽くしセールの時だと一番最初になくなるはずのインスタントものが何故残っているのだろうとそれを手に取り、蓋の数字をみて納得した。
賞味期限が半年前に切れている。
それを手に取ったまま再び唸り声をあげて悩む。
ここで食料が手に入らないとなると、翌日明るくなるまで何も口にすることは出来ない。
賞味期限とは美味しく食べれる目安であって、味が落ちていてもインスタントだ、食べれないことはない。
見た事もない銘柄だがコンビニに置いてあるものだ、危険なものではないだろう。
よし、と決心をして立ち上がると、背後で待っていた男にカップラーメンを渡した。
「これちょーだい」
渡された品を見て男は少し不思議そうに首を傾げて、ためつすがめつカップラーメンを眺めて賞味期限のところに気付いた。
「あれ?こんなのあったかなー…、あっすみません、これ賞味期限切れですので」
「いーのいーの構わないから」
「いや、でも食中毒にでもなったら」
「平気平気、大丈夫だから、お願いだから売って、幾ら?」
必死さが伝わったのか、男はそのまま俺の手に返して苦笑いした。
「本当なら処分しないといけないところなのですけれど、差し上げます」
でも食べた後どうなっても知りませんよ、と念押しする男に礼を言うと、そのまま賞味期限切れのカップラーメンを持ち帰った。
水を入れた薬缶を火にかけお湯を沸かす。
カップラーメンの蓋を半分だけ開けて薬味の袋を取り出すと、出来上がり後入れてくれと説明書きされたものも関係なく全てカップ中央にかける。
お湯を入れて3分。
重し代わりに乗せていた割り箸を取ると、俺は手を合わせて頂きますと小さく呟きベリッと勢いよく蓋を剥がした。
「…あれ?」
蓋を取ると部屋中に充満するはずの体に悪そうな化学調味料の匂いがしない。
その上、蓋ギリギリまで体積が増えているはずの麺の姿すら見えない。
無言でカップラーメンを覗き込むと小さい何かがゴソゴソと動いていた。
まさか鼠、それとも食べ物系にありがちな例の虫かと一瞬引いたが、よくよく見ると違う。
「ぷー…」
腹をパンパンに膨らまして満足そうに息を吐き出したそれは、黒い髪を頭の天辺で一つに縛り、何故か顔の横一文字に模様のようなものがあり、柔らかそうな服を着こんでいたものの、どこからどう見ても手の平サイズで2頭身程の小人であった。
どうリアクションをしたらいいものか判らず硬直して凝視し続けていると、流石に視線に気付いたのか小人が俺の方を向いた。
交差する二つの視線。
凍りついた空気を解かしたのは小人であった。
「こんにちは、始めまして!」
にっこりと笑う小人に、俺は毒気を抜かれて緊張していた肩を落とした。
「…どーも」
今はこんばんはなんだけどと頭の中の妙に冷静な部分が突っ込んだが、声に出す気力はない。
えらく苦労してカップからはい出た小人はこちらに深々と頭を下げた。
「この度はこのうみの印カップラーメンをお買い上げありがとうございます」
「はあ」
「私はカップラーメンの精のイルカと申します」
「…」
何そのカップラーメンの精ってと内心突っ込んだものの、やはり口に出す気力はなかった。
「只今キャンペーン期間中でして、貴方の願いを三つ叶えて差し上げますですよ」
うおーどんどんぱふぱふと太鼓とラッパと合いの手が入りそうな勢いの小人に、口元をひくつかせる。
最初に頭に浮かんだのは、一体誰のイタズラか、だ。
俺に対してこんなにも手の込んだ嫌がらせをする暇な奴は誰だと、頭の中にずらずらと名前を羅列していく。
しかしニコニコと笑っている小人のチャクラはその誰とも違うもので、そもそもあのコンビニの賞味期限切れの売れ残りカップラーメンにあらかじめ妙なものを仕込むことなど出来ないだろう。
くそっと小さく汚い言葉を吐くと、俺はこめかみに青筋を浮かべた。
「…麺」
「はい?」
「ラーメン返せ」
願いともいえないそれは、今の俺には当然の要求且つ権利だ。
腹減りはマックスを通り越していて非常に苛ついている。
しかし空気を読めないのか、小人はむやみやたらに胸を張って偉そうに踏ん反り返った。
「それは無理です」
「どうして」
「願いを叶えるための代償です」
俺は小人を握り潰さないよう怒りを抑えるのに無駄に苦労した。
鼻から吸い込み口から細く吐く、深呼吸をしながら1、2とカウントして10まで数えると、震えていた手が何とか治まった。
「…じゃあ、じゃあさ、アンタ何が出来るの」
刹那の怒りは抑えられたものの、いらつく気持ちは変わらない。
えーと、と説明しようとして口を噤んだ小人に、俺は胡乱気な半眼になった。
「何か食料出すのは?」
「…無理、です」
「じゃあ帰れ」
「そ…それも、無理です」
「じゃあここから出て行け」
「ええっ、そ、そんなぁ」
ガーンとわざわざ声でショックであると表現した小人は、手をあわあわと意味もなく動かしながら俺の方へと走った。
「お願いします、俺に願いをかなえさせてくださいっ、ここ追い出されたら行く場所ないんですっ!」
「だってアンタ俺の願い事ことごとく無理って言ってるし」
「そんなことないです、きっと俺にもかなえられる願いがあるはずですっ」
真夜中に空腹を抱えて小人、自称カップラーメンの精と討論、何だかシュールだ。
小人をつまみ出してしまおうかと考えていたら、あうあうと意味もなく唸っていた小人が突然「うっ」と叫んで倒れた。
そのまま動かなくなった小人を暫らく眺めた後、人差し指で軽く突っつく。
「ちょっと」
「…うーんうーん」
「何よ」
「う、う、うーんうーん」
唸る小人をよくよく見ると顔は青ざめプルプルと震えていて、とてつもなく具合が悪そうだ。
「…何、どしたの」
「うーん…う、う、お、お腹が…」
「腹が?」
「…お腹が…痛い、痛いです〜」
そういえば賞味期限がとっくの昔に切れているカップラーメンだった。
人のラーメンに手を出してバチが当たったのか、まあ勝手に食べて勝手に腹痛になったのは自業自得だろう。
放っておこうと思ったが、思った以上に小人の唸り声が大きくて煩い。
俺は溜息をつくと、薬を取りに行くために立ち上がった。
普通なら1、2匹で済ますところの忍犬を8匹持っている程に、俺は動物に弱い、特に小動物は致命的だ。
腹痛に効く薬を一粒取り出すと、まあ大体こんなもんだろうと細かく砕いて、ぐい呑みに水を入れて小人の元に戻った。
「ほら、口開けて」
唸る小人の口元に薬の欠片を載せた指を近づける。
小さな口に粒が入ったのを確認すると、次に指をぐい呑みにつけて水の雫を小人の顔の上に移す。
「飲んで」
小人の口に指についた雫を付けると、ごくごくと喉が動いて水を飲み込んだ。
もう一度指に水を付けて近づけると小人は今度は自ら指に掴まって水を飲み干し、力尽きた様にぽてっと指から離れると、小人は体を丸めて再びうんうんと唸り続けた。
小人の症状が落ち着くまで見守り続けて、薬が効いたのかすやすやと眠る小人を見下ろして深く溜息を付いた。
「何やってんだろうね、俺」
何処かに転がり落ちてしまうと困るので小人を摘んで空のカップラーメンに入れると、結局何も口にしないで俺は布団に潜り込んだ。
こんな結果になるのなら食料を調達しに外に出るのではなかったと思ったが、後悔先に立たず。
この日から、俺、はたけカカシと、自称カップラーメンの精、イルカとの、奇妙な共同生活が始まった。
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