突然。まさにイルカにとって突然でした。青天の霹靂です。
 どこの誰かもわからない初対面の、しかも男に向かって発する言葉とは思えませんでした。何かこの人は勘違いしているのかもしれないと考えました。
「俺は男なんですけど……」
「そんなの見ればわかりますよ」
「だったら!」
「人間誰しも欠点はあるものです。俺の理想に男か女かはあまり影響ありません、大丈夫です」
 大丈夫と自信を持って請け負われても、とイルカは困り果てました。返事を出来ないままでいると、カカシは調子に乗ってしゃべり続けるのです。
「いやー、こんな俺好みの顔がこの世にあったんですねぇ。毎日眺めていられたら幸せだろうなぁ」
  カカシはうっとりとイルカを眺めています。さすがにここできちんと断っておかなければ、と考えたイルカがきっぱり言いました。
「顔、顔って……そんな顔でしか判断しないような人と結婚する気にはなれません」
 これで諦めてくれるだろうとイルカは思いました。しかし、予想に反してカカシは首を横に振りました。
「何を言ってるんですか。顔って重要ですよ。内面が滲み出てくるんですから!顔を見れば性格もわかります。それを全部ひっくるめてあなたがいいんですよっ」
 言っていることは確かに一理あります。イルカの素直そうな眉も微笑みが似合いそうな口元も、性格を表していると言えるでしょう。
 しかし、だからといって会っていきなり結婚を申し込むなんて性急な話です。カカシが村人達に変わり者と言われているのも頷けます。
「ですが……」
 イルカがなんとか断ろうと口を開きますが、カカシも頑として受け入れようとしません。
「あなたが結婚してくれないって言うのなら、俺明日から生きていけそうにありません!」
「ええっ、そんな!」
「お願いします。必ず幸せにしますから」
 カカシはイルカの手をぎゅっと握りしめて懇願します。目にはうっすら涙が滲んでいました。それを哀れに思ったのか粘り強さに根負けしたのかわかりませんが、躊躇っていたイルカは心を決めたようです。
「わかりました。身寄りのない俺のことをそこまで望んでもらえるなんて、嬉しいことです。こちらで親切にしていただいたのも何かの縁。ふつつか者ではありますが、どうかよろしくお願いします」
「本当ですか、イルカさん!やったぁ!」
 カカシは大喜びで、感極まってイルカをぎゅっと抱きしめました。その喜ぶ姿を見て、イルカも少し嬉しそうに笑ったのでした。


 きっかけは人にはあまり言いふらせないような出会いでしたが、それでも一緒に暮らし始めた二人は意外と幸せでした。
 イルカも最初は戸惑っていたものの、カカシと暮らすうちに心通わせ、おしどり夫婦といえるくらいになりました。
 イルカは働き者でくるくると山リスのように動きましたし、カカシは見た目の体格からは想像もつかないくらい力持ちで、食べていくにはそれほど困りません。しかし、困ったことが一つだけありました。
 カカシは毎日畑に出かけますが、家にいるイルカのことが気になって気になって仕方ありません。一畝耕しては「イルカさん居ますかっ」と家へ走って帰り、顔を見て安心して畑に戻りはするものの、一畝耕しては家へと走って帰ってイルカの顔を見る、ということを繰り返していました。
 これでは仕事も進みません。いえ、その往復がものすごい高速回転で行われるので、他人と比べたら仕事は進んでいるのですが、はっきりいって無駄な労力と言えました。
 そんなカカシに困り果てたイルカは、町へ出かけて自分の絵姿を絵描きに描いてもらってきました。そしてカカシに言いました。
「これを畑に生えている木の枝にでも吊しておいてください。俺の顔を見たくなったらこれを見て、俺だと思って仕事に精を出してくださいね」
 そう言ってカカシに持たせて送り出しました。
 それからのカカシは、昼間はその絵を見て、実物のイルカに会うのを我慢しながら畑仕事をしていました。とはいうものの、絵姿を眺めるのもまた一つの楽しみであったようです。
 しかし、ある日のこと。強い風が吹いてきて、その絵姿が天に舞い上がって行ってしまいました。追いかけようにもあっという間の出来事だったので、カカシにも追いつくことは出来ませんでした。
 カカシは慌てて家に帰って、イルカにそのことを話しました。
 「絵姿が飛んで行っちゃいました!俺は悲しみのあまり死んでしまいそうですっ」
 うわーん、と村中に聞こえそうなくらい大きな声でカカシが泣き出しました。
「そんなおおげさな。また描いてもらいますから大丈夫ですよ」
 イルカがいくら言っても、カカシは納得しようとしません。また描いてもらうのは賛成でしたが、あの絵姿が誰かに見られてイルカが見初められたら、と思うと居ても立ってもいられないと言うのです。
「そんな人、カカシさん以外にいませんよ」
「イルカさんは自分の魅力をわかってない!」
 カカシはドンと板の間を叩くと力説しようとし始めました。それを何とかなだめすかし、今度また描いてもらってくるからと言いくるめたのでした。
 しかしカカシはまだ諦めきれないらしく、
「どこへ飛んで行っちゃったんでしょうねぇ……」
と、しきりに気にしていました。
「さぁねぇ。どこでもいいじゃないですか。夕飯はカカシさんの好きな茄子ですよ」
「わ、本当ですか。イルカさん大好きですよー」
「はいはい」
 カカシの機嫌も、たかが茄子程度であっさりと直ったようです。
 そんなのんきな二人でしたが、肝心の絵姿は思わぬところへと飛んでいってしまっていたのでした。


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2003.11.16初出
2009.02.21再掲


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