「ただいまー、イルカ先生」
「あ、おかえりなさい」
いつもの笑顔で迎えられ、思わず顔がニヤケた。もとい、顔が綻んだ。
「もう少しで夕飯できますから、待っててくださいね」
「はぁい」
俺は機嫌よく返事をし、台所を後にしようとしてふと足を止めた。台の上に置いてある包みが目についたからだ。
もし買ってきた総菜か何かならば、自分にも皿に盛りつけるぐらいはできる。そうすれば準備も早く終わるじゃないか、と思った。
「イルカ先生、これ……」
俺がやりましょうかと声をかけようとして、イルカ先生の声に遮られた。
「ああ! それ、開けなくてもいいですよ」
手を拭きながら近寄ってくるイルカ先生。
「貰い物の桜餅なんです。ほら、もうすぐひなまつりだから。カカシ先生は甘いもの苦手でしょう?」
ああ、なるほど。きっと人気者のイルカ先生のことだ、アカデミーの職員室か商店街の道すがらにでも貰ってきたのだろう。
「俺、生クリーム系は駄目だけど、アンコものなら少し食べられるんですよ。むしろ好物っていうか」
そう答えると、イルカ先生は瞳を輝かせた。
「本当ですか! わあ、知らなかったな」
その喜びようを見て、もっと早く言っておけばよかったなと思った。
ここのは、すごく美味しいって有名な和菓子屋さんのなんですよ、と包みを見せようとする。
俺はあまりどこの店のがどうだのという拘りはないが、イルカ先生が喜んでいるのならこれをくれた人にありがとうと言いたいくらいだ。
「じゃあ、食後に一緒に食べましょうよ」
と誘うと、俺が見惚れるくらい嬉しそうな笑顔で頷いた。
食事が終わった後、お茶を入れて桜餅をありがたくいただくことになった。
イルカ先生の手料理を食べた後にのんびりと甘いものでお茶するなんて、これほど幸せなことがあるだろうか。
しかし。
感慨に浸りながら、はむっと桜餅を口に入れた瞬間俺は固まった。
「ね。美味しいでしょう、ここの」
イルカ先生がそう聞いてくる。
「イルカ先生、これ……これ!」
「はい?」
小首を傾げる姿は非常に愛らしいのだが、いかんせん俺はそれどころじゃなかった。
「これ、つぶあんじゃないですか!」
「はい。ここのつぶあんが一番美味しいですよ」
イルカ先生の満足そうな表情に、愕然とする。
「な、な、な! イルカ先生、まさかつぶあんが好きなんじゃないでしょうね!?」
「そう言うあなたは、こしあん好きですか!」
衝撃の事実。
イルカ先生がつぶあん好きとは!
「っていうか、桜餅はこしあんが常識でしょ?」
「何言ってるんですか。桜餅はつぶあんに決まってます」
「やだなぁ、イルカ先生。こしあんですよ」
「つぶあんですってば」
一歩も譲らないイルカ先生。
いやいやいや、そんな馬鹿な。俺はこしあんしか知らない。
「だいたい、なんでつぶあんが好きですか」
「つぶの方がお得感があるでしょう?」
「意味分かりません」
イルカ先生がむっとした表情で口をつぐんだ。
いや、本当に。言ってる意味がわからないです、イルカ先生。
「つぶあんだと粒が口に残るでしょ。あれ、嫌いです」
「つぶが入ってないと食べた気がしません」
「こしあんは上品ですよ。舌の上で蕩ける感じがたまらないんです。なんといっても手間がかかってます。人間の叡智です!」
「つぶあんは素材本来の良さを生かした素晴らしい甘味です。あのつぶつぶと皮の歯ごたえがいいんじゃないですか!」
だんだんと主張する声にも力が入る。
お互い我を忘れて熱中していた。
「つぶに存在価値があるとは思えませんね」
言った瞬間にイルカ先生の顔が強張った。
「なんですって! カカシ先生、あなた言っていいことと悪いことがありますよ」
「だって、こしあん以外必要ないじゃないですか」
イルカ先生は柳眉を逆立て、言い放った。
「こしあんは、あのネトっとした食感が気持ち悪くてしょうがないんです。美味しいと思えるのはつぶあんだけです!」
き、気持ち悪い!? こしあんが?
そんなに好きなんだ、つぶあんが。あんまりだ。俺というものがありながら。
「そんなにつぶが好きなら、つぶあんと結婚すりゃあいいでしょ。このつぶつぶマニア!」
「ええ、そうですね」
イルカ先生は氷点下な笑顔のまま、俺を家の外へと放り出した。
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