「俺、ミソ大盛り!」
ナルトは当然というように俺とイルカ先生の間の席を陣取った。
この野郎!
俺の淡い期待が台無しじゃないか。いつか絶対シメてやる。
もちろん、あまり近すぎるのも考えものなのはわかってる。どうせ食べるどころじゃなくなるくらい緊張するに決まっている。でも、ちょっと期待してみてもいいじゃないか。隣の席に座るぐらい。
ぶつぶつと呟きながら、隣の隣をナルトの身体越しに横目で窺う。
受付で見るような穏やかな笑みではなく、全開の笑顔でナルトと何かをしゃべっている。そう、全然違う。特別の笑顔。それを当然のように受け取るナルトがどれだけ羨ましいことか。ずっと恨めしく眺めていた。
しかしそれがよくなかった。
ラーメンを食べて店を出て別れる段になって、イルカ先生が言いにくそうに切り出した。
「カカシ先生は私のことが嫌いなんでしょうか」
「ええっ?」
なんで。まさかそんな!
「今も睨まれていましたし、しゃべりかけてもあまり話してもらえないので……」
ショックだった。たしかにろくな返事はしていなかったけど。まさかそう思われているとは。
「ごっ、誤解です! 誤解なんです〜うわ〜〜」
俺は居たたまれずに、叫んだままその場を走り去るしかなかった。
なんて酷い誤解だ。嫌いだなんて嫌いだなんて!
もう心臓がうるさいからとか息が止まるからとか言ってる場合じゃなかった。なんとかしなければ。
「助けてくれ、紅」
今までのことを挽回するには普通にしゃべれるようになるだけでは駄目なのだ。
「なんで私が」
なんて冷たい女だ! 俺がこんな指先が凍えそうなくらい精神的に追いつめられているというのに。友達甲斐のない奴だ。
「頼むよ。イルカ先生に誤解だって伝えたいんだ」
「でも、まだ好きだとは言いたくないって? 虫が良すぎるんじゃない?」
「そこをなんとか!」
腕に縋りつくと、何かを企むようにニヤリと笑った。
「そういえば私、最近、舞留雅璃のリングが欲しいのよねぇ。でもあれって高くって……」
「買う。買います、買わせてください、紅さま」
「そぉ?」
楽しげに笑っている姿に多少腹が立ったが、いったん引き受けたら何事もやり遂げる女だと知っているから、ぐっと我慢した。
そして、我慢した甲斐はあった。
二人でアカデミーまでイルカ先生を訪ね、説明し始めたときには感心したのだから。
「カカシってね、緊張すると吃音の癖があって。恥ずかしいからあまりしゃべりたくないらしいの。だからイルカ先生が嫌いとかそういうことじゃないのよ?」
さすが紅。これなら俺がイルカ先生を好きだと言うわけでもなく、しゃべらない理由になる。実際緊張のあまり多少どもってしまうから、あながち嘘ではない。
「そうだったんですか……。カカシ先生」
「は、はいっ」
「吃音は気にしすぎるとなおさら酷くなると聞いてます。これからはあまり気を張らずに気軽に声をかけてくださいね」
にこっと笑いかけられる。
かぁーっと頭に血が上りそうになったが、今ここできちんと返事をしなければ後がないと思い、なんとか口を動かした。
「あ、あ、ありがとうございます!」
わざと演じる必要もなく、りっぱにどもっていた。
そんなわけで、しゃべるべき場面でイルカ先生がじっと見守ってくれるようになり、ゆっくりと返事を待ってくれるので、少しずつ慣れて少しは会話が成立するようになってきた。かなり長い時間をかけて。
なぜか吃音は治らないままだった。もちろんイルカ先生の前でだけ。一度どもると思い込むと人間そうなってしまうものなのかもしれない。
そのおかげでしゃべられるようになったわけだが、どうもイルカ先生は出来の悪い生徒を相手にしているつもりなのではないかと思う。視線がなんとなくナルトに向けるものと同じ気がするんだ。
「お前、イルカに好きって言ったのか」
いつもの居酒屋でいつものメンバーで飲んでいるときに、アスマが聞いてきた。
「……言ってない」
言えるわけがない。いまだにどもりながらしゃべっている俺が。
「イルカだって生身の人間だぞ。いいかげん慣れろ」
「わかってはいるんだけどさ……」
もちろん頭ではわかっている。
最近ではイルカ先生も口調が『私』から『俺』に変わり、くだけた雰囲気にもなる。いろいろ失敗談だって聞いている。別に神聖視している訳じゃない。
ただどうしてもあわあわしてしまうだけで。
「言い慣れないのがいけないのよ。練習してみたら?」
紅が焼酎のグラスを傾けながら言う。
「それがいい。ほら、紅をイルカだと思って練習してみろよ」
同じ黒髪だからちょうどいいだろう?とアスマまで言いだす始末。そんな馬鹿な。
「……ない」
「ん?」
「……思えない」
「まあ、そう言わずに」
「遠慮することないわよ。協力してあげる」
「だって、イルカ先生はこんなガサツじゃな……」
ばきぃっ。
紅の拳は死ぬほど痛かった。
ふつう本気で殴るか? そういうところがガサツだっていうんだ。 「言いなさい。死ぬ気で告りなさい」
腕組みした紅は、立ち上がって大上段に見下ろしている。死ぬ気になる前に、殺されるんじゃないか。そう思えるくらいの気迫だった。
頬を押さえながら、アスマに視線で助けを求めると、
「俺は知らん」
と、そっぽを向かれた。
この裏切り者!
こうして無理矢理告白の練習をさせられる羽目になった。
しかし。
「す、す……」
どうしてもその先が言えない。
「なによ、あと『き』をつければ済む話でしょ!」
そうイライラされても困る。俺だって言おうと努力はしてるんだから。なおさら焦る。
「す……す……駄目だっ、言えない!」
テーブルに突っ伏す。
「この根性なしっ」
スコンと後頭部に当たったのは、たぶん灰皿だ。
ちくしょうと思いながら、ないのは根性じゃなくて勇気だとも思った。
「なにも『好き』だけが言葉じゃないだろう。それとなく伝わる言葉にすりゃいいんじゃねぇの」
ようやくアスマが助け船に入り、心底胸を撫で下ろした。
そうだ、直接言おうとするから気負ってしまうんだ。なにか別の言い方が。
「さ、さ行3、か行2!」
「……アカデミー生の暗号じゃあるまいし」
呆れられた。いい案だと思ったのに。
「なんの暗号だ、そりゃ」
「あれでしょう。50音さ行の三番目と、か行の二番目ってこと」
「ああ、なるほど……」
二人そろって溜息をつかれて、涙が滲む。
そんな時だった。声をかけられたのは。
「カカシ先生、アスマ先生、紅先生。こんばんは」
なにもこんな話をしているときに偶然会わなくても! 偶然を思いきり恨んだ。
「お、イルカも飲み会か?」
ちょうどいいこっちにきて一緒に飲もう、と酔っぱらい二人ががっちり掴んで離さない。イルカ先生は逃げられず捕まってしまった。
しかし結局俺はちびちびと盃を舐め、楽しそうにしゃべる三人を眺めるしか為す術はなかった。
酒豪二人を相手にイルカ先生は健闘していたが、酒宴の最後にはかなり酔いが回っていた。足もとがふらふらしていて危なっかしい。
「俺らはこっち方面だから。カカシ、ちゃんとイルカを家まで送ってやれよ」
「わ、わかった」
紅が擦れ違いざま「頑張りなさいよ」と囁いていった。
頑張るって言ってもな。それ以前の問題だ。
とりあえず道端に座り込んでうたた寝している人をよいしょとおぶり、歩き出した。意識がなければ家へ送り届けるぐらいはなんとかなりそうだと思った。
ところが、そう上手くはいかなかった。
「カカシ先生はぁ、今日誕生日なんですってー?」
外の風に当たって少し酔いが醒めてきたのか、いきなり起きてしゃべりだした。もうビックリだ。
「おめでとうございます! さっき聞いたばかりで何も用意してないんです。ごめんなさい」
イルカ先生は謝るついでに頭を下げようとして、俺の後頭部にごんと頭突きをかましてくれた。まだ充分酔っぱらっている。
「い、いいんですよ。もうその気持ちだけで!」
そうだ。祝ってもらえただけで最高の誕生日だ。今さらこの歳でどうでもいいと忘れていたくらいの日だけど。
「気持ち、気持ち……俺の気持ち……」
その単語が気になったのか、ぶつぶつと繰り返し呟いている。脈絡の行動は本当に酔っぱらってるなぁと苦笑した。
「あ、そうだ! 俺の気持ちも『さ行3、か行2』ですよ」
「え」
ま、まさかさっきのを聞かれてた? 顔から火が出るくらい恥ずかしい!
あれ? でも『俺も』……それってどういう意味?
「それって、イルカ先生も俺のことが、す、好きってことですか?」
「はいー」
好きと言われても素直に信用できない。子供たちに囲まれて『先生もだぞ』と言ってるのを聞いたことがある。きっとそのノリだ。でもそれだけでも嬉しい。
「どれっくらい好きですか」
万が一子供よりもちょっぴり勝っているとしたら、天にも昇るような気持ちだと思ったからだ。しかし答えは予想外だった。
「明日っから恋人になりたいくらい好きですよぉ」
その返事を聞いて、イルカ先生をおぶったままその場にへなへなと座り込んだ。
「カカシ先生、どうしましたぁ?」
「……腰が抜けました」
どうにも体勢が苦しいので、そっとイルカ先生を地面へと降ろした。
今は目の前に膝を抱えて座っているイルカ先生がいる。にこにこ笑っている顔が赤いのは、酒のせいであって『好き』なんて言葉のせいじゃないのだろう。しかし、俺からしたら天地を揺るがす大事件だ。
「なな、なんで?」
「俺、可愛いものが大好きなんです。だから」
「ふが」
いきなり鼻を摘まれた。
「え、俺って可愛いですか?」
そんなことを言われたのは初めてだ。
「もちろん」
イルカ先生は酔っぱらい特有の根拠のない自信を溢れさせ、うんうんと頷いている。
「カカシ先生がどもるのは、俺の前でだけでしょう?」
「は、はい」
知っていたんだ。
「他にも、ちらっちらっと様子を窺う仕草とか、近づこうとすると焦って逃げていく姿とかね。いつも可愛いなぁと思って見てたんですよ」
イルカ先生はあははと楽しげに笑う。
まさかそんな風に思われているとは知らなかった。
「俺、可愛いものにはめちゃくちゃ弱くてね。なんでもしてあげたくなるんです」
そう言ってぽんぽんと俺の頭を撫でる。
呆然とする俺を前に、イルカ先生はまたうとうとと頭を揺らし始め、こてんと地面に横になった。完全に寝入った姿を見ても、まだ俺の心臓はドキドキしている。
ただの酔っぱらいかもしれない。
明日になれば『記憶がない』なんて言われるかもしれない。
でも、それでも。
とりあえず明日会って『昨日のは夢じゃないですよね』と聞くぐらいの勇気は湧いてきそうな気がする。
今日のこの日は特別で。今までと比べればまるで奇跡そのものだから。
「イルカ先生、好きですよ」
初めての告白。
もちろん寝ているのを確認したからこそ言えたわけだけれども。
たとえ今はその耳に届いていなくとも、今は充分満足だった。
そのうちいつか突然言える日が来るかもしれない。世界で一番好きですよ、なんてことを恥ずかしげもなく。
それが明日だといいと思った。
END
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2005.09.18初出 2012.06.16再掲 |