固く閉じられた扉を前に、しばらく呆然と立ち尽くした。
言い過ぎたかな、と思ったけれど、覆水盆に返らず。今さら取り消したところでイルカ先生は怒ってる。意外と頑固な人だから、もう開けてはもらえないだろう。
仕方なく、今夜泊めてもらえそうな場所へとぼとぼと歩く。
家主は寝ていて部屋の中は暗かった。
ベッドの脇に立ってしばらくしてから、髭男は目を覚ました。ひゅっと息を呑み、それから溜息をつく。
「うう、やめろ。心臓に悪いだろうが、カカシ」
遅い。気づくのが遅すぎる。
俺が敵だったら寝首を掻かれてる。
ま、それはどうでもいい。そんなことよりも何よりも大事なことがあるんだ。
「イルカ先生が……イルカ先生が!」
「イルカがどうした」
「イルカ先生がつぶと結婚するって言うんだ!」
「ツブ? ツブってどこの人間だ」
何寝ぼけてるんだ、この髭。
つぶって言えば餡だろうが。
「つぶあんだよ、つぶあん!」
「何だそりゃ」
ああ、なんで言葉が通じないんだ。
「俺よりつぶあんが好きだって……! うわぁぁ」
もう居ても立ってもいられず泣き崩れた。
しばらく泣き続け泣き尽くした後、せっつかれて事情を話す。
「餡といえばどう考えたってこしあんだろ! お前だってそう思うだろ?」
「俺はどっちの餡も食わねぇよ。甘いもんは嫌いだからな」
この役立たず。
こういう時ぐらい肯定しなくて何のための髭だ。
「もういいから今日は寝ろ。明日落ち着いて考えればいいだろ」
そこに寝袋あるから使っていいぞと言い捨てると、すでに寝る体勢に入っている。
仕方なくごそごそと寝袋にくるまると、イルカ先生のことを考えた。
つぶが好きって。俺よりもつぶあんが好きって!
何よりもつぶが憎い。
あんな歯に挟まるようなものの一体何処がいいってイルカ先生は言うんだ。
「つぶがつぶで、つぶならばつぶであるとき絶対つぶ? つぶつぶつぶ……」
「つぶつぶ五月蠅いぞ! 黙って寝ろ!」
暗闇の中、飛んできた物体を受け止めたはいいが、中に入っていた煙草の灰までは避けきれなかった。
くそ、灰皿か。髭め、覚えてろ!
その夜はヤニ臭さに涙しながら眠りについた。


朝起きて、なんで俺はこんな煙草臭い中で目覚めなくてはならないんだと、また涙がこぼれそうになった。
それもこれもあのつぶのせいだ。
どんよりとした気分のままもそもそと起き出し、七班の集合場所へと足を向ける。
あ〜、面倒くさい。今日はそんな気分じゃないのに。
気が乗らなくてのろのろと歩いていると、声をかけられた。
「カカシ先生……」
「イルカ先生!?」
まさか昨日の今日で話しかけられるとは思ってなくて、飛び上がるくらい驚いた。
イルカ先生は言い出しにくそうに視線を彷徨わせた後、さらに俺を驚かせることを言った。
「昨日はすみませんでした。追い出してしまって」
先に謝られて、もうどうしてよいのやらわからない。しゃべろうとしても口はぱくぱくと開くだけで声が出てこない。
「実は、カカシ先生があまりにも『こしあんは上品だ』って誉めるから。俺は下品なのかと思って、ついむきになっちゃって……」
そうだ。俺も、まるで自分自身が否定されている気がした。だからつい反論することに白熱してしまった。
でも。
「こしあんだろうがつぶあんだろうがどうでもいいです。俺が一番好きなのはイルカ先生なんだからー!!」
喉も裂けよとばかりに叫んで抱きついた。
そうしたら、イルカ先生は苦笑しながらも安堵したように『よかった』と呟いた。
その後、俺は送っていくと頑として言い張り、アカデミーまでの道のりを二人で歩く。
「最初は自分の好きなものを食べて同じ幸せを感じられたら、と思って主張していたはずなのに……。でも、押しつけがましかったですね。人の好みなんてそれぞれなんだから」
「イルカ先生……」
じーんと胸が熱くなった。
そう。好きなものを主張してしまうのは、自分を理解して欲しいから。好きな人に共感して共有して欲しいと願ってしまうからだ。
だから、そのせいで喧嘩するなんて本末転倒だ。たとえ相手の嗜好が理解できなかったとしても。
「つぶあんは好きじゃなくても、つぶあんが好きなイルカ先生は大好きです」
「俺もこしあんが好きなカカシ先生が好きですよ」
イルカ先生がそう言ってくれたので、とりあえず憎っくきつぶは、イルカ先生の舌を満足させ喜ばせるために存在しているのだと認めることにした。
でも、餡はこしあん。これは心の中でこっそり思っておく。


END
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2006.03.03


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