それからバレンタインデーまで毎日必ず一回は『チョコは欲しくない』という意思表示をするのが日課になった。
イルカ先生は苦笑しながらも『はいはい』と答えてくれるようになった。もうこれだけ言い続ければ大丈夫だろう、と安心して当日を迎えたのだったが。
今目の前にあるのは、色鮮やかな包装紙にくるまれた箱。まさしくあの店のチョコレートの箱だった。
イ、イルカ先生がチョコレートを!
「……って……」
「え?」
「いらないってあんなに言ったじゃないですか!」
俺が箱を握りしめて抗議すると、イルカ先生は苦笑して答える。
「だってあんなに毎日言われたら、てっきり逆のことを言って気を惹く作戦かと思って……」
「ご、ごごご誤解です!」
そんな風に思われていたなんて。それならしつこく言わなきゃよかった。呆然と箱を見つめる。
「せっかく買ってきたんだから貰ってください。返品不可ですからね」
「えっ」
返品できないのか!
なんてことだ、うかつに箱を受け取るんじゃなかった。
ハートのシールが貼ってある、イルカ先生の本当の気持ち。
「あ、開けてもいいですか……」
「はい、どうぞ」
せめて茶色でありますように!
包んである綺麗な紙を恐る恐る剥がしていく。箱を開けて入っていたその物は。
「白!」
手からボトリと箱が落ちた。
ホワイトチョコレートだなんて。この世の終わりだ。
落とした勢いで床に散らばったチョコの一粒一粒をイルカ先生が拾い集めている姿を見て、ぶわっと涙が溢れた。そんなに俺のことが嫌いなんだ。
俺はこの世の終わりが来たってチョコレートなんか欲しくない。もう一生見なくていい。
「俺、俺……嫌です。絶対何があろうとイルカ先生と別れたりしませんから!」
はっきりきっぱり宣言すると、イルカ先生は困惑した表情で立っている俺を見上げている。
別れたくないと泣いて縋るなんて、迷惑だと思っているんだろうか。しかし、たとえ迷惑だと思われたとしても、はいそうですかと聞くわけにはいかない。
「いったい何の話をしてるんですか」
「え」
あれ?別れ話じゃなくて?
「だって。イルカ先生、俺のこと大嫌いなんでしょ……だから」
「嫌いって。ちゃんとチョコをあげたじゃないですか。白いのが気に入らなかったんですか?」
それなら普通のを買ってこればよかった、初めて見たって言うから食べてみたいのかと思ったのに、とかなんとかイルカ先生はブツブツ言っている。
「気に入らないも何も、だって、白いチョコレートは『大嫌いだから、もう顔も見たくない』って意味だって!」
「は?」
何を言ってるんだと言わんばかりの声。
「それ、誰が言ったんですか?」
「誰って、髭が……え?違うの?」
「別にホワイトチョコにそんな意味はないですよ」
さっきまで困った顔や悲しげな顔しかしていなかったのに、今は可笑しそうに笑っている。
「だって!バレンタインデーって『公然と嫌いと言っていい日』なんでしょう!?」
ほとんど悲鳴にも近い、変にひっくり返った声で念を押した。
「何言ってるんです。バレンタインデーは巷では『好きな人にチョコレートを渡して愛を告白する日』ですよ」
「え……」
俺が知ってるのとぜんぜん逆ですけど!
「もしかしてカカシ先生……バレンタインデーを知らなかったんですか?」
「……し、知りません!」
髭め。髭め。髭めー!!
よくも騙してくれやがって。
「アスマ先生は冗談のつもりだったんでしょう?だいたい知らないなら知らないで、最初に正直に言えばよかったじゃありませんか。そうすればすぐに間違いだってわかったのに」
「だってー」
笑っているイルカ先生を見たら、怒るなどの感情よりも前に、安心してまたどっと涙が溢れてきた。
イルカ先生の横にしゃがみこんで、拾われたチョコレートたちを見てはっとした。
「も、もしかして俺、イルカ先生の愛を落としちゃ…た!」
せっかくの愛の告白を手から落としてしまった!
呆然だ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!うわーん」
ノドも裂けよとばかりに泣いて謝ると、意外にもイルカ先生は満足そうに頷いてこう言った。
「まあ、女の人ばかりの中でチョコレートを買うのは死ぬほど恥ずかしかったけど、あなたの泣き顔を見られたから良しとします」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、いろいろと失敗ばかりだったけどイルカ先生がいいならいいやと思った。
「落ちたけど食べますか?」
そう言って差し出された白い白いチョコレートを、俺は嬉々として口にしたのだった。


END
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2005.02.12


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