5. そして日常は続く
「よぅ、カカシ」
「アスマ?」
控え室でちまちまと報告書を書き上げていたら、開け放たれたままの扉をくぐってアスマがやってきた。
大きな図体が俺の横に座るのを見届けると、手元の用紙へと視線を戻した。
「随分と中途半端な時間に報告書書いてやがるな」
「ああ、うん」
「帰ってきたのさっきだし、思ったよりも時間掛かったんだよ」
「ふぅん」
アスマは訊いて来たわりに俺の応えには生返事で返した。
控え室は空調が効いているが、部屋の外は残暑の日差しが照りつけて唸るような暑さだ。
その暑さを強調するようにセミが一生懸命鳴いている。
アスマと俺が口を閉ざすと静まり返った室内に窓を通り抜けたセミの声と、紙を走るペンの音がやけに響いた。
「なぁ」
「んー?」
「結構評判良いらしいな」
「評判?」
「アレだよ、お前が紹介したっていう」
「ああ」
アスマの言っている事に思い当たった俺は、頷くと出来上がった報告書を読み返して最後に判子を押した。
立ち上がって軽く伸びをすると、座ったままのアスマを見下ろした。
「アスマも一緒に行く? 受付」
興味あるんでしょ、と首を傾げると、アスマは嫌そうに顔を顰めて追い払うように手をシッシッと払った。
「いかねえよ、一人でさっさと行って来い」
「そ」
報告書片手に俺が踵を返し出口を跨ぐと、後ろからアスマが「おい」と呼びかけてきた。
肩越しに振り返ると、煙草をふかしたアスマはこちらを向くことなく前方を見据えたままだ。
「俺じゃねぇんだけどよ、今度、飲みに行く時にでも連れて来いってよ」
「紅が?」
「他にも、あー…色々だ、色々」
皆に紹介しろということだろうか、つまらなそうというよりも照れ臭そうにブカブカと勢い良く煙を吐くアスマを見て俺は笑った。
「りょーかい」
アスマは返事代わりに手を上げ、またシッシッと手を払ってさっさと行くよう促すので、俺は足取りも軽く歩き出した。
*
突然大人というか人間サイズになって帰ってきたイルカは、思わず感極まった俺に口を塞がれて酸欠でかひっくり返った。
顔を真っ赤にしてウンウン唸るイルカを部屋の真ん中に運んで横たえ団扇で扇いでいると、そのうち顔色が良くなり目を覚ました。
眩しそうに目を細めるイルカの顔を覗き込むと、頬に手を当ててそっと撫でた。
「ごめんね、大丈夫?」
尋ねるとイルカはへらりと妙に崩れた笑みを浮かべ、俺は酸欠で脳がやられたかと血の気が引いた。
元は小人だが病院に連れて行っても大丈夫だろうか、新種の人間とか言われたらどうしよう、というか元小人に戸籍とかあるんだろうかないだろうけど、まあ遠い国の俺の知り合いとか言えば大丈夫だろう、そういえば小人の時に薬飲ませたら効いたな。
俺がそんなことを真剣に悩んでいると、イルカは不思議そうに俺を見つめ、そして自分の手を目の前にかざした。
「あー…」
ボンヤリと声を出したイルカに、俺は不安になって再び顔を近づけた。
「大丈夫?」
はっきりと目を開けたイルカの黒く濡れた瞳に、俺の心配そうな顔が映っている。
イルカは俺の頬に手を伸ばすと何かを確かめるように擦って、そのまま肩やら耳やら頭を撫で回すと、最後に首にぎゅうとしがみ付いてきた。
イルカは横たわったままなので、俺はイルカの顔の両脇に手をついて圧し掛かるような体勢になってしまって、おまけに息が首筋にかかってむずむずする。
ううむ、この体勢はと俺が引き剥がそうとすると、イルカは「へへっ」と笑った。
「カカシさんの匂いがする」
何一体、その台詞はと思わずといった感じに顔が赤くなる。
イルカの力が緩められて俺が少し体を起こすと、にこにこと嬉しそうに笑ったイルカと見つめ合う。
「俺大きくなりましたよ、カカシさん」
「ああ、うん」
「びっくりしました?」
「うん、吃驚したよ」
色々と訊きたいことがあるのだけど、俺は何度か唾を飲み込んだ。
「何で、どうして…?」
どんな理由で大きくなったのか、どんな方法で大きくなったのか。
それを読み取ったのか、イルカはにひひとイタズラ坊主のように笑った。
「妖精の王様に頼んで、魔法で大きくしてもらったんですよ」
「…魔法」
きっとその原理を尋ねてもイルカは説明出来ないだろうし、俺も理解出来ないだろうと質問するのを諦めた。
「これでカカシさんの願いを叶えられるし」
「俺の願い?」
大きくならないと叶えられない願いって何だ、と俺が目を丸くすると、イルカは横たわったまま器用にエヘンと胸を張った。
「ずっと一緒に、家族になるってことは」
「うん?」
「あの本みたいにイチャパラしないとっ」
「…は?」
「大きくなれば潰される心配もなく一緒に寝れるし」
「それアンタの願いでしょ」
ああ、神様、妖精の王様とやら、今すぐこの場でイチャパラの意味が判っていなさそうなコイツを襲っちゃっていいですか?
勝ち誇った笑みを浮かべるイルカに顔を近づけ、丁度吐息が混ざりあった時。
ぐぅぅ〜。
雰囲気をぶち壊す音が鳴り響いた。
俺はがっくりと項垂れると、どっこいしょと起き上がって胡坐をかいた。
「何、腹減ってんの?」
「え、あははは、…はい」
誤魔化すように笑うイルカの手を取り、引っ張って起き上がらせると、俺は立ち上がって台所に向かった。
「コレしかないけど、いいよね?」
「あ、はいっ」
カップラーメンを見せるとイルカは何度も頷いて、カカシの後を追ってきた。
「…今度は一人で全部食べないでよ?」
薬缶を火にかけて振り返ると、イルカはキョトンと目を丸くして、次に嬉しそうに笑った。
そのまま当然の如く、イルカは俺の部屋に居ついた。
大きくなってもイルカはイルカのままで、ドンくさいというかドジは相変わらずだ。
体が大きくなった分、被害も拡大しているので色々な意味でレベルが上がっているかもしれない。
俺に家事やらほぼ全ての世話をしてもらってただ家に居る事を申し訳ないと感じて、暫らくするとイルカは仕事を探し始めた。
しかしドジが直るわけもなく、イルカの仕事を見つけては首になりを繰り返した。
壁に向かって正座をして落ち込むイルカを見かねて、俺はアカデミーの仕事を紹介した。
場所が場所だけに忍ではない元小人のイルカに出来る仕事は限られているかもしれないが、物は試しだ。
面接をしたのはイビキらしいのだが、イルカは良い意味でイルカらしさを発揮して意地の悪い面接をクリアしたらしい。
イルカに面接の時の話を聞き、俺は腹を抱えて笑った。
そうして共働きとなった俺とイルカは、毎日忙しくも楽しく過ごしている。
*
受付所に入ると、入り口の真正面にある机に座った二人が時間的に手が空いているのだろう何やら歓談していた。
そのうちの片方が近付いてくる俺に気付き、瞬間目を丸くして、次に安心したようにふにゃりと笑った。
俺が机の目の前に来ると、きちんと座り直した受付員が両手を差し出した。
「任務お疲れ様でした、ご無事で何よりです」
その手に報告書を渡すと、俯いて手元に紙を置くと再び顔を上げた。
「それと、お帰りなさい、カカシさん」
「うん、ただいま、イルカ」
目を合わせて笑い、いつもの挨拶を交わす。
そして、俺とイルカの。
日常は続く。
(終わり)
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