「カカシ先生」
「あ、イルカ先生」
にこりと笑って返事をされた。
もしも通りかからなかったら、いつものように笑って家に帰ってきたのかもしれない。
そう考えたときに俺の心は決まった。
段ボールに足早に近づき、子猫を抱き上げて胸にしまう。
少し金色がかった毛並みの小さな小さな命。
体温はおそらく普段より冷えているのだろう。
俺の体温で少しでも暖まればいい。
ごめんな。俺のせいでお前死ぬところだったな。
「帰りましょうか」
「イルカ先生?」
「早くしないと先に帰っちゃいますよ」
そう言ってさっさと歩き始めた。
後ろから慌てて追いかけてくる気配がする。
「あの、イルカ先生……拾っちゃうんですか?」
「別に猫が嫌いな訳じゃありませんから」
「え、でも」
少し狼狽えている姿に笑みがこぼれる。
なんとなくわかってしまった。
俺は多分この人を猫のように思っていたんだ。
自分の気の向いたときにすり寄ってきて、気の向いたときに行ってしまう。
きっとそう思っていたのだろう。
だから猫は飼いたくない、なんて思っていたんだ。
結局この愛しい生き物を自ら拒否できるわけはないのに。
もう一匹の猫の存在に、はじめは戸惑い威嚇していた黒猫だったが、しばらくすると興味を持ったのか、側に寄ってくるようになった。
金色と黒色の塊がじゃれ合っているのを見るのは楽しかった。
二匹の猫を小さな毛布にくるんで寝かせると、疲れたのかすぐに寝入ってしまった。
「やっぱり仲間がいると思うと安心するんでしょうか」
「ふふふ。よかった」
嬉しそうな顔を見て、拾ってよかった、と実感する。
あの時通りかからなければ、きっと知らないままだった。
「そうですね」
「やっぱり猫は猫同士。これでイルカ先生を独り占めして眠れます!」
「は?」
「だってイルカ先生。最近猫ばっかり気にかけて一緒に寝てくれなかったじゃないですか」
「な……な…!」
何を言い出すんだ!と言いたいのに、あまりのことに言葉が出てこない。
「もう一匹いれば、奴ら自分たちで勝手に遊んでるから結構手間いらずだったんですねー。やあ知らなかったなぁ」
拾ってきてよかった、と呟くその人は嬉しそうに笑っている。
「じゃあ、拾おうとしなかったのは……」
「もちろん、イルカ先生が猫にかかりっきりになったら困るからデース」
「ばっ…アンタ馬鹿ですか!」
俺のせいで拾わなかったのだとすごく反省していたのに。あんなくだらない独占欲で子猫を死なせてしまうところだったと後悔の嵐だったのに。
別の意味で俺のせいだったっていうのか?
「じゃあ俺が猫が嫌いだと信じていたわけじゃなかったんですか」
「はじめはそうなのかと思ってました。でも。猫の餌に悩んだり寝床を気にしたり、あんなに世話を焼いてたらそうじゃないことぐらいわかりますって」
カァッと頬が熱くなるのがわかった。
そんなに世話を焼いていただろうか。
「あのね、イルカ先生。猫だって3日飼われれば一生恩は忘れないんですよ?」
そう言われて更に頬が熱くなる。
俺の考えていることなんてすべてこの人にはお見通しなんだろうか。
「本当ですか?」
「ホントです。一生つきまとわれること確実です。ね?」
そう言って頬に軽く触れた唇は、熱くなった頬には冷たくて気持ちがよかった。
それは一生側にいてくれるってこと?
いなくなったりしないってこと?
不確かな口約束でしかないけれど、信じたかった。
「じゃあ、ちゃんとこの家に帰ってきてくださいね」
「猫又になっても帰ってきますから!」
帰ってくるなら猫又でもいいや、と思ってしまった。
そんな想いを込めて大きな猫を抱きしめた、ある冬の夜の出来事。
END
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2002.02.23 |